発達障害

石よ樹よ水よ

“話が通じない人”って、いますよねえ。普通に日本語を喋っているのに、会話が噛み合わない、こちらの言うことを理解してくれない、何を言いたいのかわからない……まあ、色んなパターンがあるとは思いますが、とにかく話をしても意思の疏通ができない人や、そもそも話ができない人(日本語はわかるのに、不思議ですよねえ)、皆さんの身の回りにも1人や2人、おられますよね、きっと。

「話せばわかる」と言ったのに、問答無用、とピストルで撃たれた犬養毅首相(昭和9年の五・一五事件ですね)の例は極端にしても、チームワークが必要な職場にこういう話が通じない人がいると、迷惑このうえないですな。私の職場(清掃の方ね)にも1人いて、こやつ(嫌いなんでこやつ呼ばわりします)とは会話をしないので知らないけど年の頃は30後半か40絡み。ここの職場は皆、昼間は別の仕事をして夜のバイトで来たり、私のように他のバイトと掛け持ちしている人がほとんど(このバイトだけでは食っていけないからね)だけど、こやつは週に4日ぐらいのこのバイトだけで、他は何もやってないらしい。

週4日働いてせいぜい13~4万円程度の給料でやっていけるのは、恐らく実家暮らし、いわゆる子供部屋おじさん、だからでしょうな、知らないけど。以前、ここの清掃会社の正社員にならないか、という話もあったらしいが、それは断ったようで、いい年してお気楽中年フリーター。いや、私だってフリーター(過去ブログでも触れたように)だから人のことは言えないが、私はバイトとはいえ2つ掛け持ちのダブルワーク、ライター仕事も加えればトリプルワークでせこせこ働いてますぜ。こやつとは一緒にしないでほしい。けど、まあ、それはいいとして、とにかくこやつは、仕事はこの清掃のバイトのみ、趣味らしい趣味もないようで、想像だけど昼間はほとんど引きこもり、夜だけバイトで家と駅(職場が駅だからね)の往復、という生活を送っているからだと思われるが、驚くほど世間や常識というものを知らない。

その一例が以下。コロナが流行りだして最初に緊急事態宣言が出たときだからもう2年近く前のこと。ここの職場では皆、緊急事態宣言が出る前からマスクはしていたが、職場である駅の構内はとても暑い(電車が走らない時間は空調を切るため)ので、作業中はマスクを外していいことになってはいた。が、緊急事態宣言が出ると、皆言われなくても作業中でもマスクを外さず、息苦しいのを我慢しながら作業をしていた。なにしろ初めての緊急事態宣言である。日本中がピリピリしていた(していましたよね?)。ところがそんな中、こやつだけがマスクをしていなかったので、私が、「作業中はマスク外していい、とは言われたけど、緊急事態宣言も出たことだし、状況は変わったんだから、作業中でもマスクはしようよ」と、優しく言った。その頃はもう、こやつは話が通じない奴だというのはわかっていたから、命令口調や高圧的な言い方はせず、優しく言った、つもりだった。

そしたらこやつはこう言い返した。「緊急事態宣言って、何ですか?」……思わず絶句しましたね。その後何度か出されて慣れっこになった緊急事態宣言じゃなくて、初めて出された緊急事態宣言ですよ。日本中が、大変なことになったなあ、という共通認識を共有していたまさにそのとき、緊急事態宣言を知らない奴がいたとは! 驚きで何も言えない私にこやつは続けて、「僕はニュースを見ないからそういうのは知らない。だからマスクはしなくていい」みたいなことを言った。皆さん、どう思います?

