富士山の日

2月23日は富士山の日の画像

現在の時刻は午後9時。例によって介護施設での夜勤中にこのブログを書いている。って、前回と同じような書き出しなのは、じつはあれから夜勤が続いているから。前回のブロクを書いたのは土曜の夜の勤務中だったが、そこで終わらなかったので、夜勤明けの翌日曜に帰宅途中の大森駅近くにあるカフェベローチェで続きを書いて、その場でアップするとすぐさま昼呑みできる店へ行って一杯。で、終わるはずもなく、3、4杯。いや、5、6杯かな? まあそれなりに呑んで、〆に松屋でカレーを食って、帰って寝た。

いつもは夜勤明けに帰宅してもすぐには眠れない、だけどこの日は、いつもよりはよく眠れたかな。ビールじゃなくてハイボールを呑んだのがよかったのかも。というのは、最近大森で「ハイボール29円」(安すぎない?)の看板を見つけ、試しに入ったら、どうやら肉が売りの店らしく(店名も肉のなんとか、だったな)、小さな七輪で自分で焼いて食べる新鮮レバテキなんかあって、旨かった。

だからこの日(夜勤明けの日曜ね)もその店に行って、肉の刺身などをつまみつつ29円ハイボールを呑んだのだが、しかし、やで。毎回毎回、夜勤明けの度にそんなんしてりゃ、お金がかかってしゃあないな。ゆうても行くのは大抵安い店やから、サクっと1、2杯で切り上げれば1000円そこらで済むんやけど、やっぱりそれじゃ収まらん。ついダラダラ呑んで、だいたい3000円ぐらいはかかってまう。〆のカレー(夜なら〆はラーメンだけど、昼呑みの〆はなぜかカレーが食べたくなる)もいらんがな。バイトの薄給の身でこんなん無駄遣いしたらあかん、あかん、と思いつつ、やっぱり仕事の後の一杯は止められず、今日も昼呑みできる安い店を探してうろついている。なぜか関西弁になってしまったのに意味はない。

いや、そういう話ではなかった。昼呑みの話はまた改めてすることにして、夜勤の話の続き。いつもよりはよく眠れた、ような気がした夜勤明けの日曜の翌日(つまり月曜日ね)もまた夜勤のため出勤した。連続の夜勤だけど、間に明け日を挟むから、さほどキツくはない。もっとも、キツくないのは他の仕事がなければ、の話であって、ときたま昼にライター仕事の取材などが入ることがあるし、夜に清掃の仕事が入ることもある。清掃の仕事が入れば、正真正銘、明け日なしで夜勤の連続、ということになり、これはキツい。けど、幸いなことに(いや、経済的には困るんだけど)、清掃の仕事はコロナの影響なのかどうかしらぬが、昨年から減っており(オリンピック期間中も少なかった)、今年に入ってからは、介護の夜勤明けに清掃の夜勤が入るというハードスケジュールは、1度もない。そうなると体はラクだけど、その分収入は減るので、痛し痒し。なんとかしなきゃあなあ。

というわけで、月曜の夜勤中も、別の仕事を1本済ませた。この日書いたのは、前回で触れた書評、もとい、書評風の記事広告である。いや、それにしても、夜勤中に別の仕事ができるって、イイね。良く言えば時間の有効利用だ、けど、悪く言えばギャラの不正な二重取り。本当はいけないことはわかっている。介護施設の関係者がこのブログを見てないことを祈る。というのは前回でも書いたな。

で、この日(月曜の夜勤中ね)書いたのはその仕事1本だけで、ブログは書かなかったそのわけは、前日アップしたばかりだから、というのもあるが、それよりも、利用者様の1人で、例の夢と現実の区別がつかなくなった婆さんが、この日はとくにひどくて、いくら寝かしつけてもすぐ起きて、部屋から出てくるから目が離せなくて、一晩中かかりきりだったから。短い原稿はなんとか書けたが、ブログまで書く余裕はとてもじゃないけどなかた。

