離婚

離婚届け

いよいよ今年ももう終わりですなあ。大晦日も正月も普段と変わりなく過ごすつもりの独り者の私だが、ここにこういう文章を(ほとんどどうでもいいくだらない内容で申し訳ないが)書かせて頂いている身として、一応、この場を借りてご挨拶したい。多分、今回が今年最後のブログになると思うから、ね。

では、改めまして、皆様、今年は大変お世話になりました。私が当ブログを書きはじめたのがたしか9月だったから、お世話になったのはまだ4ヶ月、いや、もう4ヶ月か。あっと言う間ですな。光陰矢の如し。でも、まあ、とりあえずはこのまま、この調子でやらせていただこうと思ってますので、来年も引き続き、よろしくお願い申し上げます。

それから、関係者の皆様(このブログの読者はほぼ関係者だけだと思うけど)にちょっと業務連絡。私、もう何年も年賀状を出さないことにしておりますので、勝手ながらご了承ください。出さない理由は、面倒臭いから、というのももちろんあるのだが、それよりも、これまでずっと、その必要がほとんどなかったから、というのが大きいかな。

私の経歴の中で一番長い某夕刊紙の出版社では契約社員だったから、社内の人間関係に気を使わなくていい(ほんとはもう少し気を使っていたら正社員になれたかもしれないが、遅きに失した)し、社外の人とはほぼ取材を通じての関係なので年賀状を送るまでもない。その後のアルバイト生活では何をか言わんや。要するに、正社員として働いた経験があまりにも少ないと、こうなるわけですな。社会人として失格だ、と言われるかもしれないが、当方、すでに立派な社会人になろうという気は失せておりますので、しょうがないヤツだ、と笑ってお許しあれ。

前置きはそれぐらいにして、今回の本題に入る。1、2週間ほど前だが、俳優?タレント?のいしだ壱成が離婚、という記事が、ヤフーニュースはじめあちこちに出ていた。いしだ壱成ってご存知? 石田純一の息子ですね。若い頃はドラマなどに結構よく出演していて、わりと評価もされていたようだが、いつの間にか姿を消した、と思ったら、3度目の結婚をして、鳥取だか島根だか田舎に移住していた。そして3度目の離婚、ということらしい。

え?そんなの興味ない? はいはい、私もそうですよ。芸能人が結婚しようが離婚しようが、そんなのどうでもいいよね。いつもの私ならそう思うところだけど、今回、いしだ壱成の3度目の離婚の原因が、金銭苦、だと報じられているのが、私にはちょっと引っかかった。というのも、私も離婚経験者で、離婚の理由が、私自身はあんまりその認識はないのだが、同じく金銭問題が原因、だったから。

まあ、これについては色々思うところはあるにせよ、私のような平凡な一般人の離婚と芸能人の離婚を比較しても、比較しようがないので、身につまされた、というほどでもない。が、とりあえず、芸能人では珍しい“金銭苦による離婚”がちょっとだけ世間の話題になった、ということで、一応これをきっかけとして、恥を忍んで、私が離婚した経緯について述べてみたい。いやあ、これまでこのブログでは、薄毛だの肥満だの、ずいぶん我が身の恥を晒してきたが、またまた恥の上塗り、だな。まあいいか、笑って読んでいただけたら。

前回でも述べたように、私は現在、住所でいえば東日暮里、最寄りの駅は東京メトロ日比谷線「三ノ輪」、という地で一人暮らしをしているが、その前は、杉並区で一戸建てに住んでいた。新築3階建4LDKの建売住宅を買ったのだが、これが不相応だった、ということだな、結果的に。

買ったのは2005~6年かそこらだったと思うが、当時、私は例の某夕刊紙を発行している出版社の契約社員だった。正社員じゃないから高額な住宅ローンは組めない。なのになぜ家を買えたかというと、別れた妻(もちろんこの時はまだ離婚していない)が住宅リフォームの会社を経営しており(経営といっても社員は自分1人だけだけど)、彼女の名義だとローンの審査が通った。通ってしまった。スルガ銀行だった。

