笑福亭笑瓶と松本零士

例によって介護施設での夜勤中にこの原稿を書いていると、テレビで先日(一応確認したら2月22日でした)お亡くなりになった笑福亭笑瓶さんのお通夜が行われた、とのニュースが流れていた。場所は築地本願寺。そう、私たちアラドラのメンバーが初詣に行ったところですな。

まあ、築地本願寺については、これまでも多くの有名人の葬式やなんかが行われている、いわば定番のようなものなので、とくに言うことはない。それよりも、注目すべきは、死因ですよ、シイン。聞くところによると、笑瓶さんの死因は、急性大動脈解離といい、それ以前にもゴルフ中にこれを発症して救急車で運ばれたことがあるという。そして今回もこれでトドメを刺された、らしいですね。

この急性大動脈剥離、どんな病気かいうと、大動脈の内膜に亀裂が入り、裂けた部分に血液が入り大動脈に平行して血管が剥がれ、二重構造になってしまう救急疾患、だそうです。うん、何だかよくわかりませんね。

わからないけど、誰にでも分かるよう説明するのは私の能力では無理なので、気になる方は自分で調べてください。要するに、高血圧により大動脈が劣化して起こる症状、らしいです。つまり、高血圧が危ない、ようなので、血圧がお高めの方は要注意。はい、私もかなり血圧高めなので、気をつけなきゃ。

話は戻りますが、笑福亭笑瓶さん、享年66歳。あまりに早すぎる、とは、お悔みを申し上げた皆さん口を揃えて言っておられました。私もそう思います。その少し前(一応確認すると、2月13日でした)には漫画家の松本零士さんが亡くなりましたが、こちらは享年85歳。私にいわせれば、85歳でもまだ若い、ですけどね。なにしろ私が勤務している介護施設では90歳過ぎが当たり前ですから。

では、ここで質問です。笑福亭笑瓶さんと松本零士さんの、有名人であること以外の共通点は、何でしょう? 答えは、私が会った(インタビューした)ことがある、です、チャンチャン。そんなん知らんわ!と思われた方、失礼致しました。ふざけているようですが、これも話の流れということで、ご容赦ください。

インタビューというのは、私が某夕刊紙の記者をやっていた頃(だからずいぶん昔の話ですが)、その夕刊紙の企画で行った取材でした。たしかクライアントはJT(日本たばこ、でいいのかな?)で、分野を問わず様々な著名人に話を聞いて、記事にするという、つまり毎回登場人物が変わる連載企画で、そのうち私が担当して取材した(=話を伺った)何人かの著名人の中に、笑福亭笑瓶さんと松本零士さんがいらした、と、そういうわけであります。

献花台の写真

その連載企画は、連載といいながらさほど長くは続かなかった、と記憶している。ということは、私が笑福亭笑瓶さんと松本零士さんを取材した時期も、長い目でみれば、ほぼ同時期と言っていい。そのお二方が相次いで亡くなったのだから、私個人の勝手な思いながら、感慨はひとしおだ。お二方とも、もしご存命でも私のことなんか覚えていない、だろうけど、ここに心よりご冥福をお祈りする。

それにしても、せっかく、このお二人の有名人と直接お会いして、1対1でインタビューさせて頂いたというのに、その話の内容をほとんど覚えていない、のは情けないし、もったいないなあ。いま必死で思い出せる限りでいうと、その連載企画のテーマは、「ひとのときを思う」というものだった。かつてJTは、テレビCMなんかでもこれをキャッチコピーのように使っていたのを、覚えておられる方も多いと思う。

「ひとのときを思う」。もっともらしく聞こえるけど、よくよく考えれば、意味がわからない。というか、色んな意味があるようなないような、曖昧で捉えどころのない言葉ですな。まあ、JTという会社の都合上、こういう曖昧な表現になってしまうのは致し方ないのはわかる(そのへんの事情はややこしいので説明は省く)が、そんなテーマがテーマだけに、インタビューの趣旨も曖昧ではあった。たしか、「ひとのとき」ということで、人生で最高の時は?などといった質問をしたと思うが、それにしても、大雑把な質問だよねえ。

質問がそんなふうに大雑把だから、その答えもとっ散らかって、というと失礼だな、人によってさまざまな方向に話が飛んで、よく言えば、千差万別、悪く言えば、まとまりのない連載企画だった(そのせいで短命に終わったのかもしれない)。

そんな中で、笑福亭笑瓶さんの話はどうだったか、覚えている限りでは、「幼い頃から人を笑わせたり、喜ばせたりすることが大好きだった。だから今、芸人となり、人を笑わせることを仕事にできて、幸せだ」というような話だった、とうっすら記憶している。そうか、笑瓶さんが思う「ひとのとき」は、人を笑わせているとき、なんだろうなあ。合掌。