そして夜勤明けの火曜日。いつもより大変だった夜勤をやっと終えて、いつものように大森駅で引っかかる。結構疲れてはいたが、この日締め切りだった原稿(書評風の記事広告ね)は夜勤中になんとか書き上げてもう送ってあるし、ブログは大体1週間に1本ぐらいを目安にしているのでまだ書かなくてもいい。原稿書かないなら寄り道せずに帰ればいいものを、それはそれでお疲れ様の1杯が欲しくなるから困ったもんだ。

この日は平日だったので、ガストでハッピーアワーの生ビール200円を、何杯呑んだか覚えていないぐらい呑んで、〆は松屋ではなく、なか卯でカレー。なか卯はガストのすぐ近くにあるので最近よく行く。親子丼がメインだが、カレーも意外に旨いのを最近発見した。

そして帰宅。この日も相変わらず寝つきは悪かったが、ガストの200円生ビールのおかげか、前日同様いつもよりはよく眠れた。明けて水曜日、また夜勤のため出勤。この日はもともと予定になかったが、職員にコロナで自宅待機の人が出たので、急遽入ることになった。つまり予定外の夜勤3連チャン(3日連続ではなく、明け日を間に挟んで3回連続)だが、これは先月にもあって、このときは昼間に取材仕事が入ってたから辛かった。しかし今回の3連チャンは、昼間何も仕事がなかったし、明け日にまあまあ眠れたので、さほど辛くはなかった。月に1週か2週なら3連チャンでもいいかな、とさえ思った。清掃の仕事が減っている分、稼がないといけないからね。

それは兎も角、夜勤3連チャンの3回目は、いつもの3階ではなく、2階のフロアだった。3階と比べて2階はずいぶんラク、というのも前回で書いたので詳細は省くが、2階では5時に夕食を食べた後、皆さっさと寝てしまう。もちろん寝る前に(芳賀ある人は)歯を磨いたり、入れ歯を外してうがいをしたり、眠前薬を飲んだり、色々やらなければならないことがあり、3階だと9人中6人が自分ではできないので介助せねばならず、9時になってもまだ寝ない人がいることもある。しかし2階は、今は6人しかいなくて、しかもそのうち3人は手がかからず、介助が必要なのは3人のみ。こりゃ楽勝だ。

というわけでこの日も7時前には皆を寝かしつけて、手が空いた。その後は夜食に買ってきたおやつを食べたりしてのんびりして、9時の巡視・安否確認を終えて、じゃあ、他にすることもないから、ブログでも書こうか、と、いつも持参している自前のパソコンを立ち上げた次第。先週土曜の夜勤中は、ブログを書く前に別の仕事(飲食店の紹介記事)を1本仕上げたから、ブログを書きはじめたのは11時だったけど、今回のブログの書きはじめが9時なのは、そういうわけだ。

何が言いたいかというと、3階では仕事(介護のね)が大変だから別の仕事をする時間があまりとれない(本来はそれが当たり前だから文句はいえないけど)し、場合によってはまったくとれない日もあるが、2階は余裕綽々。手がかかる人が少ないから、別の仕事をする時間はたっぷりとれる。

だから今日も、せっかく2階に入ったからには、別の仕事をしたいのだが、そういうときに限って、仕事がないんだなあ、これが。先週土曜に書いた飲食店の紹介は、月に1~2本の仕事だから、しばらくない。月曜に書いた書評風の記事広告は、月に2~3本の仕事で、次に来るのは来週だ。改めて思うが、ライター仕事が少ないなあ。ライター業では食っていけないから、こうしてせっせと夜勤のバイトをしている、というのはこのブログで再三述べていて、しつこいと思われそうだからもう言わないようにしよう、と思っていても、こうしてついつい愚痴ってしまうのが我ながら情けない。バイトの夜勤中に別の仕事ができる(本来はダメだけど)という、ある意味恵まれた環境を少ししか活かせていないのがもどかしい。さりとて、そっち方面(雑誌や新聞などのメディア関係ね)の人脈は今やほぼ消滅状態である。なぜなら、ここ数年はバイトばっかりでメディア関係に顔をつなぐ努力をしてないから。まあ、自業自得ですな。当面、ライター仕事が増える予定も見込みもなく、ほぼフリーターのバイト生活は続く。