詳細はよくわからないが、なんでも女性経営者を応援する、みたいなローンだったらしく、拍子抜けするほど簡単にローンが組めたので、それまでは家を買う気なんてさらさらなかったのだが、子供(一人娘)もいることだし、まあ、長い目でみれば、家賃を払い続けるよりは、ローン返済の方がまだましかな、ということで、思い切って、買った。

しかし、甘い話には裏がある、というほどでもないが、やけに審査が甘いと思ったら、そのぶん金利が高かった。年利4%。高いよね。この高金利のせいかどうかはわからないが、私が契約社員を切られ、フリーランスとなり、収入がガクン、と下がると、妻の決断は早かった。私に事前の相談もなく、突然、家を売る、と言い出し、すでに新居も決めていた。その新居に私の居場所はないから、出て行ってくれ、と言う。ローンが払えなくなった原因は他でもない私にあるので、しぶしぶ別居を了承すると、そのついでのようにして離婚届が出てきた。

そのとき私は、何の仕事だったか忘れたが徹夜で原稿を書いていて、朝になってもまだ終わらなくて、しかも締切は朝一で、とにかく焦っていた。そんな時に切り出された家の売却と別居の話に深く考える余裕もなく、いきなり目の前に広げられた離婚届には、こんなときにする話か、と、腹立ちまぎれに判子を押した、と記憶している。今思えば、妻はそういうタイミングを狙っていたのだろう。いうなれば、マイホーム売却のついで離婚、とでも申しましょうか。って、自分で言ってて虚しくなるな。トホホ。

ただ、不幸中の幸いと言えるのは、その家がなんと、驚いたことに、買ったときとほぼ同じ値段で売れた、ことである。そんなうまい話あるわけない、と、思いますよね? 私もそれを聞いて最初はそう思いました。半信半疑どころか、まったくあてにしてなかった。ところが、実際に売却益の分け前を頂戴して、杉並区って、スゲエなあ、と思いましたね。おかげで家はないのにローンの返済は続くという最悪の事態は免れた。だけでも御の字なのに、あろうことか、当時の私からすれば(いや、今もそうだけど)そこそこの額のキャッシュが労せず手に入ったわけだから、これは不幸中の幸いどころか、災い転じて福となす?いや、そこまで言うほどの額ではないか。

というのも、売却益の半分をくれたわけではないからね。娘の分も、ということで、私の取り分は3分の1だった。だったら、養育費は払わなくていいか、というと、それはまた別、ということで、養育費は毎月しっかり取られている。養育費を払うのなら売却益の半々で分けるのが道理だろう、と、今にして思うのだが、当時はそんな反論する元気もなく、というか、もう話もしたくなかったので、文句も言わず、子供1人にしては結構高い養育費を払い続けて現在に至る。

その養育費ももうあと2月ほどで終わる。娘が来年2月で二十歳になるからね。だから、来年の2月以降も今のペースで働き続ければ、今まで払っていた養育費の分を丸々貯金に回せる、はずである。養育費がなくなったからいいや、と気を緩めてサボったり散財したりしなければ。

というわけで、来年は貯金の歳にしよう、と思う。いつもなら、一年の計は元旦にあり、などという言葉は私の辞書にはないが、今年、いや、来年か、もうあと数日で迎える正月には、恐らく我が人生では初めてではないか、という気もするが、一年の目標を掲げよう。今年は貯金の年にするぞ、と。ちょうど寅年だし(関係ないか?)。

おお、離婚の話なんぞして我が身の恥を晒したけど、その結果、来年の目標を立てる、という、私にとっては一大事(皆さんにとっては当たり前のことかもしれないけど)につながって、よかったなあ。一年の締めくくりとしては上出来じゃないか、と、強引に思い込んで、我田引水のまま終わりたいと思う。では、よいお年を。