松の内

おせち料理

関東では1月7日まで、関西では1月15日まで(地域によっては10日までのところもあるらしい)の期間を「松の内」という。門松やしめ縄などを飾っておくのも「松の内」の間、というわけで、「松の内」が明けたらそうしたお正月飾りは外さなければならない。ただし、外したお正月飾りを焼くどんど焼きやお焚き上げなどの行事は、1月7日に「松の内」が明ける地域でも1月15日に行われることが多い。というからちょっとややこしいですな。

ちなみに、江戸時代初期までは、「松の内」の期間は全国共通で1月15日まで、だったらしい。これは15日が「小正月」だったことに由来するというが、なぜ、関西はそのままなのに、関東は1月7日までになったのか? それは、徳川三代将軍家光が亡くなった日と関係ある、らしきことがちょっと調べると出てくるが、詳しく説明すると長くなるので、ここでは割愛。興味がある人は自分で調べてね。

もう一つちなみに、「松の内」はいつからはじまるのか、ご存知ですか? そりゃあ1月1日からでしょ、という人が多いと思うが、じつは12月13日が「松の内」のはじまり、という説があって、この日以降なら正月飾りを飾って大丈夫、なんだって。なぜ12月13日なのか? それも自分で調べてね。わかったら教えてください。

ということで、本日(この原稿を書いた日のことね)は1月8日、すなわち「松の内」が明けた翌日、例によって介護の夜勤中にブログを書いているわけだが、私がこの「松の内」の期間をどう過ごしたのか、といえば、正月らしいことはな―――んもせず、普段のままのバイトの日々、だったのは、もはや言うまでもないか。

前回、今年1発目のブログで、年末は思わぬ連休となったものの、大掃除もせず、年賀状も書かず、何もしないまま年を越した、という話をしたが、明けても同じ、何もしない。冒頭で「松の内」などという今時あまり使わない言葉を持ち出しておいてなんだけど、門松もしめ縄も鏡餅もはなから用意する気などさらさらなし。初詣も書き初めももちろんなし。おせち料理も……あ、おせち料理は食べたといえば食べたな。

元日に介護の夜勤に入ったら、コンビニとかスーパーで売っているような、いかにも独身者向けの雰囲気だけ味わってくださいよ、というような、しょぼいおせち、ありますよね? そんななんちゃっておせちがなぜか2つも余っていて、食べていいよ、と言われたので、深夜に2つとも食べたのだが、なんだか返って虚しくなっちゃったなあ。

そんなふうに元日夜勤に入り、2日明けで3日も夜勤、4日明けで5日が休みだった。その5日の夕方、娘と食事に出かけた。娘とは年末にも会っていて、クリスマスプレゼントに結構お高めの財布を買ってあげたので、お年玉はいいだろう、と思って用意しなかったのだが、いざ会うと、やっぱり、そんなわけにもいかないか、と思い直し、手元にあった5千円を、ポチ袋なんかなしのむき出しで、渡した。

というのも、こうみえて私、わりとキャッシュレス派で、現金は普段あんまり持ち歩かない。だからこのとき、たまたま持っていた五千円でも、よく持っていた方だが、今年成人になる娘へのお年玉としては、五千円は少ない、だろうな。まあ、許せ、娘よ。どうせ、成人のお祝いもしなきゃいけないんだから。やれやれ、お金がかかるなあ。

ところで、このとき食事をしたのは、当ブログにしばしば登場する例のイタリアンバーだった。昨年末の忘年会もこの店でやった。そのときに聞いたのだが、どうやらここの大家さんが家だか土地だかの売却を決めた、という。大家さんが家だか土地だかを売ってしまったら、この店も立ち退かなければならない。(あ、これ、言っちゃっていいのかな? まだ言っちゃいけなかったら、ごめんなさい)

この店は、当ブログの掲載元である「一般財団法人 アラドラ」の主催者と知り合った店でもある。つまり、当ブログを私が書かせていただくことになったきっかけがここだったので、私にとっては大事な店だ。立ち退きはしょうがないにしても、うまいこと良い移転先を見つけて、営業を再開してほしい、と、切に願う。

とはいえ、立ち退きはすぐの話ではない(いつになるのか現時点ではまったく予想もできないらしい)ので、まだ店があるうちに、皆さん行ってやってください。もしまだ行ったことがない、という方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度。私も店があるうちに、せっせと通おう、と思ってます。

で、5日の娘との食事だが、娘はその店は初めてだったので、美味いイタリアンをご馳走してやるぜ、と、カッコつけて連れて行ったのに、用意されていたのは、鍋だった。イタリアンバーなのに、鍋って……まあ、美味しかったけど。しかし、イタリアンを期待して来た娘に鍋だけではなんなので、マスターに頼んでカルボナーラをつくってもらったら、娘は「美味しい!」と言って食べ、さらにその後、鍋の残りを使ったリゾットが出てきて、これがまた絶品。何を食べても旨いが、イチ押しはリゾット、と覚えておくべし。