今振り返って思うに、緊急事態宣言を知らないのは、世間知らずにもほどがある。が、それだけじゃない。こやつは他にもしばしば、常識をわきまえない、了見が狭い、人としての器量が小さい、ことが丸わかりの言動が多々あった。が、それを恥じるどころか、なぜか自分に自信を持っていて、人の話を聞かず、その狭い狭い了見で物事を独断し、それを人に押し付けようとする。緊急事態宣言を知らなかった、ことを恥ずかしいと思うどころか、反対に、知らないから従わなくていい、という身勝手さが、いい例だ。どうしてこんな自分勝手な考え方ができるのか、不思議でしょうがない。まあ、あまりに浮世離れしすぎて、そんな自分がいかに恥ずかしいか、ということがわからない、あるいは、わかるような物差しを持ってない、ということだろう。迷惑でしょう、こんな奴が身近にいたら。

ちなみにこの時、そのままガンとしてマスク拒否を続けていれば、大騒ぎになって、もしかしたら仕事をクビ(にもなりかねない状況でいたよね、当時は)になればせいせいしたものを、そこまでの根性はなくて(それはそれで腹ただしいが)、その後、私のいないところで現場の責任者に何やらごちゃごちゃ言ってきて、結局それからマスクは作業中にもつけるようになった。多分、マスクがどうのこうのというより、私に言われたことで反発したのだろう。こやつは私より先にここのバイトに入っており、後から入ってきた私に対抗心があるようで、私が何か言うとことごとく反発する。ただ反発することだけが目的で、そこには意味も倫理もへったくれもない。ところが、こんな奴でも長く働いていればバイトリーダーのような立場になるのが清掃という仕事の良いところなのか悪いところなのかはわからぬが、こやつも一応、この現場では一番長いので、あろうことか責任者のような立場となり、それを笠に着て、ちくちく私に文句を言ってくる。その言い方がまた、腹が立つ、というか、癪に障る言い方なんだよなあ、ことごとく。

だから、普通にしていれば、こんな奴でも、まあ、まだ働いているだけましだ、と優しい目で見てあげられる(世間には中年引きこもりも多いというからね)のだが、かように、私にはしばしば文句を言う(その大半はどうでもいいことで、そのまた半分は自分勝手な独断で、そのまた半分は間違っていることをさも自分が正しいように言う)から、私はこやつが嫌いで嫌いでしょうがない。嫌いなあまり、つい悪口が長くなってしまった。いかん、いかん、冷静になって、話を戻そう。

話が通じない人、の話であった。こやつのように、世間知らずで常識外れで了見は狭いし器も小さいのに、人の話を聞かず、身勝手な独断を押し通そうとする人なんかが、“話が通じない人”の一例と言えるだろう。こんな奴でも、清掃の仕事だからなんとか務まっているし、現場によっては責任者にもなれるが、他の仕事、例えば接客とか、チームワークを要する仕事とか、人とのコミュニケーションが重要な仕事はこやつには絶対、無理。断言してもいい。

こういう人を、流行り(じゃないかな?)の言葉で「コミュ障」という。「コミュニケーション障害」の略ですな。なんでも略すのが若者だ。そして、最近の若者は、自分で自分のことを「コミュ障」だ、という人が意外に多い。Youtubeなんか見ていると、そういう人が増えているように感じる。仕事などでコミュニケーションの大切さを身に染みてわかっている大人なら、「コミュニケーション障害」と聞けば、それは大変だ、という感覚があるけど、若者たちは軽く、「私、コミュ障だから」と、悪びれることなく、卑下するでもなく、さらりと言う。それがいいことか悪いことかはわからぬが、まあ、そんな言葉ができたということは、それだけ一般的になった、ということで、一般的に広く認知されれば、対処法もできて(いるのかな?)、今までなら否応無しにつまはじきにされていた「コミュ障」の人々も、少しは生きやすい世の中になってきた、のではないかなあ、という意見がなきにしもあらず、のような気がしないでもない。

「コミュニケーション障害」、略して「コミュ障」は、「発達障害」の一種である。「発達障害」は、発達障害者支援法(というのがあるんですねえ)において、「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」(発達障害支援法における定義 二条より)と定義されています。と、国立障害者リハビリテーションセンター内、発達障害情報・支援センターのホームページに記されている。