それで思い出したけど、前にちょっとだけ触れた、とある脚本家の先生の脚本を小説化する、という話。あれ、無くなりました。どうやら私が書いたものが先生のお気に召さなかったようで。まあ、私の力不足ですな。こればっかりはしょうがない。けど、先生も先生で、気に入らないなら気に入らないなりに、どこをどう直せ、とか言ってくれればいいものを(私もそのつもりで、あくまで叩き台として提出したんだけどね)、なんも言ってこないどころか、あいつ(私のことです)は文学がわかってない、などと人づてに貶してきたので、じゃあもういいや、と。せっかく一生懸命書いた文章が日の目を見ず、お金にもならないのは悲しいけど、まあ、こんなのはこの業界ではよくあることだから。この件については、もう、きっぱり諦めました。あ、もう12時(深夜0時)だ。巡視・安否確認に行ってきます。

 

はい、戻りました。2階は人数少ないから巡視・安否確認も記録(1日の排泄回数や摂取した水分量など)もすぐ終わる。途中、居室で尿室した爺さんがいたので着替えさせて、ついでに車椅子の人(2人いる)のオムツ交換(自分でトイレに行けないからね)も済ませて、ブログの続きにとりかかる。

で、ここまでダラダラと書いておいてなんだけど、じつは今回は、これを取り上げよう、という確固たるテーマがあった。ええ、ありましたとも(なぜか威張る)。いや、前回はなかったですよ。前回は何もネタがなくて、何を書こうとしているのか自分でもわからないまま、とりあえず書き出してみたら、意外に書けた。むしろライブ感もある文章になって、それが良いのか悪いのか(読みやすいか読みにくいか)はわからないけど、とにかく書けたので、今回もその流れで書いてしまったけど、今思い出した。今日の昼間、テレビを見ていて、あ、今日のブログはこのネタでいこう!と思ったテーマがあったんだった。

それは何かというと、その前に、本日2月23日は何の日か、ご存知ですか? 天皇誕生日? はい、それもそうだけど、私は天皇にはあまり関心はない。どころか、ここだけの話、私は天皇に対する尊敬の念が、人と比べてかなり薄い、と思っている。だって、戦争に負けて、天皇も人間だ、って宣言したんでしょ? 人間なら戦犯だろうに、その責任はとらずに、「象徴」って何だ?とも思うし……いや、この話は色々と差し障りありそうなのでやめておく。とにかく、天皇誕生日は今回のブログのテーマでは、ない。

え?もったいぶらずに早く言え? はい、では発表します。ジャジャン(ドラの音)、本日2月23日は、なんと「富士山の日」だそうです。昼のニュースで言ってました。まあ、語呂合わせだけど。この「富士山の日」が、今回のブログのテーマです。と言いながら、私は富士山に登ったことはない。登ったことがないくせに、なにが「富士山の日」だ? と、怒ったそこのアナタ、まあ慌てずに。そろそろ3時の巡視・安否確認に行かなきゃならないので、この稿一旦ストップします。前回と同様、続きは明日、夜勤明けにまた大森のどこかの昼呑みできる店で、一杯やりながら書こうかな。

と、思ったけど、今3時の巡視・安否確認して、朝食の準備も終えたところで、まだ時間あるので、もう少し続けます。ところで、富士山が世界遺産であることはご存知ですよね。平成25年(2013年)6月、富士山という自然の営みに宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観が国際的に認められ、「信仰の対象であり、芸術創作の源泉である」として、『世界文化遺産』に登録されました。

ここで、なぜ『世界文化遺産』なのか? なぜ『世界自然遺産』ではないのか? については色々議論があるところ。富士山を世界遺産に、という声はずっと昔からあったにも関わらず、平成の世になるまで世界遺産登録が見送られてきた理由は、「富士山はゴミだらけだから」だと聞いたことがある。ゴミだらけだから『世界自然遺産』にはふさわしくない、とは、あくまで噂であり、真偽のほどはわからない。わからないけど、まったくのホラ話でもなかった、らしい。

