竹久夢二

最大で10連休という声もあったGWが終わった今になって言うのもなんだけど、GWが来るたびに、つくづく思うことがある。それは何かというと、うまく休みがとれれば10連休とか、いや、うちは暦通りです、などというのは、きちんと週休2日で働いていらっしゃる正社員様の話であって、私も含めたしがないパートやアルバイトで働く底辺には、GWなんか関係ない、ということ。

なぜなら、パート・アルバイトの勤務体制は、仕事にもよるが、たいてい平日も休日も関係ないシフト制だから。たとえば介護施設のように休めない仕事だと、GWだろうが正月だろうがお盆だろうが、一切構わずシフトは組まれる。つまりGWも普段と何ら変わることはない。正社員の方々がやれ海外旅行だ、帰省だ、レジャーだ、と一斉に大移動、混雑する駅や空港や行楽地、渋滞の高速道路などのニュースを横目に相も変わらずシコシコと、汗水垂らして働いて、貧乏暇なし、底辺にGWなし。

と、僻んではみたものの、実のところ、シフト制ということは、前もって休みの希望を出しておけば、ほぼ希望通りに休めるわけで、GWに働きたくないならそういうシフトにしてもらえばいいだけの話である。シフトが決まってしまえばなかなか休めないが、決まる前に申請すれば、自分の都合に合わせて、好きなときに休めるのが、パートやアルバイトの利点の1つだからね。

とはいえ、独り身にとっては、GWに休みを入れてもしょうがないしねえ。どこへ行っても人が多いし、渋滞するし、金もかかるし。それよりも、GWは働いて、人様が働いている平日にゆっくり休むほうがいい。というわけで、本業のライター仕事がほぼ壊滅状態で、副業のつもりではじめたアルバイトが本業になりつつあるここ数年は、GWに働くのは当たり前。GWに休みをとって、どっかに行こう、なんて発想ははなからない。なんかもう、思考や行動にまで底辺が染みついているな。

それにしても、ここのところ異常なほどの円安で、いくらGWとはいえ、これほど円が安い時期に海外旅行なんて、行く人がいるのか、と思っていたら、なんと飛行機のハワイ便の予約は過去最高だって。円安なんぞものともしない金持ちは予想以上に多いらしい。国内では何でもかんでも値上げ、値上げ、で、生活に窮している人も少なくないというのに。前々から言われていたことだが、日本の富裕層と貧困層の差はますます広がっているようだ。

ということで、GWが終わったばかりだけど、GW中は仕事しかしておらず、とくに書くべきことは何もないので、今回はGWとは関係ない、それ以前のお話です。まあ、相変わらずの遅筆のせいで、せっかくのネタがアップする頃には古くなっている、というのは、当ブログではよくあることなので、お気になさらず。と、開き直りつつ、本題に入る。

先日(つまりGWよりずいぶん前ね)、めったにないことだが東京大学に用事があって、本郷を歩いていたとき、とある看板が目についた。「竹久夢二美術館」。おお、こんなところで竹久夢二。たしか大正ロマンを代表する画家で、美人画が有名なんだよね。ぐらいの知識しかないが、これはもしかしたら、竹久夢二をもっと深く知る、絶好の機会になるやもしれぬ。

あ、東京大学での用事というのは、別に学術的なものではない。一応、これもライター仕事の1つ。と強引にいえば言えなくもないが、しかしギャラは交通費程度しか出ないし、そもそも私じゃなくても誰でもいい案件なので、正直にいえば仕事ではない。まあ、お付き合い程度の軽い用事で、時間もさほどかからなかった。そして、その後はとくにやることもなかった。つまり、その時、ヒマといえばヒマであった。なにしろ現在は夜勤が主なので、昼間はヒマなのだ。寝ずに起きていれば、の話だけど。

ヒマだったのに加えて、これは過去ブログで何度も書いたが、その頃私はなぜか突然、意味もなく美術鑑賞に目覚めており、国立東京博物館や西洋美術館、東京都美術館に上野の森美術館、さらには新宿のSOMPO美術館など、手当たり次第に行きまくっていた。その流れもあって、「竹久夢二美術館」にも興味を魅かれた次第。いいね、竹久夢二。せっかくだから、ちょっと覗いていくか。それまではモネやゴッホなど、どちらかといえば外国の画家の絵を多く観てきたので、たまには日本人の画家の絵も観ないとな、という気持ちもあった。

もう1つちなみに、「竹久夢二博物館」の隣には「弥生美術館」とも書かれていて、看板の文字は「竹久夢二美術館」の方が大きいが、そこから2~3分ほど歩いて美術館の前まで行くと、建物には「弥生美術館」とあるが、「竹久夢二」とは書かれていない。これは、看板がなかったら、ここが「竹久夢二美術館」とは気づかないのではないか。

竹久夢二美術館

竹久夢二美術館

私の勝手な推測だが、ここは元々「弥生美術館」で、竹久夢二はあくまで「弥生美術館」が所蔵する作品として展示のみだった。が、あるとき、どうやら竹久夢二の名を前面に打ち出したほうが客が入る、ということに気がつき、それまでの常設展から美術館へと格上げ。「弥生美術館」に併設のもう1つの美術館として、「竹久夢二美術館」が誕生した。といういきさつは私がでっちあげたものだから信じちゃダメですよ。でも、恐らく、当たらずとも遠からず、ではないかと思っている。

そんなことはどうでもいいとして、いざ、入館。入館料は1000円。だが、何とかペイやカードは使えず、現金のみ。こうみえてキャッシュレス派の私、現金は持ち歩かないことが多いが、この時はたまたま、1枚だけ千円札が財布代わりのカードケースに入っていたので、それで支払った。これが後に波紋を広げることになるとは、この時点では知る由もない。って、そんな大袈裟な話でもないか。

