国葬

国葬

前回でこのブログとしては珍しい時事ネタを取り上げた。例の安倍元首相銃撃事件ですね。これはもう事件としてはあまりに大きな、衝撃的ともいえる事件だっただけに、スルーするのも逆に変かな? と思い、たまには時事ネタもいいか、ということで、取り上げてみた。けど、やっぱり大きな事件だけあって、その後もさまざまな動きというか、展開が続いているようなので、再度ここで取り上げたい。まあ、前回の続き、と思っていただいて結構です。

その展開の中でも一番大きな動きは、旧統一教会(現在の名称がうろ覚えなのでここではこう表記します)に対する批判の高まり、だろう。霊感商法とか、合同結婚式とか、ああ、昔こういうのあったよなあ、というのが、今の時代もなお続いている、ことにまず驚く。私の世代であれば、合同結婚式といえば、桜田淳子、ですよねえ。たしか、韓国人の一般男性と結婚した、と、聞いたような記憶があるが、現在もその方との結婚生活は続いているのかな? 誰か知っている人いらっしゃいましたら教えてください。

こうした旧統一教会の実態が白日のもとに晒され、世間の注目や非難を浴びるようになったのは、まさしく銃撃犯の目論見通り、といえる。さぞかし犯人の山上くん(もはやくん付け)は、草葉の陰で喜んでいることでしょう(まだ生きてるけど)。いや、もしかしたら、まだまだ手ぬるい!と歯ぎしりしている、かもしれないな。

というのも、最近マスコミは、旧統一教会そのものよりも、旧統一教会とつながりのある政治家探しに躍起になっている、ように思えてならないから。多分、政治家の方が叩きやすいからそういう流れになっているんだろうけど、それも大事かもしれないけど、もっとこう、なんというか、旧統一教会を直撃して、核心にズバッと切り込むような、そういう取材をして、報道してほしいなあ、なんて、勝手ながら思うわけですよ。今はもう離れてしまったけど、かつてマスコミの末端に身を置いていた私としては。山上くんもきっと、同じ気持ちだと思いますよ。マスコミの皆さん、頑張ってください。

そうしてゆくゆくは、旧統一教会なんてものは日本から完全に撤退してもらって、それでもやるなら韓国にお戻りになられて、勝手にやっていただきたい、と、信者以外の日本人なら皆そう思っているに違いない。のだが、それは置いといて、今回はもう一つ、事件後の流れの中で思わぬところから飛び出してきたこの話をしたい。そう、「国葬」の話である。

なんでも安倍さんの葬いを「国葬」にしよう、ということで、もう日取りも決まっているのかな? これに野党が猛反発、絶対反対しているのは皆さんもご存知の通り。皆さんはどう思います? 私の周りでは、聞いて回ったわけではないけど、反対の人が若干名。賛成の人は今のところいない。ニュースを見ていると世間の意見もやや反対のほうが大きい模様。私ですか? どっちでもいいけど、どちらかといえば、反対、かな。

「国葬」とは、国家に功労のあった人(君主、皇族、王族、政治家、軍人、学者、芸術家、宗教家、環境保護活動家など)の死に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のことである。とは、ウキペディアより。環境保護活動家が入っているのが今どきですな。宗教家、というのは恐らく海外での話だろう。日本ではありえないよねえ。

この「国葬」が明文化されたのは、1926年(大正15年)10月21日、国葬令(大正15年勅令第324号)の公布により規定された。それ以前、明治時代にも国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする勅令が個別に発せられている。

伊藤博文の画像

国葬された人物の一覧をみると、大久保利通を筆頭に、岩倉具視、三条実美、島津久光と続く。伊藤博文の国葬は1909年(明治42年)11月4日。明治天皇は1912年(大正元年)9月13日。大山巌、山県有朋、東郷平八郎、そして山本五十六と、軍人も名を連ねている。

しかし、第二次世界大戦後は国葬令が失効。それによって規定された「国葬」はなくなった。ここ、注目ですよ。つまり現在は、正式に規定された「国葬」というものは、ない、ということだ。従って、第二次世界大戦以降、「国葬」は行われていない、はずなのだが、何事にも例外はあるもので、戦後にたった1人、「国葬」された人がいる。

そうです。「国葬」の話題になると必ずといっていいほど出てくるので皆さんもご存知でしょうが、吉田茂、ですね。戦後「国葬」されたのは吉田茂ただひとり。もし安倍さんが「国葬」されれば、吉田茂と並ぶ国家功労者、ということになる。

そりゃあ、まったくもって無理な話じゃけん、と、私はなぜか広島弁でそう思う。だって、安倍さんの功労って、何? そもそも一度政権を放り出した人ですぜ。それで長期政権つったって、どうしても安倍さん本人の実力でなく、たまたまだった、としか思えない。日本が国際的な競争力を失い、もはや先進国ではない、とか、失われた30年、とか言われるのも安倍政権への評価でしょうよ。

まあ、批判するのは簡単で、良かったところも探せばあるんだろうけど、私にはそれはわからない。私が安倍さんの政策の中でも忘れられないのが「アベノマスク」だ。これ、お笑い種として後世に語り継がれるべき愚策であった、と思う。その後の10万円給付にしても、これで助かった、という人もいるかもしれないけど、それは少数派で、ほとんどの人は、くれるというなら貰うけど、政策としては、なんだかなあ、と思ったに違いない。

アベノマスクの画像

そもそも行政が、現金を配る、というのは、もはや行政にはよい政策もアイディアもありませ~ん、と言っているのと同じことだ、と、私は思っている。古い話になるが、ふるさと創成資金とかなんとか言って全国の自治体に1億円をバラ撒いた、あの時からそう思っている。あの後、1億円が役に立った、という話はほとんど聞かれず、変なことに使ったり、無駄だった、という話ばかり聞いたからね。その頃から、現金を配る、ということはすなわち、行政が自らの無策無能を表す、というのが私の自論である。

国民から税金を集めるなら、その使い道には知恵を絞るのが行政というものだ。たとえば、これはもっと古くてしかも外国の話であるが、1930年代のアメリカでフランクリン・ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策(説明なしでもわかると思うけど、知らない人は自分で調べてね)のような。現金給付は最後の手段と心得よ。その前にやるれることはあるはずだ。現金を配るぐらいなら、減税のほうがよっぽどまし。批判されたクーポン券だって、やり方がまずい(利権絡みもあったけど)だけで、うまくやれば現金給付よりもよほど景気対策になるはずだ。と、私は主張したい。

話を戻すが、そんなふうに愚策ばかりが目立った安倍さんが、あの吉田茂に匹敵する功労者なんて、冗談としか思えない。しかも、戦後は「国葬」に正式な規定はないから、もし安倍さんが「国葬」されれば、“例外”となり、そういう意味でも吉田茂と並ぶ。歴史にも残る。やっぱり、冗談としか思えない。だから私は「国葬」には反対。あ、先ほど、どちらでもいいけど、どちらかといえば「反対」と言ったけど、違いますね。断固、「反対」だな。皆さんはどう思います?

というわけで、本当に安倍さんの「国葬」は行われるのか、それとも野党の反対に屈して取り止めになるか、引き続き注目したい。もちろん旧統一教会もね。それはそうと、コロナも感染者数が過去最高を更新し続けでこの先どうなるんだろう? 加えて、猛暑で熱中症も急増中。円安やロシアのウクライナ進攻で食料品などかつてない値上げラッシュ。まあ、何かと大変な世の中ですが、皆さんご自愛下さい。遅ればせながら暑中見舞いの意も込めて(付け足して)、今回はこれにて。