貧乏性

サンダル アディダス

10月になってもまだまだ暑いなあ、と思ったら急に寒くなり、やっと秋が来た、と思ったらすでに冬の気配さえ感じる今日この頃。気持ちよく過ごしやすい秋が年々短くなっているような気がするのは私だけではないと思うが、そんなことより、10月といえば、今年も残りあと3ヶ月しかない、ということじゃないですか。いやはや、時の流れの速さ(早さ、ではなくあえて、速さ、と表記する)に呆然としますな。もう今年も~、終わりぃ~、ですねぇぇぇ(吉幾三の「雪国」の一節にのせて)。

などと言いつつ、唐突ですが話は今夏の暑い盛りの頃まで遡る。昨年の夏にもこのブログで書いたと思うが、夏の間はずっと私、介護施設へは半ズボンにサンダルという恰好で出勤している。これがじつに快適で、猛暑もへっちゃら、夏バテ知らず、とまでは言わないが、ずいぶん助かっているのは間違いない。靴下を履かなくてもいい、というのが大きいね。

おかげで、外へ出るのもイヤになる炎天下でも、足元は涼しく、歩きやすい。むしろ電車に乗ると冷房の効き過ぎで寒いときさえあるぐらい。逆に、電車の中でスーツに革靴を履いた汗だくのサラリーマンなんか見かけると、このクソ暑い中、ご苦労様です、と声をかけたくなる。かけないけど。

介護施設では出勤時だけでなく、勤務中も半ズボンで通す。施設内はもちろんエアコンが効いているが、老人の居住空間なので設定温度は高めで、働いていると汗をかく。介護も肉体労働だからね。とくに汗っかきな私は、いつも着替えを2枚持参し、出勤したらすぐ着替え(駅から結構遠いので歩いて汗をかいている)、夕方利用者を就寝させた後でまた着替え(車椅子を押し利用者を抱えてベッドに寝かせオムツを代える、といった作業で汗をかく)、仕事が終わって帰る前にまた着替え(朝の起床や朝食の準備等あれこれで終わる頃には汗ビッショリ)、都合3回も着替えている。

3回着替えるなら、着替えは2枚じゃ足りないだろうって? チッチッ、介護施設だからね。洗濯機があるんですよ。しかも1フロアに2台も(そのうち1台は便や尿などの汚物専用だけど)。だから私はいつも夕方、利用者全員を就寝させた後、2回目の着替えをして、汗で濡れた2枚を洗濯機で洗っている。ホントはそんなことしたらダメなのかもしれないけど、早番が帰ってしまえば私1人なので、文句を言う人はいない。洗ったらすぐ干しておけば、朝までには乾くので、帰宅時はそれに着替えればいい。というわけだ。

洗濯

しかし、シャツ(気取っていえば、トップスね)は着替えられても、ズボン(ボトム)までは替えられない。持参して履き替えるのは面倒だからね。だから半ズボンで出勤できて、勤務中も半ズボンで働けるのは非常にありがたい。これは介護という仕事の数少ない利点の1つといえるだろう。施設によるかもしれないけど。

ただ、出勤時は素足にサンダルだが、施設に入れば靴下は履く。室内履きは個人で用意するが、私が今履いているものは、どちらかといえば冬用のスリッパに近いタイプで、素足で履くと蒸れるから。暑いときに靴下履くのはイヤだけど、まあしょうがない。

それはともかく、そうして昨年の夏の間の出勤は、ずーっと半ズボンにサンダルで通したので、今夏ももちろんそうするつもりだった。実際、お盆ぐらいまではそうしていた。ところが、ある日、たまにしか会わない施設長(女性)から、「半ズボンはダメ」と言われたではないか。

あいやー、なんてこったい。と、頭を抱えましたね。心の中で。せっかく、半ズボンのおかげで、このクソ暑い中でも頑張れてたのに。理由を聞けば、「何かあったら責任とれないから」だって。いやいや、何があるのか知らないけど、何かあっても責任なんかとらなくていいし、第一、それまで半ズボンで問題なんかないですよ、と言いたかった。けど、こういうのは反論してもしょうがない。それが規則と言われればそれまでだ。というのがわかるぐらいには大人なので(当たり前か)、言い返しもせず、ただ、わかりました、とだけ答えた。

