当ブロクで過去何度も述べている通り、私は現在、介護と清掃の2つの仕事を掛け持ちしている。どちらもアルバイト?パート?(アルバイトとパートの違いが未だにわからない)つまり非常勤、別の言い方をすれば、非正規社員、である。非がつくのが悲しいね。
この2つの仕事で私の労働時間も収入もほぼ占められているので、自分でも忘れそうになるが、私の本職はあくまでライター、格好よくいえば文筆業、くだけていえばもの書き、である。じつはこの3月、かつて私が契約社員として所属していた某夕刊紙からもらっていた仕事(書評風ね)がなくなり、ただでさえ少なかったライター仕事はいまや風前の灯火。だけど、それでも、私はライターです、と言い張りたい。だって、それがないと、ただのフリーターだからね。中年、いや、もう高年フリーターか。いやはや、情けない。
そこで今回は、久しぶりにライター仕事の話をしたい。こちらは珍しく、というより、唯一だな、長く続いている仕事で(いま調べたら、第一回目は2013年9月。かれこれ9年か。長いな)、内容は飲食店を紹介する囲み記事。だから文章量も多くはなく(はっきり言うと少なく)、写真も使えるのは1枚だけ。なので、わざわざ足を運んで取材しなくても、電話取材、もしくは、最近ならズームなどで、話だけ聞いて、写真は送ってもらえば済む。けども、やねえ。
そこをあえて、ライター(私のことね)が実際に店を訪問して、対面で直接話を聞く。写真もその場で撮る。というのがポリシーである。そこを評価されたのかどうかはわからないが、続いているということは、それでよかったのだろう。もっとも、写真は、撮影用の料理をつくるのが面倒なのかもったいないのか、こちらで用意したものを送ります、という店もある。むしろそういう店の方が多いかな。
というのは、これはつい最近の話だが、関西の店も取材してくれ、と言われ、さすがに関西の店は訪問取材は無理(関西までの交通費が出るわけもなく、ましてや宿泊費など逆立ちしても出ない)だから、基本は電話取材、たまにズームで取材している。もちろん写真は送ってもらう。というわけで、今では訪問取材よりも電話取材(またはズーム取材)の方が多くなっている、という次第。
ほんというと、関西はともかく、関東で行ける範囲なら、ちゃんと店を訪問して、写真も送ってもらえば簡単だけど、面倒でも自分で撮影したいんだけど、ねえ。なぜなら、撮影したら、取材後にその料理を食べさせてもらえるから。たまに撮影が終わったら料理をさっさと引っ込めてしまう店もあるにはあるが、たいていはどうぞ、食べてください、となる。そりゃそうだよねえ。撮影した後で冷めてしまった料理なんか客には出せないから。
かように、撮影ありの店は、撮影後に食べさせてもらう料理を楽しみに取材へと向かうわけだが、楽しみといっても、食いしん坊だから、とか、1食浮いてもうけた、とかではないよ(それも否定はしないが)。あくまで“試食”だからね。だって、自分で食べてもないものを、旨いだの、美味しいだの書いて、人様に紹介するのは、気が引けるじゃん?