ちょっとわかりにくいので、別の文献を引用する。「発達障害とは、生まれつき脳の障害のために言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことができない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称です」。うん、こっちの方がわかりやすいな。「症状の現れ方は、発達障害のタイプのよって大きく異なり、自閉症スペクトラム障害、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害、などさまざまな障害が含まれます。幼少期または学童期から症状が現れますが“変わり者”“怠け者”という誤った認識がなされ、見過ごされているケースも多いと考えられています。社会人になってから、不注意やミスが多いといった症状が目立つようになり初めて診断が下されるケースも少なくありません」。

そして、「発達障害の中でも発症率が高いとされる自閉症スペクトラム障害は、幼児期から他者とのコミュニケーションが極端に苦手、こだわりが強い、融通が効かない、といった症状が見られます」とある。これこそ「コミュ障」だろう。と思うが、「発達障害」について書かれた文献をいくつか見ても、その中に「コミュ障」という言葉は意外に出てこない。恐らく、「コミュ障」という言葉は最近できた流行語のようなもので、医学用語ではないから、だろう。でも、まあ、「他者とのコミュニケーションが極端に苦手」という箇所から、「コミュ障」は「発達障害」の一種である、と、私が勝手に断定する。異論がある方はどうぞ。

で、発達障害は、「社会人になってから、不注意やミスが多いといった症状が目立つようになり初めて診断が下されるケースも少なくありません」とあるが、逆に言えば、発達障害と診断されないまま社会人になった人も多い、ということでもある。先ほど申し上げた、私の清掃の方の職場にいる嫌いなやつもそうだが、こやつはあんまり嫌い過ぎてつい罵詈雑言になってしまい、例えとしてはふさわしくないので、もう1人紹介しよう。

この人は、私のもう1つの職場(介護の方ね)にいる人だが、シフトが重なることがあまりないので、べつに迷惑を被ってはいないし、嫌いなわけでもない(好きでもないけど)。その分、冷静に見ることができるが、この人については見るよりも聞く方が圧倒的に多い。つまり、実際に働いているところを見る時間は少ないのに、彼に関する噂が山ほど入ってくる。そのほとんど、いや、すべてが悪口だ(笑)。まあ、職員はオバちゃんが多い職場だから、ということもあるだろうが、そのオバちゃんたちが、それはもう、ボロクソに彼の悪口を言う。

あんまり悪口が多すぎていちいち覚えていないが、一緒に働いたわずかな時間で私が実際に見た限り、なるほど、仕事は遅いし、雑だし、仕事が遅いので少し手伝ったらそのまま外に煙草を吸いに行くし、こりゃ悪口言われても仕方ないな、とは思ったけど、一方で、そこまで悪く言われるほどでもないかな、とも思った。それぐらいの仕事できない人はいくらでもいるからね。しかし、それは彼が帰った後だった。その職場の中でも一番口の悪いオバちゃんが、「あの人は発達障害よ」と切り捨てる、その意味がわかったのは。

とにかく、1つの仕事を中途半端で放り出す。何かある仕事をやっている途中で別の仕事をしなければならなくなると(そういうことは介護の現場ではよくあります)、その別の仕事にとりかかったまま、その前にやっていた仕事を忘れてしまう。だから中途半端でやりっぱなし、ものをどこかに置きっぱなし、やりかけた仕事を放りっぱなし、が多い。まさにこれが「発達障害」だろう。

ところが、だ。彼はその職場に来る前は、IBMにいた、という。それを鼻にかけているのがまた嫌われる理由の1つであるわけだが、ともかく、IBMという一流企業に入れた人が「発達障害」だとは誰も思わないだろう。それに結婚もして子供もいるようだし、マンションも買った、というから、IBMにいた頃は勝ち組の人生だったのかもしれない。さらに、彼は今の介護の職場で働きながら、ケアマネージャーの資格をとった。仕事はできなくても、勉強はできるのだろう。こういうところが、「発達障害」のわかりにくさ、と言える。まあ、ケアマネの資格をとったらとったで、ケアマネの仕事をやっているふりをしてサボっている、とかなんとか、相変わらず悪口は言われているが(笑)。

