諸事情により前回からしばらく間が空いてしまい申し訳ございません。どんな事情があったのかの説明はおいおいするとして(しないかもしれないけど)、しばらく間が空いた後にお送りする今回は、しばらく間が空いたので覚えていないとは思いますが、しばらく間が空いた前回で告知した「モネ」の話です。しばらく間が空いたことなど気にせず参りましょう。しばらく、しばらく。
いえね。昔私が博多にいた頃、わりと有名なラーメン屋で「しばらく」という名前の店があって、そこの店主は注文が入ると、ほんとに「しばらく」と返事していたのを思い出しまして。ちょっと粋じゃない?しばらく。そういえば私が上京してしばらくしてから、その「しばらく」ラーメンも東京に進出したという話を聞き、わざわざ探して食べに行った記憶があるなあ。一回だけだけど。今でもあるかなあ?しばらく。なんて初っ端から話が脱線してしょうがないな。このブログ書くのもしばらくぶりなのでお許しください。
ここから本題。昨年から今年にかけて上野の森美術館で開催された『モネ 連作の情景』という展覧会を見に行きました、という話であった。何度も繰り返して恐縮だが、私は昨年秋頃からなぜか突然、何があったわけでもなく、唯々むやみに美術鑑賞に目覚め、東京国立博物館で開催された『やまと絵~受け継がれる王朝の美~』展を皮切りに、同じく東京国立博物館で『京都・南山城の仏像』展を、さらに新宿のSOMPO美術館で『ゴッホと静止画 伝統から革新へ』展と、たて続けに鑑賞した。
やまと絵や仏像もよかったが、とくに強烈なインパクトを受けたのは、やはりゴッホだった。フィンセント・ファン・ゴッホ。ちなみに、その後たまたまテレビで見たけど、欧米では、ゴッホ、と言っても通じないらしい。では、何と言えばいいのかというと、ファンゴー、だって。やっぱりファンは省略しちゃいけないんだね。出川の初めてのお使い(わかる人はわかりますね)でやっていた。
まあそれはいいとして、じつは内心、密かに心配していたことがある。なにがって、美術鑑賞に目覚める以前は、かれこれ20数年ぐらい、ずーっと、美術だの芸術だの高尚なものとはまったく無縁で、ほぼ仕事のみの毎日。それもいわゆる底辺の仕事がほとんどのブルーワーカーの私、こんなオッサンが今さら美術館や博物館へせっせと通っても、果たして感動できるのか? しかも歳も歳だし、若い時分のような感受性など擦り減ってしまっているのではないか? なんてね。
しかし、そんな心配は杞憂だった。先に挙げた3つの展示会はいずれも大変面白く、興味深く、期待以上であった。心底行ってよかった、と思った。まあ、若い頃に比べたら感受性が衰えているのは否めない。それでも、この歳になって新たに心動かせるものに出会えたのが嬉しい。見栄を張るでもなく、カッコつけるでもなく、素直に、人生にはこういう時間が必要だ、と、改めて思う。
というわけで、突然意味もなく沸き起った美術鑑賞欲は、観たものすべてが悉く良かったことで拍車がかかり、ゴッホの次はモネだ、おっとその前に、東京都美術館の『永遠の都 ローマ』展にも行かなきゃ(終了間近だったので)、などと俄然勢いづいた。
そのローマ展の話は前回ブログで書いたので、今回はいよいよ、待望のモネ、というわけだが、じつは、このモネ展の前評判は、決して芳しくはなかった。いや、これはモネというより上野の森美術館に対しての評価だが、曰く、箱が狭い、観客誘導の手際が悪い、など結構辛辣なコメントが寄せられていた。一方で、連日行列ができるほどの人気ぶり、といった報道もあったが、それはまるで観客の捌き方が悪いから行列ができてしまう、と言わんばかり。
実際、私たちが東京都美術館で「ローマ展」を観た後、様子見に上野の森美術館の前まで行ったとき、チケット売り場に並ぶ行列は、意外に聞いていたわりには短かったが、ギフトショップの前には噂通りの長蛇の列。それはもう、そんなにモネの土産が欲しいか?と呆れるほどの長い行列だった。そもそも、ギフトショップへ入るには、一旦外へ出ないといけない、という構造が変である。もしかしたら、改装中だったから、なのかもしれないが。
で、我々が『モネ 連作の情景』展へ行った当日も、チケット売り場の行列はほぼなくて、ほとんど待たずに入場できた。ギフトショップ前の行列は相変わらずだったが、以前よりはずいぶん短くなっていた。いざ、入場すると、すぐさま「睡蓮の庭」の映像がお出迎え。床にも何か仕掛けがあり、まるで水面を歩いているような感覚が面白い。