というのは、「NPO法人 富士山世界遺産国民会議」(というのが今でもあるようです)が、富士山が世界遺産に登録される前に結構大規模な講演会のようなものを行ったとき、私もその場にいたのだが、「世界自然遺産」登録は難しいので(ゴミだらけだから)、目標を「世界文化遺産」に切り替える、というような話があった、ような記憶がある。今となれば、それが成功した、と言えるが、なにしろずいぶん昔のことだから、定かではない。違ってたらごめんなさい。うろ覚えなので、ここではなぜ『世界文化遺産』なのか? なぜ『世界自然遺産』ではないのか? について私の意見は述べない(興味がある人は自分で調べてね)。けど、その会場で1つだけ覚えているのは、新井満という人が、富士山の歌を歌ったこと。新井満は、著作家、作詞作曲家、歌手、環境映像プロデューサーなど多彩な顔を持つ才人で、有名なのは、『千の風になって』の作詞(正しくは原曲の訳詞、らしい)、といえば、思い当たる人も多いだろう。

私は彼とは直接会ったことはないが、その多才ぶりはテレビや雑誌等で知っていた。しかも、そうした活動を、電通という会社に勤めながら、つまりサラリーマンをやりながら行っていた、というのが、すごいなあ、とかねがね感心していた。まあ、それは電通だからこそできた、のかもしれないけど。そんな新井満の生歌を聴けて、さすがに上手いし、いい声してるなあ、と思ったことだけは覚えている。

その新井満も昨年、お亡くなりになった。惜しい才能がまた1つ散った。合掌。とまれ、なぜ富士山は『世界自然遺産』ではなく『世界文化遺産』なのか問題はスルーして、いよいよここからが本題である。やっとかよ! という声も聞こえるが、おっと、気がつけばもう6時、タイムリミットだ。続きは前回同様、夜勤明けに大森のどこかの飲み屋で書くことして、一旦さようなら。

 

 

はい、お待ちどうさん。夜勤明けて、今の時刻は午前11時半ぐらい。場所は大森駅前。色々迷ったけど、結局、またガストに来てしまった。またかよ、芸がねえなあ、とお思いでしょうが、仕事する(=原稿を書く)ならガストが一番だから。1人用の席にコンセントはあるし、さほど込まないし、平日はハッピーアワーで生ビール200円だし。

というわけで、またしても200円生ビールを呑みながら書いている。えーっと、本題は何だっけ?(酔っ払いか) そうそう、2月23日(昨日になってしまったが)は「富士山の日」というテーマだった。「富士山の日」にかこつけて私が今回お話したいのは、「静岡県富士山世界遺産センター」について、である。

富士山世界遺産センターは山梨県にもあるようだが、今回取り上げるのは静岡県の富士山世界遺産センターなので、お間違えのないように。これは富士山が世界遺産登録されたのを記念して建てられたものだが、私はそのオープン直後に取材させてもらった(某夕刊紙の記者として)。昔の話だけど、今ここで改めて紹介したい。

と思い、当時の記憶を呼び起こそうと、その取材時に書いた原稿が残ってないかパソコンを探ると、ありましたね、当時の入稿前の生原稿が。こりゃいい、せっかくだからこれをそのままアップしよう。酒飲んで面倒臭くなっから、ではないよ(いや、まあ少しはそれもあるが)。これはそのままの方が、オープンした当時の臨場感を伝えられる、と思うし、私も今じゃこのブログのようにダラダラとっちらかった原稿しか書けないが、かつてはこんなきっちりした原稿も書いていたんだなあ、という超個人的郷愁の意も込めて、以下、当時の原稿をそのまま丸ごと引用する。

富士山世界遺産センターの大鳥居の画像

静岡県富士山世界遺産センターの大鳥居から富士山を望む

(タイトル)

「静岡県富士山世界遺産センター」開館!

(キャッチ)

3776mを擬似登山体験!

