鍵屋

鍵屋 外観

前回から引き続き、鶯谷飲み2日目のお話です。というと、ご存じない方は、タイトルが違うじゃねえか、と思われるかもしれませんが、ご安心ください。「鍵屋」という名前の居酒屋が鶯谷駅から徒歩3~4分、住所でいえば「根岸」にありまして、前回の鶯谷飲みの日は日曜で「鍵屋」はお休みだったので、その次の週の今度は土曜に、満を持して、というか、わざわざ予約して、行ってきました。というのが今回のお話。前回予告した通り、鶯谷飲み2日目ですよ。

「鍵屋」の創業は安政3年(1856年)。安政といえば、当時の大老・井伊直弼が「安政の大獄」というバカなことをやって、桜田門の変で殺された、そんな時代である。つまりまだ徳川幕府が政権を握っていた江戸の世に創業し、今年で167年を数える老舗中の老舗、それが「鍵屋」というわけだ。

私はこの「鍵屋」をYouTubeで知るまで、東京最古の居酒屋は神田の「みますや」(最寄り駅は都営新宿線・小川町)だと聞いていた。しかし、調べてみると、「みますや」の創業は明治38年(1905年)。なんだ、「鍵屋」の方が全然古いんじゃん。と、思ったがさにあらず。「鍵屋」の創業当時は酒問屋で、店の一角で酒を飲ませる、今でいう“角打ち”もやっていたらしいが、純粋な居酒屋とはいえなかったようだ。

諸説はあるが、「鍵屋」が居酒屋となったのは、どうやら昭和24年から。しかも、昭和49年に現在の古民家に移転している。それに比べると、明治の世、日露戦争が集結した年に創業し、当初からその頃広がりつつあった居酒屋形式で開店、今も変わらずその地で営業し続けている「みますや」の方が、居酒屋としての歴史は古い。

ただし、「みますや」の創業時の建物は、大正12年の関東大震災で焼失しており、現在の建物はその後に建てられたもの。これに対し、「鍵屋」が移転して現在も営業中の古民家は、大正元年築の日本家屋を改装したもの。つまり築年数だけでいえば、「鍵屋」の建物の方がやや古い。ちなみに「鍵屋」が移転する前の旧店舗は、その歴史的価値ゆえに、現在は東京都小金井市の「江戸東京たてもの園」に移築して保管され、今でも見学できるという。

結論として、「鍵屋」と「みますや」はどちらが古いか。居酒屋という形式にこだわるのであれば、やはり“東京最古の居酒屋”の称号は、「みますや」に軍配を上げざるをえないだろう。だが、居酒屋にこだわらず、酒を出す店としての歴史、あるいは屋号、あるいは建物の歴史的価値、などなどを総合的に鑑みれば、「鍵屋」こそが東京随一の老舗、といっても決して過言ではない。と私は思う。

まあ、どっちが古いか、なんてどうでもいいか。鶯谷飲みの話に戻る。その日、先週同様、東京国立博物館で芸術の秋のひとときを過ごした後、鶯谷駅の反対側までテクテク歩いて、予約した午後5時少し前に辿り着いた「鍵屋」。すでに店前に置かれた腰かけ(あえてベンチとは言わず)に4、5人座っていた。さすが、人気あるなあ。

でもまあ、これぐらいなら予約しなくてもよかったかな、とも思ったが、きっかり5時に門が開き、古民家なので店というより個人宅にお邪魔するような感覚で玄関から入り、靴を脱いで小上りの座敷席に腰を落ち着ける、その間にも次々と客が入って来て、さほど広くない店内はほぼ満員状態に。やっぱり予約しておいて正解だったな。ちなみに予約した時、制限時間は90分、と言われた。まあ、90分あれば十分でしょう。

店内の雰囲気は、百聞は一見に如かず、ぜひご自身で一度足を運んで実際に体感してほしい。まるで映画のセットか、歴史資料館の一角か、そんな時代を感じさせる空間が、エイジングした造り物ではなく、実際に営業を続けてきた時の流れの中で醸された本物であることに感動すら覚える。今も現役なのが信じられない燗付器(熱燗をつける専用の鍋ね。正式名称はわからない)なんか、博物館級の貴重品ではないか。

熱燗

その雰囲気もシブいが、メニューもシブい。品数はさほど多くはない、というか、はっきりいって居酒屋にしては少ない。が、長年に渡る営業の過程で極限まで絞り込まれた、という印象で、その一品一品が、なんというか、他とはちょっと違う、独特の存在感を放つ。

お通しは煮豆。あっさり薄味だけど、今回同行したオジさんが「妙にうまい」と絶賛。にしても、お通しって、普通は日替わりだと思うけど、ここではいつもこれらしく(毎日かどうかはわからない)、後で知ったが、もはやこのお通しの煮豆も名物の1つになっているのだとか。お通しまで名物って、すごくね?