そこで一計を案じた。半ズボンがダメならせめて、施設内でも靴下を履かなくてもいいように、室内履きもサンダルに替えよう、と考えたのである。ただし、買うならできるだけ安いやつね。たかがバイト(というわりには長く勤めているが)にお金をかけたくはないからね。

というわけで、その夜勤明けに早速、帰宅途中にある「ライフ」というスーパーに寄った。昨夏にそこで買って、今も外履きにしているサンダルがえらく安かった(たしか1400円かそこらだった)ので、同じものを、と思ったのだが、なかった。昨夏はたまたま掘り出しものだったようだ。

そこで一旦帰宅した後、自宅近くにある「オリンピック」というホームセンターへ行った。そこなら靴の品揃えが豊富なので、サンダルだってきっと安いのがあるだろう、と思ったのだが、意外とない。外でも履けるようなしっかりしたサンダルは結構あったが、室内履きにふさわしい軽めのものがなかなかない。

そこでしばらくウロウロしていた靴コーナーの片隅で、「値下げしました!」とのPOPを発見。すかさず手に取ってみると、アディダスのサンダルだった。アディダスといえば、かつてバスケットをやっていた学生の頃、バッシュはアディダスの「スーパースター」を履いていた。子供にとってはいわば憧れのブランドであった。今でもそうなのかな?

ところが、私が大学生になった頃(大学ではバスケット部には入らなかった)、エア・マックスをはじめ爆発的なスニーカーブームが起こり、バッシュではエア・ジョーダンでナイキが席巻。マイケル・ジョーダンを筆頭にNBAのスター選手がこぞってナイキと契約を結び、シグネチャー・モデルを発売していた。

一方のアディダスは、たしかコービー・ブライアントが履いていたぐらいで、バッシュの勢力図では明らかにナイキの後塵を拝していた。その代わりというわけでもないだろうが、アディダスはバスケットよりもサッカーに軸足を移していた。いや、もともとサッカーが主戦場だったのかな? 詳しくは知らないが、とにかく今やアディダスといえばサッカー。サッカー界ではナンバー1ブランド、だと思う。多分。

私は昔、ライターとして駆け出しの頃、そのスニーカーブームに乗じて、スニーカーのムック本をつくったりしたことがあった。しかし長くは続かず、というか、ブームが去ればあっさり廃刊。ほんの1冊、ほんの瞬間で終わり、その後二度とスニーカーに関わる機会はなかったので、とくにスニーカーに詳しいというわけではない。それでも、ついその頃を思い出して、シグネチャー・モデルとかムック本とか、業界用語を使ってしまった(意味は自分で調べてください)が、今ではすっかり興味が失せた。歳のせいもあるが、今ではスニーカーはもとより、そもそもブランドというもの自体に興味がない。高い金出してブランドものを買うヤツの気が知れない。というのは貧乏人の僻みだろうが。

話は戻るが、その時見つけた、「値下げしました!」というアディダスのサンダルは、いかにも室内で裸足で履くのにふさわしい、ように思えた。ブランドはどうでもよかったのだが、まあ、アディダスなら、ノーブランドのものよりはしっかりしているだろう。と思って、すぐさま手にとり、レジへ持って行った。このとき、値段を確認しなかったのはケチで小心者の私には珍しいことだった。

そして会計すると、なんと、3千円を超えていた。値下げしても3千円超って、定価はどんだけ高いんだ? いやあ、失敗したなあ。たかがサンダルに3千円もかけるつもりはなかったのに。千円そこらの安いやつを買うつもりだったのに。学生の頃履いていたアディダスだからつい親近感で買ってしまったが、アディダスってそんなに高かったっけ?