そんなこんなで食事を終えて、ついでに、私一人だったら行く気もなかった初詣も、せっかく娘と一緒なら行っとくか、と、近所にある鉄砲洲神社へ寄ったら、なんと、門が締まっていた。そんなことある? 神社なんて24時間いつでも開いてるもんだと思っていたが、まあ、これもコロナのせいだろう。張り紙には参拝は5時まで、と書いてあった。トホホ。

仕方なく、そのまま八丁堀の駅まで行って、娘と別れ、地下鉄に乗って自宅最寄駅の三ノ輪で降りた。そのまま真っ直ぐ家に帰ればいいものを、なんとなくもの足りなくて、三ノ輪駅前にある24時間営業のスーパーに寄った。お腹は一杯だというのに、酒のつまみやら何やら色々余計なものを買ってしまい、困ったもんだ。バイトの帰りに大森や鶯谷で日高屋とかガストとか松屋とかについ寄ってしまう悪いクセが、ここでも出た。けど、まあ、正月というか、まだ「松の内」だし、今日ぐらいはいいか、と、自分に言い訳しつつ、帰宅した。

その翌日は清掃のバイトで、その帰り、つまり翌々日(7日)の早朝、またそのスーパーに寄った。清掃の仕事が終わると腹が減るので、帰りはいつもここに寄って朝食を買う。今風にいえば、ルーティンである。ところが、会計のとき、財布からそのスーパーのポイントカードを取り出そうとして、あれ?ないぞ、と、気がついた。

なんだ、ポイントカードぐらい、無くしたらまたつくればいいじゃん、と思うかもしれないが、いやいや、侮るなかれ。このスーパーは、駅前にあって24時間営業で便利だから、ここへ引っ越してきて以来、結構な頻度で通っている。そして、通いはじめて間もなくつくったポイントカードは、ポイントを貯める一方で、貯めたポイントをほぼ使ってないので、金額に換算すれば、恐らく1万円分近くは溜まっている、はずだ。つまり、そのポイントカードを無くしたということは、1万円を無くした、と同じことである。これは痛い。貧乏人の私にとって1万円は大金だ。

しかし、ないものはしょうがない。とりあえずその場はポイントカードなしで精算して、帰宅して家に忘れてないか探す。やっぱりない。うーん、一体どこで無くした? と、必死でここ数日の自分の行動を思い出す。待てよ、財布はあるのに、ポイントカードだけ無い、ということは、財布からポイントカードを取り出した場所で落とした可能性が高い。そう考えると、おのずと答えは見えてきた。そうだ、やっぱりあのスーパーだ。あのスーパー以外にそのポイントカードを財布から出す場所はない。とすれば、恐らく娘と食事をした日の帰りに寄ったとき、落としたに違いない。そういえば、そのときはお酒も結構入っていたからなあ。

そう確信して、そのスーパーへ電話してみた。そのスーパーで落としたのは多分間違いないが、果たして、拾った人が届け出てくれたかどうか。無記名のカードだからネコババされる可能性も十分ある。祈るような気持ちで、ポイントカードの忘れ物がないかを聞いたところ、おお、神よ、ありました。ちゃんと届いてました。ああ、よかった~。

いや、それしても、日本って、素晴らしいね。こうして落し物が返ってくるところが。海外だったらまず返ってこないからね。そういえば、昨年の秋ぐらいにも同じようなことがあったな。通勤途中にあるまいばすけっとで、会計した後うっかり財布をその場に置いて出てしまって、そのときは幸いなことにしばらくして気がついて、慌てて店に戻ると、ちゃんと保管してくれていた。日本では当たり前かもしれないけど、世界的にみれば、わずかの隙でも紛失したらもうおしまい、返ってくることはほぼない、という国がほとんどだよねえ。日本に生まれてよかった、よかった。

というわけで、「松の内」という時節柄の言葉を用いていかにもブログらしくはじめながら、結局はグダグダと、いつものことながらどうでもいいことを垂れ流しつつ、最後は落し物をしたドジな話なのか、落し物が戻ってきてめでたい話なのか、自分でもよくわからないいまま、今回は終了です。いやはや、毎度毎度とりとめのない話ばかりで申し訳ないが、さりとて、とりとめにある話がどういうものかもよくわからないので、当面はこういう感じでダラダラと、勝手気ままに書き殴る当ブログ。本年も何卒宜しく、お付き合い頂けたら幸いです。