モネといえば、睡蓮である。というのは、今更言わなくても皆さんご存じでしょうが、私がそれを知ったのは、もう40も半ばを過ぎてから、であった。遅いよねえ。その頃の私は某夕刊紙の記者で、プレスツアーで訪れた徳島県の「大塚国際美術館」にモネの「睡蓮の庭」を再現したという庭園があり、そこで初めて、モネといえば睡蓮、だと知った。
それまで、モネという画家については、名前は聞いたことがあるかなあ、ぐらいで、どんな絵を描いたどういう画家なのか、なーんも知らんかった。まあ、私の知識なんてそんなもんだ。素人に毛が生えた、という言葉があるが、私の場合は毛も生えていない。知識にも頭にも。それでも、そんな無知ながらせっせと美術館や博物館へ足を運ぶのは、ただ好きだから。それ以外の理由はない。過去ブログを読んで私のことを、さぞかし美術や芸術への造詣が深い人、と思われている方がいるかもしれない(いないかな?)が、決してそんなことはない、ことを一応ここでお断りさせていただく。
ちなみに、「大塚国際美術館」は、うずしおで有名な鳴門大橋の袂と言っていいほど近くにあって、日本最大の常設展示スペースを有する陶板名画美術館。西洋美術史の代表名画1000点を原寸大で展示しており、日本にいながら世界中の美術館を体感できる。
世界中、というのは、ウソ偽りなく、文字通りの世界中で、たとえばレオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」や「最後の晩餐」、ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」、レンブラント「夜警」、ムンク「叫び」、ミレー「落穂拾い」、ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」、ピカソの「ゲルニカ」などなど、誰もがご存じ、無知蒙昧の私でさえ知っている世界の名画が勢揃い。往年の名作アニメ「フランダースの犬」を見て育った世代なら、名前は忘れたけどネロとパトラッシュが最後に観たルーベンスの絵なんか、感涙ものですぜ。
いや、もちろん本物ではないよ。いわゆるレプリカ、というやつなんだけど、ただのレプリカではない。陶板名画美術館、という名の通り、陶器の大きな板に原画に忠実な色彩・大きさで作品を再現したもので、紙やキャンバス、土壁に比べ経年劣化せず、また大きさも原寸大に再現されているため、実物の名画を見るがごとく迫力の臨場感を味わうことができる、という。
この陶板化技術によって生み出された陶板名画約1000点が日本最大級の常設展示スペースを誇る館内に展示された世界初の陶板名画美術館。それが「大塚国際美術館」というわけで、世界唯一かどうかは知らないが、恐らく世界トップレベルの陶板化技術により再現された陶板名画は、実物以上、とは言わないが、実物と同じぐらいの価値がある、といっても決して過言ではない。技術の裏付けがあるからね。
また、レオナルド・ダ・ビンチ「最後の晩餐」は、修復前と修復後を対面で展示。どこをどういうふうに修復したかを見比べることができたり、ゴッホの「ヒマワリ」は、第二次世界大戦の折に焼失し、二度と見ることができない通称“芦屋のヒマワリ”を再現するなど、ここでしか観ることのできない作品もある。
つまり、私が昨秋に新宿のSONPO美術館で観たゴッホの「ヒマワリ」とは別の「ヒマワリ」、しかも、もう実物は存在しない幻のヒマワリ、というのがあって、それが大塚国際美術館で再現され展示されている、というのは知らなかった。そりゃ観に行きたいよねえ。
名画だけではない。古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごとそのまま再現した臨場感満載の環境展示もある。たとえばヴァチカンの「システィーナ礼拝堂」やポンペイ遺跡の「秘儀の間」などを再現。私はそのどちらも本物を観たことがある、はずなのだが、かなり昔のことで、なおかつそのときはじっくり観る時間もなかった(そのいきさつは過去ブログ「ローマ展」で書いた)のでよく覚えておらず、数年後に「大塚国際美術館」で観て、改めて感動したものである。
その環境展示の1つに、モネの「睡蓮の庭」があった。というところで、やっと話がモネに戻る。モネは自分ちに睡蓮の庭園をつくり、晩年は睡蓮の絵ばかり描いた。というざっくりした説明で合っているかな? なので、モネといえば睡蓮、というわけだが、絵画だけでなく、ガーデニングなんかの世界ではモネが造った「睡蓮の庭」そのものが評価されており、庭師や好事家たちの理想というか目標にもなっている、らしい。