このように、「発達障害」は、社会人になってから診断される人も多い一方、傍から見ると明らかに「発達障害」なのに、診断はされず、そのままなんとか社会生活を送っている、というケースも少なくない。先ほどの2人を例に挙げるまでもなく。そして、困ったことに、「発達障害」は現在の医学では根本的な完治が見込める障害ではない。だから、症状とうまく付き合いながら、できるだけ円滑な社会生活を送るスキルを習得することが大切となる。さらに言えば、周りの人々の理解を得る、ことも重要だろう。ただ単に「仕事ができない人」や「変わり者」だと思われ嫌われている人でも、「発達障害」だとわかれば、少しは優しく接してあげられる、かもしれないから。とはいえ、ここまで書いておいてこういうのもなんだが、「発達障害」だからといって、嫌いな奴を急に好きにはなれないよねえ(笑)。そういう意味でも、「発達障害」は難しい。

ここで急転直下、話は変わるが、とある歌をひとつ紹介したい。タイトルは『命の別名』。作詞・作曲は中島みゆき。1998年のリリースで、両A面シングルとして同時リリースされたのが、いまカラオケで若者がこぞって歌う名曲『糸』である。

1998年といえば、もう20年余も前。そんな昔に作られた曲が今の若者の心を捉えている、という事実、これ1つだけでも中島みゆきの凄さがわかろうというものだが、それをいうなら、日本の歌百選に選ばれ、教科書にも載っている昭和を代表する名曲中の名曲『時代』がリリースされたのは1975年。中島みゆき23歳のときだ。ちなみに『時代』は2作目のシングルで、デビュー曲は『アザミ嬢のララバイ』。それにしても、「♪今はこんなに悲しくて、涙も枯れ果てて、二度と笑顔にはなれそうもないけど――そんな時代も、あったねと、いつか笑って、話せるわ♪」という、まるで人生の酸いも甘いも噛み締めてきた人が書くような歌詞を、23歳の若さで書いた中島みゆきは、天才としか言いようがない、と思う。

そんな中島みゆきの『命の別名』と『糸』は、当時ヒットしたTBS系ドラマ『聖者の行進』のW主題歌としても知られ、この『聖者の行進』が知的障害を持つ青年を主人公としたドラマであり、『命の別名』の歌詞もドラマの内容をほぼ忠実に彷彿させることから、この歌は“障害者の歌”とも呼ばれている。私は、発達障害を含め障害を持つすべての人たち、また、その家族や関係者など少しでも障害に関わる人、関心がある人はすべからく、この『命の別名』を聴いて、歌詞を噛み締め、心に抱いてほしい、と願っている。決して大げさではなく。

で、そこまで言うからには、その『命の別名』の歌詞を全部ここで引用したい、と思ったのだが、例によってブログの文章が長くなり過ぎたので、泣く泣く割愛。でも、ちょっとだけ触れると、「♪石よ樹よ水よ誰よりも、人を傷つけぬものたちよ♪」という箇所で、例えのスケールの大きさを感じ、「♪繰り返す過ちを、照らす灯をかざせ、君にも、僕にも、すべての人にも♪」で、相模原だったけ?あの障害者が殺された事件を思い浮かべ、さらに「♪命につく名前を、心と呼ぶ♪」というサビでぶわっと涙が溢れ出す。どういう人生を送ったら、こんな凄い歌詞を書けるのだろう。これはまさに“神”の視点だ。と誰かがいってたが、その通りだと思う。この『命の別名』を聞いたNHKのプロデューサーが、同じような曲を、と依頼してできたのが、伝説の番組『プロジェクトX~挑戦者たち~』の主題歌『地上の星』だという。納得ですな。でも、私は『地上の星』より、エンディングテーマの『ヘッドライト・テールライト』のほうが好きだけどね。

というわけで、「発達障害」にかこつけて、障害者を唄ったとされる『命の別名』を紹介でした。ぜひ、皆さんも実際にこの曲を聴いて、歌詞を噛み締めていただけたら幸いです。今回もまたまた長くなりすぎた(いつものことですが)文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。