認知症

認知症

前回からちょっと間が空いてしまい申し訳ない。このブログの原稿は、介護施設での夜勤中に書くことが多い、というか、ほとんど夜勤中に書いているのだが、ここのところ利用者様の介護度(つまり手のかかる度合いね)が急に重くなってきて、夜間ずっと休む間もなく働き続けで、とても原稿を書いているヒマなどない、という日か多くなってきた。

同時に、いつも持ち歩いているノートパソコンの調子もますます悪くなってきた。書いている最中に突然シャットダウンすること度々、ひどい時には立ち上げた瞬間に落ちてしまうことさえある。というわけで、なかなか原稿が進まない、という言い訳は以前もしたが、これに加えて、今月から介護士のベテランのおばちゃんが1人辞めた。

このおばちゃんは、私と同様、夜勤専門だが、月に15日も入っている猛者だった。夜勤は入り日と明け日がセットだから、月15日ということは明け日を合わせると30日。ほぼ毎日入っていることになる。そんな人が辞めたのだから、当然、しわ寄せは私のところにも来て、前月まで私の勤務日はだいたい月8日から9日だったが、今月から月に11日に増えた。そりゃ疲れますわな。

などと相変わらずお聞き苦しい言い訳をしつつ、じつは今も性懲りもなく、例によって夜勤中にわずかな隙をついてこの原稿を書いている。いつ落ちるかわからないパソコンで。ただし、今日はいつもの3階ではなく、2階の担当。以前書いたかどうか忘れたけど、ここの施設は1階から3階まで3フロアあって、私は2階のフロア担当の日もあれば、3階のフロア担当の日もある。が、ここ2~3ヶ月ぐらいはほとんど3階で、2階は月に1回だけ。なぜだか知らないが最近はそういうシフトが組まれている。

原稿を書くノートパソコンの写真

で、私は入居しているお婆ちゃん達から人気がある、と、常々吹聴してきた(半分冗談ですよ)が、それは3階のフロアでの話であって、2階のフロアでは人気がない。というのは、2階は定員9人のうち4人が男性という珍しい構成で、男性の利用者は食事や入浴の時間以外は部屋に引きこもっていることが多いから、必要最低限のコミュニケーションしかとれず、人気もクソもない。

残り5人の女性のうち、2人は車椅子の重度の要介護者で、ほぼ会話は成り立たず。そして最近入ってきた2人のうちの1人は帰宅願望が強くて職員とのコミュニケーションをしばしば拒否。もう1人はうつ病。つまり女性5人のうち4人がほとんどコミュニケーションをとれないという、これじゃ人気もクソもないよね。

ただ、残る女性1人は、現在腰の骨を折ったとかで寝たきりだが、この人はもう95か96歳になろうというのにボケもせず、意識はクリア。本が好きのようでよく読んでおり、先日、私に村上春樹の短編集をくれた(貸す、ではなく、あげるから返さなくていい、と言われた)。これが、「ドライブ・マイ・カー」。そうです、あのカンヌで賞を獲った話題の映画の原作ですね。図らずも話題作をおかげで読むことができたわけだが、その感想はまた別の機会で。お返しに私もお勧めの本を持ってきたりして、ちょっとした読書の友である。

ドライブマイカーの画像

まあ、2階でもこの人だけは、本をくれるぐらいだから、多少は好かれているのかもしれない。あ、そういえば男性の1人とは良い将棋の相手で、時間があるときは将棋を指しているから、この人とも仲良しといえばいえる。もっといえば、うつ病の女性は、男性恐怖症の気があり、男性職員が更衣介助やオムツ替えをしようとすると「触らないで!」などと激しく拒否する、と、申し送りで報告があったが、なぜか私には拒否反応はなく、オムツ替えなども素直にさせてくれる。

だからこのうつ病の人にも、他の男性職員よりは比較的好かれているかな、と、思っていたら甘かった。ついこの間の朝、トイレで更衣介助の最中、フッと気を失って倒れそうになった(こういう症状があります)ので、私がサッと手を伸ばして体を支えると、そこでハッと我に返った途端、キッ!と険しい顔になり、「アンタどこから来たの?」だって。普段は出なかった(少なくとも私には)男性恐怖症が、卒倒しかけた瞬間に出たんでしょうな。だからこのうつ病の人からは、好かれている、というのは勘違いだった。

まあ、そんな感じで、総じて2階の利用者からは人気がない(寝たきりの女性1人と将棋相手の男性1人を除いて)。というか、人気もクソもない。それに比べると3階は―――って、その話をしだすとまた長くなるので、またいずれの機会に譲るとして、今回はちょっとした別の話をしたい。

というのは、つい先ほどの話である。2階には車椅子の重度の要介護者が2人いる、と述べたが、そのうちの1人が、珍しく、私にムニャムニャとなにか話しかけてきた。普段はこちらが挨拶しても返事もしない人なのに、珍しいこともあるもんだ。と、思って、ムニャムニャと聞き辛いその婆ちゃんの話をよーく聞いてみると、どうやら、「お金を盗まれた」と言っているらしい。

