『燃えよ剣』(後編)

古本屋

前回のこのブログで、たまたま立ち寄った本屋で司馬遼太郎の『燃えよ剣』を見つけた話をしましたが、その続きです。

前回でも言った通り、「新選組」が好きである。歴史が好きな人に、どの時代が好きですか? と問うと、これはもう圧倒的に、群雄割拠の戦国時代です!という答えが多いけど、私は絶対的に幕末から明治維新にかけての時代が好きで、その理由の1つに「新選組」の存在があることは言うまでもない。

幕末という時代が好きになったきっかけは、ご多分にもれず、若い頃に『竜馬がゆく』を読んで感化されたクチで、その後に読んだ『翔ぶが如く』の西郷隆盛もよかったし、『世に棲む日々』の高杉晋作も、『アームスストロング砲』の鍋島閑叟も、『酔って候』の山内容堂も――って、司馬遼太郎ばっかりだな。私の歴史観は司馬遼太郎で出来ている。そういう人は多いと思うけど。

それが、『峠』(河合継之助を描いたものですね)を読んだあたりから、勝者よりも敗者の側のほうが面白い、と思うようになり(余談ですが、長岡の「河井継之助記念館」はお薦めですよ)、一方で、坂本竜馬だって、グラバーという武器商人の力を借りたからこそのあの活躍ができたわけであって、一歩間違えば戦乱に乗じてボロ儲けをたくらむ外国人の手先になっていたかもしれない。というように、勝った側の人物が単純に正義のヒーローでもないことがわかってくるにつれ、いいかげん司馬遼太郎は卒業して、他の作家も読むようになった。

浅田次郎の『壬生義士伝』を読んだのもその頃だったと思う。前回でも書いたけど、これがもう衝撃と言っていいほどの面白さで、「新選組」は前々から好きではあったけどさほど熱烈なファンというわけでもなかった私が、これではっきり、「新選組」好きを公言するようになり、「新選組」について書かれたものなら手当たり次第に読むようになった。

では、色々読んだ新選組関連の書籍の中で、何が面白かったか、という話をしだすとまた長くなるので、ここでは割愛。ブログに書くネタがなくなったときに書くとして、話は(ようやっと、ですが)前回の続きに戻る。

本屋で『燃えよ剣』が平積みされているのを見かけて、「新選組」といえば、思い出したことがある、という話であった。あれはもうかれこれ4、5年ほど前だったと思う。とある中華料理店で何人かで飲んでいて、何がきっかけだったかはとんと記憶にないが、「新選組」の話になった。そうとなると、「新選組」といえば黙っていられない私が、例によって新選組LOVEを酔いにまかせて喋っていたら、同席していた女性から「どうして新選組が好きなんですか?」と真顔で聞かれた。「ん」と言葉に詰まりましたね。

「だって、新選組は有為の人材をたくさん殺したじゃないですか。新選組がなかったら、明治維新もっとは早かったと思いますよ」と彼女は言う。はい、ごもっとも、でございます。そう言われるとぐうの音も出ません。それでも、その時はなんとか、「いや、負けると分かっていても、己の信念を貫き通した生き様がカッコいいんですよ」とか、なんとか、反論はしたものの、何を言っても苦し紛れ、という自覚はあって、結局はしどろもどろになってしまい、悔しかったなあ。

その話を黙って聞いていたその店のオーナー(知り合いです)が後日、「あの時の新選組談義は面白かったですねえ」と笑いながら言ってきたが、その人は福島県出身である。福島といえば会津、会津といえば新選組側なんだから、新選組が形勢不利なときは黙ってないで助けてくれよ、と腹が立った(冗談ですよ)が、考えてみれば、昔会津、今福島の人は、幕末や明治維新の話になると、冗談だと言いながらじつは結構本気で根に持っていたりするので、その話には加わらなくてよかったのかも。

と、ここで急転直下、話はまたまた本屋に戻る(何度も回りくどくてすいません)。文庫本のコーナーで平積みされた『燃えよ剣』を見つけ、懐かしくて手にとり、パラパラめくると、あれ? 冒頭の1、2ページを読んでみても、なんかこれ、読んだ記憶がないなあ。まるで初めて読むような。もしかして、こんだけ好きな作品だと言っておきながら、まさかの未読? いやいや、さすがにそれはないだろう。ただ忘れているだけだ、と思ったが、忘れているなら、もう一度読みたい、という気持ちが抑えきれなくなって、そのままレジへ。行こうとしたが、ここで自制心が働いた。

待てよ。たしか『燃えよ剣』なら家にあったはず。ここで買ったら同じ本を二冊買うという愚を犯す(今までこれ結構やってます)。ここは我慢だ、と言いつつ、『燃えよ剣』を戻し、そのまま立ち去ればよいものを、代わりに近くにあったので手にとった『幕末史』(半藤一利著)という本を、これは深く考えずにすぐレジに持っていたのは、例の中華料理屋での新選組悪者論に対し、反論できる確たる根拠を無意識に探していたから、かもしれない。

『幕末史』は、現在の近代日本の成立史は「薩長史観」によるもの、と断じ、幕末という時代を反薩長という見方から論じたもの。「西郷は毛沢東と同じ」「龍馬には独創的なものはない」というのが著者の見方だそうで、序文に書かれたその一文だけで購入を決めた。そうそう、勝てば官軍、負ければ賊軍。歴史は常に勝った側からつくられる。「新選組」だって、負けたから賊軍、つまり悪者だけど、もし勝っていたら、土方なんて龍馬以上のヒーローになっていただろう。

というわけで、『幕末史』の購入は即決したものの、一冊だけでは物足りないからと、同じく映画化された『鳩の撃退法(上下)』(佐藤正午著)をついで買い。こちらは8月27日ロードショー、主演は藤原達也、だけど、映画には興味がなく(あんまり話題になってないようだし)、ただ佐藤正午という作家が昔好きだったので久しぶりに読んでみようか、という、それぐらいの軽い気持ちで。

さらに、芥川賞受賞の『火花』(又吉直樹著)と『コンビニ人間』(村田紗耶香)も、文庫本になっているのを見つけ、この2冊もついでのついで買い。いつもスーパーなんかでは10円20円の差で悩んだりする貧乏人なのに、本になると財布の紐がゆるゆるなのは困ったもんだ。まあ、仕事柄でもあるし(私に仕事についてはまた別の回で)、しょうがないかな、と思っている。

で、この話の落ち、になるかはわからないけど、家に帰って本棚を探したら、『燃えよ剣』はなかった。もしかしたら、引越しして以来まだ開けてない段ボール箱の中で眠っているかもしれない。けど、それを引っ張り出すのは超めんどくさい。でも、一度火がついた『燃えよ剣』を読みたい(再読だろうけど)という気持ちは抑えられず、今度はネットでポチっ(ちなみにAmazonではなく、楽天ブックス派です。ポイントが使えるので)。本屋へいかずともネットで簡単に買えるのも困ったもんだ。もちろん、また一冊だけでは物足りないから他にも2冊ほど買ってしまったのは、ここだけの秘密である(って、別に隠すこともないんだけど、こんな文章の締め方をしてみたかっただけです、はい)。