だから、できれば、取材の際は必ず試食も、と条件をつけたい。が、残念ながら、諸事情によりそれはできない(その辺の事情はまた別の機会があれば改めて)。従って、撮影有りか無しかは店次第。取材の依頼が入ったときに前もって撮影の有無がわかればいいのだが、店に行ってみないとわからない、という場合も多く、その度にドキドキしながら(そこまで緊張はしないけど)、店へと向かう。
つい先日も、撮影有り(このときは事前に、撮影も、と依頼があった)の店を取材したのだが、これが珍しいことに、鰻屋、だった。この記事が掲載される媒体(メディア)が一般大衆向けの夕刊紙(かつて私が所属していた某夕刊紙のライバル紙である)ということもあり、取材する店の大半は庶民的な店で、高級店もないことはないが、極めて稀。ましてや鰻屋なんて、この連載がスタートして以来、恐らく初めてではないか。
もちろん取材後、撮影した「うな重」はありがたく頂いた。おまけに「うざく」と「う巻き」も、写真を撮ってくれ、と頼まれたので撮影したら、それも食べさせてくれた。いやあ、やっぱり、うなぎは旨いね。自腹ではまず食べないご馳走だけに、なおさら旨い。
このとき書いた記事を以下、そのまま引用するので参考までに。
夏バテ対策は鰻に限る、という鰻食いの諸兄に朗報だ。惜しまれつつ閉店していた鰻好きならご存知の名店が、熱烈ファンの要望にお応えして復活! この8月に待望のリニューアルオープンを果たした。看板だった柳川風せいろうは残念ながら外れたが、全国各地から仕入れるその時期最高の国産ウナギを使った蒲焼は健在。熟練の料理人が技によりをかけ、絶妙の焼き加減でふっくら焼き上げるウナギと滋味深いタレ、それを受け止める御飯が三位一体となって口中で奏でるハーモニーを堪能しよう。
新橋駅から銀座方面へ徒歩約3分。こんな好立地によく残ったなあ、と感心する一軒家は、写真を撮りたくなるほどの文化財級の趣。この外観だけで期待が膨らむ。
メインはやはり「うな重」(肝吸いと香の物付)で、上3,800円/特上4,800円。これにお造りと茶碗蒸しが付く「うな重御膳」は上4,600円/特上5,800円。この値段でこの旨さ、満足感。場所柄を考えても絶対に安い! 昼限定の「うな丼」は2,280円。
もちろん「うざく」(880円)や「う巻き」(1,280円)など鰻好きには必須のつまみも多彩に揃う他、「本日のお造り三点盛」(1,480円)や「天ぷら盛り合わせ」(1,480円)、「もずく酢」(580円)など一品料理も充実。蕎麦前ならぬ鰻前を肴にキンキンに冷えたビールや日本酒等で暑気払いといこう。また、近々ドミニク・ブシュ(ジョエル・ロブションの弟子)推奨のシャンパンも入荷予定。ウナギとシャンパンの取り合わせも、イイね!
あ、店名が入ってないな。気になった方は「アラドラ」のホームページからお問い合わせください。
かくして、撮影にかこつけて、ではあるが、「うな重」にありつけたその翌日、いや、翌々日だったかな? 毎月「アラドラ」関係者が集まってミーティングと称するただの飲み会をやっているのだが、今月のミーティングは鰻屋で行います、という知らせが届いた。おお、うなぎの2連チャン。これを僥倖といわずになんという。
というわけで、今回は鰻の話。ここからがやっと、本題である。相変わらず前置きがダラダラ長くてすいません。鰻といえば、土用の丑の日。土用の丑の日に鰻を食べる、という風習は、江戸時代にはじまった。それもそのはず、これは平賀源内が考案した、いうなれば一種のキャンペーンのようなもの、という話は有名だから皆さんもご存知でしょう。それにしても、そんなのが数百年を経た現代でも続いている、というのは、考えてみればすごいことだよねえ。
平賀源内については、エレキテルを発明した人、ぐらいの知識しかなかったので、念のためウィキってみたら(あ、ネットでウィキペディアを見ることね。年甲斐もなく若者言葉を使ってみました)、エレキテルは発明したのではなく、正しくは長崎で入手したものを修理して復元に成功した、ということのようだ。
もちろん他にも数多くの業績あり(殖産事業家として鉱山の開発など)、学者や医者、浄瑠璃等の作家、俳人、蘭画家などなど様々な分野で名声あり、詳細は書ききれないので省くが(自分で調べてね)、まあ、いうなれば天才ですな。
ただし、件の土用の丑の日に鰻の話は、夏場は鰻が痩せて売上が下がり困った鰻屋から頼まれた平賀源内が、「本日土用丑日」の張り紙を店頭に貼るよう提案した、という話が有力であるが、あくまで有力というだけで、じつはそれを裏付ける資料や文献はない、そうですぜ。