入ってすぐは「弥生美術館」で、「竹久夢二美術館」はその奥のよう。入館口というか受付は1か所しかないので、「弥生美術館」は入らずに「竹久夢二美術館」だけ入る、というのはできないらしい。仕方ないので、「弥生美術館」開催されていた、「槇村さとる展」なるものを、興味はないけど、一応、さっと見て回る。

「槇村さとる」は女流漫画家で、1978年にフィギュアスケートを題材にした「愛のアライアンス」で一躍人気となり、「ダンシング・ゼネレーション」「N★Yバード」などの作品を発表。ポジティブに活躍する女性たちとダイナミックなダンスを主題とした作品で知られ、1990~2000年代には「おいしい関係」「Do Da Dancin!」「Real Clothes」など、自立した女性を描いた作品を中心にヒットを生み出す。ファッションや健康法についてのエッセイも多く、ライフスタイルを注目されている。そんな「槇村さとる」のデビュー50周年を記念した企画展で、現役漫画家として走り続ける彼女の作品原画の数々を展示している。

と、まあ、興味がない、と言うわりに結構詳しく紹介したのは、例によってパンフレットから引用しただけで、私はそれまで名前も知らなかった。知っても別に興味はわかない。まあ、ゆうても、しょせん少女漫画、だからねえ。失礼ながら。これが「キャンデイキャンデイ」のいがらしゆみこ、とか、「ベルサイユのばら」の池田理代子、とか、作品は知らないけど里中満智子、とか、私でも名前ぐらいは聞いたことある、ぐらいのレベルの人だったら、少しはちゃんと観たかもしれぬ。が、知らない人だし興味もわかないので、ほぼスルーして、「竹久夢二美術館」へ。同じ敷地内、いや、同じ建物内?に2つの美術館がある、というのがややこしい。

竹久夢二は、明治17年9月16日、岡山県生まれ。22歳のとき、「中学世界」にコマ絵「筒井筒」が一等入選。以来、美人画で一世を風靡した、“大正ロマン”を代表する画家。その抒情的な作品は「夢二式美人」とも称され、“大正の浮世絵師”などと呼ばれたこともある。

私が思うに、「夢二式美人」とは、日本女性の美の基準が大きく変わった、その転換点に花開き、美意識の変化を一般大衆にもわかりやすく、かつ鮮烈にインスピレーションして魅せた、まさに時代の象徴である。江戸時代に浮世絵美人から、西洋人の影響を受けつつも、日本人ならではの和の美人へ。そこには、大正ロマンという、今もって考えればまことに不思議な、時代の狭間に儚く咲いた淡い仇花のような文化が薫り立つ。文化を創った、という意味では、大正の浮世絵師、というよりも、日本のロートレック、ではないか、と私は思うのだが、いかがだろうか。

「竹久夢二美術館」では、美術館と冠するだけあって、さまざまな企画展を時期折々に開催しているようで、私の来館時は、「夢二の旅路」と題する企画展を開催中だった。ゆめじ、と、たびじ。一応、韻を踏んでるね。サブタイトル?に「画家の夢・旅人のまなざし」とある通り、竹久夢二は生涯多くの時間を旅に過ごし、制作のインスピレーションを受けた。東北から九州まで訪れた土地は数多く、晩年には2年4カ月をかけて欧米を回る外遊も経験。見知らぬ地を彷徨いながら、夢二は自らの孤独や想いを作品に表現し続けた。

本展では、そんな夢二の、旅に憧れを抱いた少年時代から、長年願い続けた外遊まで、旅の軌跡を紹介。旅を重ねる中で、新鮮な感受性を持った旅人の視点で日常の物事をも見つめ、さまざまな驚きや発見を作品に反映した夢二。その異国情緒あふれる作品には、夢二の豊かな想像力が発揮され、独自の世界が表れている。

とは、またしてもパンフレットからの引用だけど、実際に観ればやはり、その新鮮な感受性や豊かな想像力を、たしかに感じる、なかなかの企画展であった。それにしても、竹久夢二がこんなに旅した人だったとは、知らなかった。しかし、そういえば、ここ以外にも、竹久夢二の作品を集めた美術館というか記念館は、伊香保や高岡など、結構あちこちにある。それもまた、それだけ夢二が多くの土地を訪れた証、なのかもしれない。

かように、ヒマにまかせてじっくり竹久夢二を堪能し、大満足して「竹久夢二美術館」を後にした。あ、写真もOKだったので、撮った写真の中で、タイトルがわかるものだけ、以下にアップしときます。夢二の世界を少しでも共感していただけたら幸いです。

掛け軸「奥の細道」

掛け軸「奥の細道」

旅舎春宵

旅舎春宵

水竹居

水竹居

で、帰ろうとしたとき、ふと見ると、出口の横に「夢二カフェ 港や」というのがあるじゃない。メニューをみると、カレーが看板のようで、美味しそう。ちょうど昼時だし、昼飯もまだだったので、これは食わなきゃ、と思い、そのカフェに入ろうとした、そのときであった。

夢二カフェ メニュー

夢二カフェ メニュー

なんと、ここでも、またしても、現金のみ、の忌まわしき表示が。察しの良い方ならすでにお気づきでしょうが、1枚だけ持っていた千円札は入館料で払ってしまい、現金はすっからかんのノーマネー。キャッシュレス派を気取った罰が当たったかのようだ。泣く泣くカレーはあきらめて、トボトボ帰途に就く私。折しも雨がポツポツと振ってきて、踏んだり蹴ったりの「竹久夢二美術館」であった。いや、竹久夢二は大変素晴らしかったですよ。夢二は悪くない。悪いのは私だ。といったところで、お粗末様でした。チャンチャン。