その証拠というには語弊があるが、モネの睡蓮の庭を再現した、という庭園は「大塚国際美術館」の他にもいくつかあって、再現とまではいかないけど、なんとなく似ている、とか、雰囲気は寄せました、といった“なんちゃってモネの庭”まで含めると、それこそ数え切れないほどである。日本にですよ。
現に、後日談になるが、私が「モネ展」を観賞した、と知人に話したら、その知人は、私も先日「モネの庭」に行きましたよ、と言って写真まで見せてくれた。場所は栃木だったかな? まあ、それぐらい、モネの庭は日本各地にあって、それも日本人がモネを好きな理由の1つになっている。というのは私の憶測であるが、当たらずとも遠からず、であろう。
ただし、今回の「モネ展」では、その睡蓮を描いた作品は、あるにはあったが、数は少なかった。睡蓮の絵を目当てに来た人なら物足りなかったかもしれない。なぜなら、当展示会は「連作の情景」というタイトル通り、“連作”がテーマだから。いや、睡蓮の絵だってモネはたくさん描いていて、それらもすべて連作といえば連作だけど、それよりはむしろ、晩年に描いた睡蓮に至るまでの過程、テーマへの集中から「連作の画家」と称されるまで、文字通りの「連作の情景」をつぶさに見せてくれる。とても見応えのある、大変素晴らしい展示会であった。
たとえば「プーヴィルの断崖」では朝、夕、嵐の日、というように、同じ地点から見る同じ風景が、異なる時間、異なる天候、異なる季節により刻々と変化する、そのダイナミズムを見事に表現。「ウォータールー橋」の曇り、夕暮れ、日没では街の表情七変化。連作を描きはじめた最初のテーマとされる「積みわら」に農耕民族のDNAが刺激され、「モネのアトリエ船」や「3槽の漁船」などに“光の画家”と称された由縁を感じる。
自然の光と色彩に並外れた感覚を持ち、柔らかい色使いと暖かい光の表現を得意としたモネ。その作品から感じられる自然の息遣いは「連作」にこそより鮮明に表れる。というのを思い知らされた。それにしても、世の中には画家が描きたい風景が満ち溢れている。しかし、それは一瞬にして変わる。その一瞬を捉えるのがいかに難しいことか。今ならその一瞬を写真に収め、後でゆっくり写真を見ながら描けばいい、と思うが、そういうもんでもないんだろうなあ。
ある日、クルーベという画家がモネのアトリエを訪ねた際、モネが絵筆を持ったままキャンバスの前でぼんやり立っているのを見て、なぜ描かないのかと尋ねたところ、モネは、あのせいだ、と言って雲を指した、というエピソードがある。太陽が雲に隠れただけで中断しなければならないとは!いやはや、絵を描くというのは大変な作業であることよ。
当展示会で「連作」として並んでいる絵画の1つ1つをよく見ると、其々の所蔵美術館が異なっている。どうやら日本も含め世界中の美術館から連作となる作品をかき集めたらしい。いやあ、さぞかし、大変な手間と苦労だったろうなあ。そう考えると、観覧料なんて安いもんである。いくらだったか忘れたけど。
ちなみに、モネといえば睡蓮、と散々述べておいてなんだが、モネの代表作とされるのは、じつは睡蓮ではない。『印象・日の出』という作品である。それが「印象派」の名前の由来となった。というから、モネが印象派を代表する画家であることに異論はない。そして当展は、印象派の誕生から150年目を記念して開催されたもので、すでに終了した上野の森美術館では来場者数30万人を突破。見逃した人は、大阪中ノ島美術館で5月6日までやってるので、大阪へ観に行きましょう。それだけの価値はあると思いますよ。
もう1つちなみに、モネが新人の頃、先輩にエドゥアール・マネという画家がいて、モネのことを、自分の名前を利用しようとする人物がいると誤解して憤慨したという。それを機に、モネは姓だけの署名を止め、「クロード・モネ」というフルネームの署名をするようになった。というのは例によってウキペディアで拾った情報である。ゴッホもそうだったが、モネもウキペディアに大変詳しくその生涯について解説されているので、興味がある方はご一読を。存命中に売れっ子画家となったモネは、裕福な生涯を送ったイメージがあるけど、意外と苦労したり、お金に困った時期もあったんだな、ということもわかって面白い。
てなわけで、今回もまた期待以上に満足満腹の美術鑑賞を終え、さあ、ここからはもう1つのお楽しみ。といっても、普通に飲みに行くだけなんだが。しかしこれがまた、美術鑑賞の後に飲む酒がたまらんのよ。え?なんだかんだ言っても、結局飲みたいだけじゃないの、って?まあ、否定はしませんが(笑)。
で、ここからモネの鑑賞後に飲みに行った店の話をするつもりだったけど、文章長くなったので、ここで一旦〆ます。飲みに行った店の話は次回で。次はそうそう間を置かずに書きたいと思いますので、乞うご期待。ではまた。