これは認知症のあるあるで、認知症の初期の頃にこういうことを言う人はよくいる。典型的な認知症の症状の1つと言ってもいい。私が以前、ここの施設とは別の施設に勤めていたときは(その施設は3ヶ月で辞めたが)、定員9人のうち3~4人が口を揃えるようにして、お金やその他、色んなものが「盗まれた」と訴えていた。

しかし今の施設は、認知症の人はすでに初期を過ぎており、自分のお金の管理などという概念はもう遥か彼方、どころか、お金というものの存在さえ忘れている(信じられないかもしれないが、多分、そうです)人もいるぐらい。だから、「お金を盗まれた」というセリフを聞いたのは、久しぶりだった。懐かしくさえあった。

もちろん、その婆ちゃんもお金なんか持っているはずはなく、だだの妄想である。いちいち調べなくてもわかる。その証拠に、「いくら盗られたんですか?」と聞くと、それには答えず、いつどこで盗られたのかを聞いても、ムニャムニャと誤魔化し、ただ「お金を盗られた」の一点張り。

そしてその婆ちゃんは、意外にしつこく、私がはいはい、それは大変ですねえ、とかなんとか適当に答えていると、業を煮やしたのか、テレビを指差して(ちょうど行方不明だった女の子の骨が見つかった、という報道をしていた)、世の中物騒だからねえ、とか、警察に相談したいんだけど、とか、やけにまともなことを言うではないか。認知症とばかり思っていたけど、もしかしたら正気のときもあるのかも。まあ、まだらボケ、という言葉もありますがね。

それで思い出したのだが、私がここの施設に勤めだした3年ほど前のこと、やはり、いつも「お金を盗られた」としょっちゅう言ってくる婆ちゃんがいた。いや、お金じゃなくて財布、だったかな? まあどっちでもいいか。それがあんまり度々そう言ってくるもんだから、職員はみんな、もはや相手にもせず、はいはい、財布なんか最初からないでしょ、などと軽くあしらっていた。

しかし、入所したての私は、そんな婆ちゃんを無下にするのは忍びなく、私にそう言ってきたら、「はい、わかりました、一緒に探しましょうね」と言って、その婆ちゃんの居室まで一緒に行き、タンスの引き出しを開けるなどして、一応探すふりをする。そうしておいてから「ないですねえ。きっと、ケンジさん(その婆ちゃんの息子さん)が持っているんですよ。今度面会に来たときに聞いてみましょうね」とかなんとか言ってなだめると、納得はしてないものの、その後しばらくは大人しくなった。

認知症の方とタンスの中を探す写真

なぜそんなことをしたのか、というと、そのとき私は、ほとんど未経験だったけど、なぜか、「認知症の患者に対しては、“否定”をしてはいけない」といった知識を持っていたから。認知症の人は、否定されると怒ったり暴れたり不穏になったりするので、とにかく否定はせず、はいはい、と肯定しつついなすことで、その場は収まる。それがわかっていたから、財布がない、という人には、探してもないのはわかりきっていながら、あえて一緒に探してあげる。そうすることで不穏は避けられます。これ、多分、本当ですよ。

しかし、私がそんなことをやってたら、「1人の利用者にかまい過ぎたらダメよ。他の利用者を見れないでしょ」と、先輩のおばちゃん職員(もとい、おばちゃんでもここではお姉さんだ)から叱られた。実際、そこまでする余裕がないときのほうが多かったのは事実だし、その婆ちゃんは、私なら相手してくれるから、と、私のところばかり来るようになったりもしたので、私も次第に、他の職員と同じような対応をしてしまうようになってしまった。今思えば、残念ではある。できれば、もっとちゃんと相手してあげたかったけど、ねえ。

というのも、その婆ちゃん、さほどの年でもない(たしかまだ80代だった)のに生命力が弱く、私が働いている間にみるみる衰えていった。その後私が一旦その施設を止め、1年ほどのブランクを経て戻ってきたら、入れ替わるように入院してしまい、そのまま入院先の病院で亡くなった。嗚呼、面倒臭がらずにもっとちゃんと相手してあげれたら、もう少し長く生きてたかもしれないなあ。合掌。

と、ここで話を終わったようで、まだ終わらない。蛇足かもしれないがもう少し続く。その婆ちゃんは、財布だけでなく、色んなものを無くす人で、カギがなくなった、というときもあれば、ハンコがなくなった、というときもあった。もちろんどちらも最初からないのは言うまでもない。

そしてしばらくすると、今度は、カギが入った財布がなくなった、とか、ハンコが入った財布がなくなった、と言い出し、さらには、財布が入ったバッグがなくなった、とも言い出す始末。よく聞くと、そのバックには財布が3個入っていたらしい(笑)。おわかりだろうか。ただ○○がなくなった、と言っても相手にされないものだから、認知症なりに色々考えて、これだったら相手にしてもらえるかも、と思うものを認知症なりに選んで、なくなった、と言ってるんでしょうね。

それに気がついたときは、思わず笑っちゃったけど、一方で、笑っちゃいけない気もして、ちょっと複雑だった。だって、健気といえばいえなくもないし、可哀想な気がしないでもないし。まあ、とどのつまり、悲しいかな、これが認知症というものですよ。ということで、今回はこのへんで。微力ながら、認知症とはどういうものか、理解するための足がかりに少しでもしていただけたらば、幸いである。