キュビズム

今年の桜の開花は、昨年より15日も遅かったそうですね。なんでも2012年の3月31日開花以来、12年ぶりの遅さ、だとか。あ、これは東京での話です。で、例によって介護施設での夜勤中にこの原稿を書いているが、「開花宣言」が出たのはこの日の昼。その前日に出るか、出るか、と注目されたものの、靖国神社だかどこかの桜が4つしか咲いてないので、この日は見送り、だとさ。5つ咲かないと「開花宣言」は出せない、らしい。

いやいや、その5つ咲かないとダメ、って、誰が何の根拠があって5つと決めた? 4つも5つもたいして変わらんだろう、と、毎年恒例のこの騒ぎを見る度に思う。そもそも、「開花宣言」って、要る? 桜が開花したかどうかなんて、見りゃわかるんだから、わざわざ宣言しなくていいよ、と思うのは私だけだろうか?

まあ、毎年この時期になると、今年の花見をいつやるか、というのが人生最大の関心事となる人もいるわけで、そういう人にとっては、「開花宣言」は重要なことなんでしょう。それはわからんでもない。でも、それにしたって、開花してから満開までに数日かかるわけだから、満開予想だけあればよくね?

なんて憎まれ口を叩いておきながらなんですが、じつは我々、すでに花見、やっちゃいました。昨年とほぼ同じメンバーで。もちろん桜は全然、まったく咲いてなかった。そりゃそうだ。その花見の当日はまだ開花宣言さえ出てなかったんだから。

ったく、なんでそんな日に慌てて花見をする必要があった? 開花宣言が出るのを待って、満開予想と照らし合わせれば、多分、今週末ぐらいが満開の見頃だろう。つまり花見するなら今週末あたりが絶好機。なのになんで? と、今になって思うが、まあしょうがない。我々メンバーの中にも花見が人生最大の関心事、というヤツが1人いて、彼が昨年の感覚で日程を決めたのだから、花見が人生最大の関心事ではまったくない私は、従うしかない。飲めりゃなんでもいいか。

でもまあ、桜はまったく咲いてなかったけど、思ったより寒くはなくて、それなりに楽しめましたけどね。今年はなぜか妙に張り切って、わざわざデパートの物産展まで買い出しに行き、近江牛の高級肉を仕入れてきたヤツがいた。他に、鉄板焼きもできるアウトドア用のバーベキューセット(名称はわからないけど)を持参した人もいた。

その鉄板でただ焼いただけの近江牛を、焼肉のタレがなかったので醤油をつけて、食った焼肉は、どえらく旨かった。今思い出しても涎が出るほどだ。酒も持ち寄りの選りすぐりの逸品揃い。まあ、要するに、旨い酒飲んで旨いもんが食えりゃ、桜が咲いてようが咲いてなかろうが、どうでもいい、ってことだな。

あっと、季節柄つい花見の話をしてしまったが、今回のテーマは花見ではない。「キュビズム」である。はい、何それ? ですよねえ。「キュビズム」なんて言葉、聞いたこともない。という人がほとんどだと思います。私もそうでした。今年初め、上野の国立西洋博物館で解された『パリ ポンピドゥーセンター キュビズム展 美の革命』を観るまでは。

同展は、ポンピドゥーセンターと国立西洋美術館という、日仏の代表的な国立美術館の共同企画による、日本ではなんと約50年ぶりの「キュビズム」の大型展覧会。初来日作品が50点以上に及ぶ約140点を一堂に集め、20世紀美術の真の出発点となった「キュビズム」の全貌を明らかにする。

とはパンフレットからの引用で、本展を一度観ただけで「キュビズム」の全貌を明らかにするのはさすがに無理だと思うが、まあ続けよう。「ポンピドゥーセンター」は、フランスのポンピドゥー元大統領によって構想され、パリに1977年に開館した複合文化施設。中核を占める国立近代美術館の近現代美術コレクションは世界屈指の規模を誇り、「キュビズム」の優品を多く収蔵している。プリツカー賞を受賞した2人の建築家、リチャード・ロジャースとレンゾ・ピアノによって設計され、カラフルな配管やチューブ状のエスカレータがむき出しになったユニークな外観でも知られている。