まあ、予定外とはいえ2~3千円ぐらいの出費なら、夜勤明けの晩酌ならぬ朝酌を一回我慢すれば済むので、そうそう悔しがることはない。と、分かっちゃいるが、それでもやっぱり悔しいのは、貧乏性のなせる業。50歳でひとり暮らしをはじめで早7年余。バイト掛け持ちでシコシコ働いてりゃ、それなりに貯金も貯まり(まだ全然少ないけど)、さすがに月々の支払いに怯えることはなくなったが、未だに貧乏性は治らない。やれやれ、いつになったら値段を気にせず買い物ができるやら。

と、いつまでも悔しがっていてもしょうがないので、早速次の出勤から履いた。出勤時は長ズボン、正確にいえば、寒くなる前に履いていたペラペラのカーゴパンツに裸足でサンダル。施設に着けば裸足のまま、新しいアディダスのサンダルに履き替える。つまり家を出てから帰宅するまで、勤務中もずっと、裸足。靴下を履かなくていい。これはこれで快適である。裸足なら長ズボンでさほど暑さを感じない。

よしよし。と思いつつ働いていたとある日。アディダスのサンダルにして3回目か4回目の出勤日だったかな? 悲劇は起こった。深夜、というより朝方、入居者の居室で、オムツ替えか何かの作業のため膝を折ってしゃがんだ瞬間、ビリッ!と音がした。言わなくてもわかると思うが、ズボンの尻が破れたのだ。

うーん、サンダルは新調しても、ズボンはそのまま、が失敗だった。その日履いていた、いい加減履き古したペラペラのカーゴパンツは、股の布に少し亀裂が入っていたのは気づいていた。いつ破れてもおかしくなかった。にも関わらず、まだ大丈夫だろう、と、しつこく履いていたのは、これも貧乏性のなせる業。貧乏はつらいね。

で、どうするか。勤務中はべつに破れたズボンでも構わない。問題は帰宅途中の電車の中。家に帰るまでもてばいい。ということで、朝の忙しい時間帯はそのまま働き、終わってから、ガムテープを貼ってみた。家までもてばいい、と思って。しかし、布がペラペラでうまくくっつかない。その間にも破れめがどんどん広がっていく。見かねて、入居者の1人が裁縫道具を持ち出して縫ってくれた。

裁縫

この方は、入居者の中では唯一、認知症でもなく体も動き意識もしっかりした人で、いつも仕事を手伝ってくれる。全員が全員手がかかるわけではなく、そういう人もおられるんです。ごくわずかだけど。しかしそれでも、あまりに布がペラペラで薄すぎて、縫ったそばからまたホロホロと破れていく始末。もうどうにもならない。ていうか、そんなペラペラのズボンをいつまでも履いてくるなよ、という話だが。

うーん、どうすっかなあ、と、途方に暮れていたら、その日早番で出勤してきたスタッフのお姉さん(オバちゃんだけど)が、これ貸してあげる、と言って、どこからか安っぽいジャージを持ってきた。それは中学か高校の体操服のお下がり、といった風の、普通ならみっともなくて履けないような、ほんとにダサいジャージであったが、背に腹は代えられない。というより、むしろ天の助け、であった。ビリビリに破れてパンツ丸見えのズボンで帰るわけにはいかないからね。

というわけで、その日は自分でも笑えるぐらいのダサい恰好で帰宅した。というくだらない話に最後までお付き合い頂きありがとうございます。あんまりダサいので、写真撮っておけばよかったなあ、と今にして思うが、その日はそこまでは考えが及ばなかったのでしょうがない。今度同じことがあったら自画像の写真撮っときます。いや、勤務中に破れるようなペラペラのズボンはもう履きません。といいつつ、まだ家には2、3本、同じようなペラペラのカーゴパンツがあるんだよなあ。さあ、それも破れるまで履くか、破れる前に捨てるか、思案のしどころだ。え、さっさと捨てろ、って? それができれば苦労はしませんよ。なにしろ筋金入りの貧乏性だからねえ。