この日、注文したのは、「うなぎ くりからやき」「味噌おでん」「とり皮焼き」「たたみいわし」「さらしくじら」「ところてん」など。「うなぎ くりからやき」と「味噌おでん」は予めYouTubeで見て名物だと知っていたが、「たたみいわし」なんかは完全に雰囲気で頼んだ一品。これ出す店ってなかなかないよねえ。「さらしくじら」も懐かしの味。「ところてん」もこれが酒のつまみ?との興味から。とにかくシブいラインナップである。

味は、どれも美味しいけど、店の雰囲気が美味しく感じさせるのか、雰囲気に合うものを選んでいるから美味しいのか、まあ両方でしょうな。「ところてん」なんか、正直ほとんど味なんかないのに、それでも美味しくチュルチュルと食べてしまうのは、やっぱり雰囲気に騙されて、というと言い方が悪いな、雰囲気に酔っているから、であるのは明らかだ。普通はそんな、旨い旨いといって食べるもんでないしねえ、ところてん。

というわけで、90分の時間制限もあることだし、ここはそれぐらいでサクッと切り上げて、次へ。ほんとは「煮奴」とか、「とりもつなべ」または「とり皮なべ」とか、〆の一品を食べてもよかったんだけど、それは次回のお楽しみ、ということで。なにしろ鶯谷飲みだからね。2軒目3軒目が控えているから、ここで腹一杯になるわけにはいかぬ。

ちなみに「鍵屋」は、女性1人客はもちろん、女性だけのグループでの入店は不可。今時珍しい、というより、人権に過敏な現代ならどっかから訴えられそうなルールであるが、なんでも先代の女将の遺言だそうで、店側も時代錯誤だとは思いながらも止めるわけにはいかないらしい。ただし、女性グループの中に男性が1人でもいればOK、とのこと。女性の皆さんの中で「鍵屋」に行きたい方は、男性に同伴を願いましょう。同伴してくれる男性がいない、という人は、不肖、私めがいつでもお供致しますので、ご遠慮なくお声がけください。

続いて2軒目、の前にちょっと寄り道して、近くにある「旧陸奥宗光邸」を見学。といっても、現在住んでいる人がいるようで中には入れず、外から見るだけだけど。ここは私もそれまで知らなくて、今回「鍵屋」の予約をした後、場所の確認のため下見に行った(帰り道だからついでに)際、偶然見つけた。

陸奥宗光は、教科書的には欧米との不平等条約の改正に成功したとして、小村寿太郎と並び賞される外務大臣。“カミソリ大臣”との異名もあるほど、切れ味鋭い、有能な政治家だったようだ。が、歴史好きなら、若かりし頃は坂本竜馬の海援隊で、竜馬の腰巾着とも金魚のフン(は言い過ぎか)とも呼ばれた陸奥陽之介、の方が親しみ深いだろう。

その陸奥宗光もここ「根岸」に住んでいた、というのは初めて知ったが、看板の解説文によると、住んでいたのはごく短い期間だったらしい。それもあってさほど知られてはないが、文学の薫る「根岸の里」に歴史の一篇を加える貴重な施設である。皆さんも鶯谷へお越しの際はぜひお立ち寄りを。中には入れないけど。

で、鶯谷飲みの2軒目だが、場所が近いこともあり、先週(つまり鶯谷飲み1日目)に行こうと思ってたけど、結局行かなかった、牡蠣専門店「もりもり」を訪ねた。ところが、なんと満席で入れない。しまった、ここも予約するべきだった。が、時すでにおすし。後悔先に勃たず。違った、立たず。

仕方がないので言問い通りを渡り、渡ったついでに、前回でも触れた、予約とれないことで有名な焼肉屋「鶯谷園」へ。性懲りもせずダメもとで入り、案の定、ケンモホロロに断られる(これ、お約束です)。その後、そのすぐ隣の隣ぐらいにホルモン焼きの店を発見。「鶯谷園」の代わりじゃないけど、2軒目は焼肉とあいなった。

ホルモン焼き

この店、入口は狭くて目立たないが、中に入れば奥行きが意外に広く、ホルモン焼きといいながら普通の焼肉屋仕様で、メニューも普通の焼肉屋。ホルモンよりもロースやカルビといったメニューが多い。なのに表の看板でホルモンと謳っているのは、今考えるに、隣の「鶯谷園」があんまり有名で人気だから、差別化を図ってホルモンを打ち出したとみえる。

しかしそんなことは気にしない我々一行、普通に焼肉をジャンジャン焼いて、ドンドン食べる。先ほどまで「鍵屋」で歴史の重みを感じながらシブく飲んでいたのが、一転して、あたかも仙境から俗世間へ還ってきたかのように、俗にまみれて焼肉ホルモン、ユッケにビビンバ。たまたま見つけたにしちゃ、美味しい焼肉で大満足。もしかしたら、隠れた名店を発掘してしまった?などと褒めるくせに、その店の名前は憶えていない。写真撮るのも忘れた。しょうがねえなあ。

ただ、たまたま我々が座った席だけかもしれないけど、壁一面に昭和のアイドルのレコードジャケットがびっしり貼ってあったのを覚えている。聞けば、オーナーの趣味だというが、そんなのはどうでもいいか。まあ、店名は覚えてなくても、また鶯谷へ行けばすぐわかるでしょう。上野みたいに店が多くないので。

というわけで、すでに2軒目で腹一杯になってしまったが、せっかくだから3軒目。前回も行った「信濃路」へ。前回も行ったので違う店にしてもよかったが、今回の同行者でまだ「信濃路」へ行ったことがない、という人がいたので。行ったことがない、という人を連れて行きたくなるのが、「信濃路」である。

「信濃路」で、改めて飲み直しつつ、さすがに腹一杯だったのでつまみは少々。だけどなぜか〆にカレーを食って、鶯谷飲み2日目は終了。前回いたインド人は、今回も元気よく働いていた。が、同じインド人か、別のインド人か、それはわからない。まあ、それはどうでもいいか。酔っ払いの戯言で失礼しますた。ではまた。