富士山の歴史、文化、自然を「永く守る」「楽しく伝える」「広く交わる」「深く極める」ための施設

(リード)

2013年に世界文化遺産登録された「富士山」。その魅力は美しさだけではない。古来より信仰されてきた歴史、育まれた芸術、独特の自然など、眺めるだけではわからない数多の魅力を備えている。そんな富士山をもっともっと深く知るための施設がこの12月23日に開館。早速訪ねてきた。

(本文)

「静岡県富士山世界遺産センター」(0544・21・3776)の住所は静岡県富士宮市宮町5-12。最寄りのJR身延線富士宮駅からは徒歩約8分と意外に街中に位置し、車がなくても行きやすい。

車なら新東名・新富士ICから約10分。富士宮市営の神田川観光駐車場に車を停め、道路を渡れば、その奥に富士山を望む大きな赤い鳥居がお出迎え。その左手に、一見ギョッとするほど巨大な逆さ円錐が立っている。なぜ逆さなのかは、鳥居の右側を進み建物を正面から見るとわかる。薄く水を張った広大な水盤に映し出される、逆さ富士ならぬ合わせ富士? とにかく見事な演出だ。それにしても、贅沢な土地の使い方だねえ。

富士山世界遺産センター 正面ビュースポットの画像

正面ビュースポットからみた建物

この水盤をぐるりと回って館内へ入れば、逆さ円錐の内部は螺旋のスロープになっており、高度に応じてさまざまに変化するタイムラプスの映像を見ながらスロープを上っていくことで、静岡県の特色である海からの富士登山を疑似体験できるという仕組み。3776mの富士山をわずか5分で擬似登山できるというわけだが、これがなかなか素晴らしく、また各階に企画展示や映像シアターもあって、とても5分で登ってしまうのはもったいない。ゆっくり時間をかけて、映像や資料を一つひとつじっくり見ながら上りたい。

そして最上階まで上れば、展望ホールからの眺めがまた圧巻! 幸いこの日は快晴で、思う存分富士山の勇姿を堪能することができた。

館内にはオリジナルグッズを販売するミュージアムショップや、ここでしか食べられないメニューを用意しているカフェも併設。まさしく富士山観光の新拠点として、さまざまな利用法が考えられる。なお、同館では現在開館記念展として、「富士山の曼荼羅」を開催中(~2月12日まで)。貴重な富士参詣曼荼羅の高解像度複製6点を展示している。これも必見だ。

昼食は歩いてすぐのところにある「お宮横丁」で、ご存知B級グルメの代表格「富士宮やきそば」を。今は全国各地のイベントなどでも食べられるが、やっぱり現地で食べるといいねえ。またこの横丁にはやきそばだけでなく、静岡おでんや餃子などもあり、静岡の郷土の味を色々と楽しめる。富士宮へ来たらぜひ立ち寄りたい。

お宮横丁を出れば、目の前に「富士山本宮浅間大社」。全国千三百余の浅間神宮の総本宮で、富士山信仰の源ともいえる存在だから、お参りだけで済まさず、時間をかけて巡りたい。境内には鉾立石や火山弾など見所も多いが、とくにおすすめは国指定特別天然記念物の「湧玉池」。その美しさもさることながら、古来ここで参拝者が身を清めていたと思うと、感慨深い。

この年末年始、旅行や帰省で静岡を通るなら、「静岡富士山世界遺産センター」に立ち寄り、「お宮横丁でやきそばを食べて、「富士山本宮浅間大社」にお参り、というのはいかがだろうか。

富士山世界遺産センター 最上階展望ホールの画像

最上階「展望ホール」からの眺め

以上。さあ、これをアップして、2軒目に行こう。あ、今日は清掃のバイトに日だけど、まあ、いいか、もう1軒ぐらいなら。あと、当時撮った「静岡県世界遺産センター」の写真もあるので、こちらは帰宅してからになるが、アップしたい。その気力が残っていれば。ということで、今回はこれにて終了。過去の原稿を使った手抜きの回、と思われるかもしれないが、まあ、いいんじゃないの、たまにはこういうのも、ね。