これに対し、松本零士さんは、たしか、故郷の福岡から上京したときの夜行列車、の話をしてくださった。まだ新幹線がない時代の夜行列車の社内で過ごした時間。青雲の志と将来への希望で胸いっぱいながら、同時に不安で胸押し潰されそうな青年の心境。これは、私も同じ福岡県出身ということもあり、時代は違えど(私のときはもう新幹線が開通していた)ものすごく共感したなあ。だからこの話だけは覚えている。

夜行列車の写真

今思えば、松本零士さんが思う「ひとのとき」が夜行列車、というのは、さすが「銀河鉄道999」の作者ですな。銀河鉄道のモチーフが、かつて福岡~東京間を走った夜行列車、だと思うと、嬉しいね。

ちなみに、福岡県の「北九州空港」には、メーテルのロボットがあった。私も実際に見たことがあるが、メーテルが音声と身振りで案内してくれるという、つまり人型ロボットの走りだった。北九州は進んでいた。

しかし、今回この原稿を書くにあたって確認したところ、ロボットは経年劣化で姿を消し、現在は代わりにメーテルの等身大フィギュアがあるそうな。残念だけど、まあ、ファンにとってはロボットでなくてもフィギュアでいいか。興味のある方はぜひ北九州空港へ。ということで、今回のアイキャッチ画像はそのメーテルの等身大フィギュアにしてみました。(ネットで拾ってきました)

もう一つちなみに、北九州空港にメーテルがいたぐらいだから、私はてっきり、松本零士先生は北九州市の出身かと思っていたところ、このたびの訃報で初めて知ったが、じつは久留米の出身なんですね。久留米といえば、松田聖子とか、チェッカーズとか、ミュージシャンを多く輩出している地。同じ福岡県でも、福岡市(博多)や北九州とはまた違った文化があるようで、博多っ子を自認している私にはあんまり馴染みがないなあ、同じ県でも。

あ、ついでに言うけど、私は福岡市と北九州市の間にある宗像市というところの出身で、ほんとは全然博多っ子ではないんだけど、通っていた高校が福岡市内で、かの有名なお祭り「山笠」の当該地域のど真ん中。私は残念ながら山笠を担いだことはないけど、山笠の期間は学校を休める級友をうらやましく思っていたものだ。

しかも、若い人は知らないだろうが、あの名作漫画「博多っ子純情」の作者も同高校の卒業生。つまり私の先輩というわけですから、まあ、私が博多っ子と言い張っても、当たらずとも遠からず、だと勝手に思ってます。

おっと、私の話はいいか。松本零士先生の話に戻す。松本先生へのインタビューは、先生の自宅で行われた。練馬区のどこか(覚えていない)の住宅街の中にある、豪邸といえば豪邸だけど、さほど周囲から浮かない程度の、他の家よりもちょっと大きいぐらいの一軒家。中もわりと乱雑で、生活感に満ちていた。なぜか飛行機の座席が無造作に廊下に置かれていたのを覚えている。

宇宙の画像

そんな中、インタビューを受ける部屋はに、そのために描いたとおぼしき宇宙の絵が壁一面に描かれていた。つまり自宅で取材を受けると、その背景は決まってこの宇宙の絵になるわけだ。テレビや雑誌等で見たことある人も多いのではないだろうか。その宇宙の背景を実際に見た、というだけでも貴重な経験だったなあ、と今にして思う。松本零士先生、その節はお世話になりました。合掌。

あ、もう1つだけ言わせてください。松本零士といえば、先述の「銀河鉄道999」か、「宇宙戦艦ヤマト」か、「キャプテンハーロック」か、そのあたりを思い浮かべる人が多いかと思う。あるいは、「男おいどん」を挙げるマニアも少なくはないだろう(三谷幸喜もそう言ってた)。しかし私は、松本零士作品の中で何が一番かというと、それは一連の“戦争もの”である、と、そう思う。

追悼番組でも触れていたが、松本先生は父から従軍体験を聞き、それを漫画にして発表していた時期がある。その作品が、どれも短編ながら秀逸で印象深くて、私は幼い頃に兄が持っていた漫画を盗み読みしていたが、今でも鮮烈に覚えている。その頃はまだ「男おいどん」の画風で、戦争の悲惨さ、理不尽さをユーモアを交えて伝えるその手腕が大変素晴らしく、反戦教育の教材としても優れていた、と個人的に強く思っている。

なのでこの機会に、銀河鉄道も宇宙戦艦もいいけど、今はあまり日の目をみない(ように思われる)一連の松本零士の戦争漫画をぜひ、改めて読んでいただきたい、と願いつつ、今回はこれにて。また文章長くなってすいません。