障害者とスマホと車椅子

車いすと電車の写真

先日、通勤でいつものように自宅の最寄駅から地下鉄に乗ったら、車椅子の男性がいた。年の頃は四十か五十絡み、だとは思うが、ちょっとわからない。というのは、その方、知的障害というか、ダウン症というか、差別用語かもしれないので言い方が難しいが、まあ、そういう患者であるのは明らかであった。そういう方の年齢を見た目から推測するのは難しいからね。でも、まあ、いわゆるオジさんと呼ばれる年頃であることは恐らく間違いない。しかも、結構ガタイがいい。見ようによっては若干の威圧感さえ漂っていた。そんなオジさんがフンフン唸っていれば、周囲の人が遠ざかるのは無理もない。その車椅子の男性の周りにも人がいなかった。

しかし、私は別段気にもせずその男性の近くに立った。これは介護職に携わる人のあるあるなのか、私だけなのかはわからないが、介護施設に勤めるようになってから、お年寄りを見る目が優しくなった。と同時に、こうした障害者を見ると、以前はちょっと怖いような気がして近寄らなかったが、近頃はわりと平気で、むしろ何かあったら手助けしますぜ、なんて親切心が芽生えてきた、ような気がしている。

お年寄りについては、まあ、仕事柄そうなってもなんら不思議ではない。が、お年寄りだけでなく、障害者に対してもなぜか親切心が芽生える、というその理由はよくわからない。わからないけど、多分、認知症の方の相手をし慣れているから、ではないかな。認知症と障害者、似てない? もしかしたら似ていると思うのは私だけかもしれないが、ここはひとつ、我田引水で認知症患者と障害者が似ているということで話を進めると、介護施設で働くことで、そういう方々に対する耐性が出来てきた、ということなのかもしれない。

とはいえ、親切心が芽生えてきたからといって、なにか声をかけるか、というと、それは別問題。もちろん明らかに困っている様子が見てとれれば、できる限りの手伝いはするつもりですよ、ええ。でも、そうでもない様子の人に、いくら障害者だからといって、「お困りではないですか?」とか「何かお手伝いしましょうか?」とか、声をかけるのは、意外とできないんだよねえ、これが。そういうの、余計なお世話、あるいは、親切の押し売り、なんじゃないか、などおとあれこれ考えてしまって。

お年寄りに席を譲るときもそうだ。私こう見えて、お年寄りや妊婦にはわりと席を譲る派なんです、とは言いながら、じゃあここ数年で何回ぐらい席を譲った?と聞かれると、うーん、思い出せるのはせいぜい2、3回かな。逆に、譲ろうとして断られた(このときは妊婦だったが、次で降りますから、とニベもなく断られた)ことが1回ある。これはよく覚えていて、以来、言うほど積極的に席を譲ろうとはしなくなった。なんか、席を譲るって、簡単そうで意外と難しいよね。お年寄りを見かけても、どれぐらいのお年なのか、もしかしたら年寄り扱いするな、と怒られるんじゃないか、とか、色々考えてしまって、結局譲らずに座ったまま、ということがよくある。全然譲る派じゃないか。いっそ、「席を譲って下さい」マークなんかつくってくれないかなあ、とさえ思う。

おっと、話が逸れた。地下鉄の電車で見かけた車椅子の男性の話であった。そのとき彼は、そういう方々ではよく見られるように、ギョロ目で、首をかしげて、フンフン唸りながら、一生懸命何かを覗き込んでいた。横目でチラッと見ると、スマートフォンだ。スマホの画面を見ながら、変な角度に曲がった指で操作している。なるほどなあ、と感心しましたね。指が曲がってて自由に動かせないから、昔のガラケーだったら操作できなかったかもしれないけど、スマホなら曲がった指でも、あまり自由には動かせない指でも、操作は可能なのだろう。これは技術の進歩が障害者にも恩恵をもたらした好例だ。素晴らしいことだと思う。

この光景を目撃した翌日か、翌々日だったかは忘れたが、埼玉県の某市で障害者施設をかなり手広く展開している会社、じゃなくて事業所(というべきだろうな。福祉事業だからね)の代表者と会う機会があった。このときはまあ、顔合わせ、ということで具体的な話はしなかったが、このブログ原稿を書いた翌日にまた会う予定。どうなるかはわからないが、もしかしたら私も、何かしらのかたちで障害者福祉事業に関わる可能性が出てきた、らしい。

何が言いたいかというと、件の障害者がスマホをいじっている光景を見たのが、少しでも障害者施設に関わった後だったら、ただ素晴らしい、だけで終わらずに、もう少し何か気の利いたことを言うとか、ここからさらに話を広げるとか、できたと思う。できたはずだ。しかし、この時点ではまだ何も障害者施設との関わりはないので、まだ何も言えぬ。その代わり、といっては何だけど、私がいま働いている老人介護施設と混同するところもあるが、老人介護と障害者介護の両方に通じる、“弱者救済”について、思うところを述べたい。これはつまり「福祉」という分野全体の話でもあるわけで、ちょっと小難しくなるかもしれないし、面白くはない、かもしれないが、たまには真面目な話にお付き合い願いたい。

老人介護について論じていると、しばしば「生産性がない」と言われる。それは障害者介護でも同じだろう。つまり、老人にしろ障害者にしろ、自立できず介護が必要な人間を養っても、何も生み出さない。何も生み出さないものに税金を使うのは、国益の損失である。だから老人介護や障害者介護に使う費用は極力抑えて、今後生産的な活動が期待できる子供や若者のためにこそ税金は使うべきだ、という理論である。

恐ろしいことに、かつての貧しかった日本では、この理論が正論であった。老人は姥捨て山に捨てられ、障害を持って生まれた子供は殺されたり、一生隔離されたりしていた。それではいけない、と、風向きが変わったのは、もちろん日本国憲法の三原則の1つである「基本的人権の尊重」、これが根本的要因であることに異論はないだろう。ちなみに三原則の他の二つはご存知ですか?