ということは、平賀源内はただ名前を利用されただけ、あるいは、後世の人が後づけで捏造した、などの可能性もあるんだろうな。まあ、平賀源内は今でいえばスターやアイドルのような有名人だったらしいから、さもありなん。
だけど、明和6年(1769年)にはCMソングとされる歯磨き粉「漱石膏」の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬をもらっている。と、ウィキペディアにあるので、これはレッキとした事実なのだろう。だったら、土用の丑の日の鰻の件も、やってそうだけどね。
それよりも、その広告コピーをもって、平賀源内は日本におけるコピーライターのはしりとも評される。という一文に私の目は釘付けになった。なんと、平賀源内は私の仕事の大先輩でもある、ということだ。私も某夕刊紙に所属していたときにやっていた仕事はほとんどコピーライターだったからね。今度から源内先輩と呼ばせてもらおう。
ウィキペディアでわかったことがもう1つ。平賀源内、もとい、源内先輩は、男色家、だって。つまり、ホモ?ゲイ?LGBT?色んな言い方があるが、とにかく性的マイノリティの人だっだらしい。まあ、天才とかゲ芸術家にはよくある話だし、江戸時代は性に関しては今よりもずっと大らかだったらしいから、堂々と公言していたんだろう。いいんじゃないすか、源内先輩。
鰻の話に戻るが、鰻は開き方や焼き方が関東と関西で異なるのも有名な話。今さらだけど一応述べると、関東では江戸時代の武家文化より、「腹開き」は切腹をイメージさせるから嫌われ、「背開き」にして「蒸し焼き」する。鰻は蒸すことでふっくら柔らかくなり、大きくみえることで「見栄を張る」武家文化で好まれ、焼き時間も短縮されるのでせっかちな江戸っ子気質に合っていた、という。
一方、関西では、腹を割って話す、という商人文化から「腹開き」。焼き方は蒸さずに直火でじっくり焼くことで、表面はサクッと、中はふんわり仕上げる。商人はじっくり商談したいから時間が少しかかるぐらいがちょうどいい、ということらしい。が、蒸さずに焼くのはかなりの技術を要する。「串打ち三年、裂き八年、焼き一生」という言葉はおそらく関西発祥だろう。
もっとも、「焼き一生」と言いながら、じつは「串打ち」の方が難しい、そうですよ。具体的な打ち方の説明はややこしいので省くが、関西では焼く時間が長いので燃えない金串を、関東では竹串を使う、というのも違いの1つである。
と、まあ、こうした話が定説のように語られており、インターネットでもだいたい同じような内容がズラズラ出てくるので、てっきり、これが事実だとお思いの方も多いでしょうが、じつはじつは、これも前述の土用の丑の日の話と同様、明確な根拠は何もない。どころか、はっきり、ウソだ、という人もいる。ウソと言って悪ければ、後付け、ですな。後になって誰かが無理やりこじつけた、というわけである。
その証拠の1つが、関東では最初に首を落とすが、関西では焼き上げた最後に首を落とす、こと。首打ちのイメージを忌み嫌うのは圧倒的に武家文化だから、これは逆じゃないとおかしい、というわけだが、どうせ首は落とすんだから、証拠としては薄いかな。
関東で「蒸し焼き」が主流になったのは、江戸時代の関東に熟練の職人が少なかったから、という説もある。直火で時間をかけて焼くよりも、一度蒸してから焼いた方が簡単だし、串打ちも、「背開き」した身に竹串を刺す方が、「腹開き」の身に金串より簡単、らしいですよ。やったことないからわからないけど。
また、関東の鰻は、利根川をはじめ長い河川で漁れるので泥臭く、その臭みを落とすため「蒸し焼き」にする、とか、単純に「背開き」の方が蒸すときに身が崩れにくい、とか、諸説入り混じってどれがほんとかわからない。けど、まあ、どれにしたって、明確な根拠なんてものはなく、真相は藪の中。いや、鰻だけに泥水の底。だけど、何が正しいかなんて、わからなくてもいいんじゃね。鰻が旨ければ、それで何も言うことなし。
というわけで、明日行く予定の鰻屋さん、まだどこの店か聞いていない(当初予定していた店が盆休みなので、別の店に変更する、という話は聞いた)が、さてはて、関東風か関西風か、お楽しみに。ということで、今回はこれにて。あ、鰻の話はもう少し書きたいので、もしかしたら次回は、その鰻屋さんの感想も含めて、鰻の話が続く、かも。鰻だけに、長~く、ね(ダジャレも低レベルですいません)。