その外観は、開館当初こそあまり斬新すぎて批判もされたが、現在ではすっかりパリの美術界を代表する存在の1つとして認められている。というのはパンフレットの引用ではなく、私が別のところから聞いた話だが、そんなものがあるのなら、生きているうちに一度は行って見たいものだ。ローマ展で知った「カピトリーノ美術館」と同様に。

The Centre of Georges Pompidou

ポンピドゥー・センター

しかし問題は「ポンピドゥーセンター」ではない。そこに数多く収蔵されているという「キュビズム」とは、一体いかなるものか?であるが、これが難しいのよねえ。わからないから観に行ったわけだけど、観たからといってわかるもんでもない。というのが、実際に同展を観た私の感想である。

それでは話にならないので、パンフレットからの引用の続き。「20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人に芸術家によって生み出されたキュビズムは、西洋美術の歴史にかつてない変革をもたらしました。その名称は、1908年にブラックの風景画が『キューブ(立方体)』と評されたことに由来します。伝統的な遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的に平面化された形を用いて画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました。キュビズムが開いた新しい表現の可能性はパリの若い芸術家たちに衝撃を与え、瞬く間に世界中に広まり、以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼします」

うーん、これでわかります? なんかすごそうな、いかにも重大なことであるのはわかるけど、それが具体的にどんなものかはわからない。繰り返すが、実際に同展を観賞した私でもいまいちわからない。わからないくせに、なぜそんな展示会へ行った? と聞かれれば、そりゃもう、勢い、それだけです。

これは過去ブロウで何度も述べているが、私は昨年秋頃からなぜか美術鑑賞に目覚め、やまと絵から南城の仏像、ゴッホ、ローマ、モネと立て続けに、手当たり次第に鑑賞した。その勢いのまま、キュビズムはわからなくても、ピカソぐらいは知っている、ただそれだけで当キュビズム展も鑑賞した次第。ピカソは知っているといっても、ただ名前を知っているだけで、作品としては「ゲルニカ」しか知らないから、この機会にもっとピカソを見てみたい、というのはあったかな。

そんな無知の素人が身の程知らずにも鑑賞した「大キュビズム展」。これが意外と、思ったよりもはるかに、面白かったんだよねえ。いや、わかった、とは言わないよ。今でも「キュビズム」を理解した、とは到底言えない。けど、わかからないなら、わからないなりに、面白い。というか、忙しい。

というのは、絵をみても何を描いているのかわからないから、絵の横に添えられた説明書きを食い入るように読む。読めば、そうか、と納得して画家の想像力やインスピレーションに感心したり、納得できなくても画家の意図など最小限の情報さえ得られれば、「キュビズム」というものの一端を感じられて、ちょっと嬉しい。そうした情報量が、他の展示会と比べて圧倒的に膨大なのだ。いうなれば、観る、より、読む、のほうが忙しい展示会であった。

私なんか、名も知らぬ画家の絵が多かった中、ピカソやセザンヌ、シャガールなど知っている(といっても、ただ名前を聞いたことがある程度だけど)画家の絵を見つけただけで、何か知らんけど、ホッとしたからねえ。これはヨーロッパや中南米など英語圏外の国へ行ったとき、英語は喋れないくせに、英語を聞くとホッとする、その感覚に似ているかも、と個人的に思った。

あと、本展はなぜか、写真撮影OKの絵が多かったので、調子に乗ってたくさん撮りまくった。写真があるなら、それをそのまま掲載するに越したことはない。百聞は一見に如かず。下手な説明休むに似たり。と思ったのだが、改めてみると、撮ったはいいものの、それが誰の何の絵かがわからない。中には、タテかヨコかさえわからない写真もあった。

それらをわからないまま載せるのもなんなので、珍しく鑑賞後にギフトショップで買ったガイドブックやパンフレット、あるいはインターネットで画家とタイトルが確認できたものだけを以下に掲載して、今回は〆とする。たまにはこういうのも、いいんじゃない?

「ロベール・ドローネ―《パリ市》」(日本初出品。壁一面の大作でパンフレットにも使われており、本展の代表作らしい)

「パブロ・ピカソ《輪を持つ少女》」(こちらもパンフレットの表紙に使われている作品。これが少女に見える?)

「パブロ・ピカソ《肘掛け椅子に座る女性》」

「パブロ・ピカソ《女性の胸像》

「マルク・シャガール《ロシアとロバとその他のものたちに》」