しかし、ここで私は、足りない頭で考える。「基本的人権の尊重」は、すべての国民に与えられた、侵すことのできない永久の権利である。すべての国民には当然、老人も障害者も含まれるから、老人にも障害者にも基本的人権があり、尊重されなければならない。という考え方というか、基本理念のもとに老人介護や障害者介護などの福祉事業が成り立っているわけ(間違ってないよね?)だが、これで今の若者は納得しているのだろうか? 若者や子供の貧困が問題となるような現代社会で、不幸にも貧困問題の当事者となってしまった若者たちは、生産性あるはずの自分の将来が貧困によって閉ざされていく一方、生産性などないばかりか負担でしかない老人や障害者が税金で手厚く保護されている現状に腹を立てたり、矛盾や虚無を感じたりしないのだろうか?

正直、老人介護の現場で働いている私でさえ、そう思うときがある、ことは否定できない。いや、むしろ介護の現場を体験するほどそういう思いが強くなるかもしれない。なにしろ、知っている人は知っているが、認知症の悲惨さは想像以上だからね。何がどんなふうに悲惨かって? いちいち具体例を上げればキリがないが、とにかく、人間の尊厳もへったくれもない、とだけ言っておこう。そうなってしまった人を生かすのに何の意味があるのか、考えてしまいますぜ。

しかし、である。そんな考えを突き詰めれば、いつかの相模原(だったっけ?)で起こった障害者の殺傷事件まで行き着くわけで、これは危険な兆候である、ことはさすがに足りない私でもわかる。一応それぐらいの理性はある。で、ここからは以前紹介した中島みゆきの『命の別名』をBGMに読んで欲しいが、「何にもなれずに生きてきて、何にもならずに消えてゆく、僕がいることを喜ぶ人が、どこかにいてほしい」そんな弱者を切り捨てる社会が健全なはずはない。命につく名前を“心”と呼ぶ。君にも、僕にも、すべての人にも、もちろん弱者にも“心”はある。そして、“心”は生産性などでは測れない。

想像してごらん(と、ここからはBGMをジョン・レノンの『イマジン』に切り替えて)、もしもアナタが、事故や病気で障害者になってしまったら。想像してごらん、アナタが将来結婚して、生まれてきた子供が障害者だったら。想像してごらん、いつの日にか必ずやってくる、認知症や寝たきりの老人になった自分を。

そうなってしまったら終わり、の社会でいいんですか? それとも、たとえそうなってしまったとしても、それでも希望を失わず、前向きに生きていける社会の方がよくはないですか? そして、そんな障害者でも老人でも希望を持って前向きに生きていける社会をつくるために、介護事業が存在している、という考え方はどうだろうか。私は介護事業を「生産性がない」と批判する人に対して、こういうふうに反論をしているが、これで今の若い人たちを説得できますかね? 皆さんのご意見ご批判お待ちしております。

ここで話は急転直下、先日の電車の中で見かけた車椅子の男性の話に戻る。スマホをいじっていた彼が、2、3駅過ぎたあたりでスマホをしまい、ソワソワしだした。どうやら降りる駅が近いらしい。しかし、その重そうな車椅子で降りるのは大変だ。よし、手伝ってやるか、と思ったが、待てよ。これもよく見る光景だが、降りる駅で駅員さんが待っていて、乗降介助する、という可能性もあるな。いや、きっとそうだ、私の出る幕などないか、と、思い直す。それでも、ずいぶん重そうな身体に車椅子だから、駅員さん1人じゃ無理だな、少なくとも2人は要るだろう。

というわけで、彼が降りる駅で待っている駅員が、1人だったらてつだってやろう、2人いたら何もしない、と決めて見守っていたら、あにはからんや、駅員は1人だけであった。よっしゃ、私が手伝いましょう、と、彼に近づこうとしたそのとき、初めて気がついた。なんと、その車椅子は電動のやつであった。彼はこちらを一瞥もすることなく、右手の小さなレバー?スイッチ?を器用に操り、何事もなく当たり前のように軽々と、駅員が電車のドアとホームにかけ渡した昇降板?を乗り越え、颯爽と去っていった。呆然と見送る私。いやはや、彼はスマホを使う障害者というだけではなく、電動車椅子を颯爽と乗りこなす障害者でもあったのだ。最近の障害者って、やるなあ。結局、彼とは一言も言葉を交わさなかったが、「障害者を舐めんなよ」という彼の捨て台詞が聞こえたような気がして、いつまでも頭の中に残っていた。