一体いつまで続くんだ?と、腹が立つほど長引いた残暑もここへきてようやく終わり、はっきりと秋の気配が忍び寄ってきた今日この頃。なんていったって、もう11月だからねえ。11月といえば、通常なら“晩秋”である。つまり秋も押し詰まり、冬の到来も目前、という時期のはずなのに、今年はやっと、遅いにもほどがある秋、到来。それでもまだ日によっては日中汗ばむときもあり、いまだ電車に乗ると半袖半ズボンの人を見かけるからねえ。地球温暖化の進行を肌で感じますな。
という話はいいとして、今回は珍しく政治の話を少し。まさかの石破新総裁誕生、そして新政権からわずか1週間の超早期解散により、2012年10月以来3年ぶりに行われた衆院選。その結果は、大方の予想通り、と言っていいと思うが、与党の過半数割れ。でも、まあ、これは石破さんの想定の範囲内(この言葉も懐かしいね)だと、素人ながらに推測している。
どういうことかというと、つまり石破さんは、過半数を割ってでも、自民党内の安部派をはじめ反対勢力を減らしたかった。というのが解散した理由の一つであるのはほぼ間違いなく、この後行われる特別国会における内閣総理大臣指名選挙で、なんとか石破さんが指名されさえすれば、解散したかいがあった、というべきでしょうね、多分。逆にいえば、野党がまとまらないから、過半数割れでも指名される自信が石破さんにはあった、とも推測できるわけで、その目論見はいまのところ的を得ている。ように私には見えますな、素人ながらに。
それにしても石破さん、過半数割れのねじれ国会(という言葉も久しぶりに聞くね)を覚悟してまで、自民党内の反対勢力を削ぎたかった、とはねえ。石破さんは自民党内での支持者が少なく、基盤が弱い、という噂は本当だったんだなあ、と、早期解散が決まったときから私は思っていた。なーんて、珍しく政治の話をしたものの、このぐらいにしとかないと無知がバレそうなので、ちょっと話を変えます。
それにしても石破さん、誰も言わないので私がここではっきり言うけど、不細工を通り越して、凶悪だよねえ、顔が。この度まさかの新総裁となり、石破さんの若い頃の映像がテレビで流れたりしているけど、若き青年代議士であった石破さんは意外と面長で、決してイケメンではないがそんなに醜男でもなく、まあ普通じゃん。それが今ではすっかりまん丸顔で、普通は顔が丸い方が優しい印象を与えそうなもんだけど、石破さんはなぜか丸くなるほどに凶悪な面構えになったのは、なぜ?それが政治家というもんなのかな。
時をほぼ同じくして、立憲民主党の党首になった野田さん。久しぶりに見たけど、この人、たしか首相になったときの表明演説で、「ルックスはご覧の通りです」とかなんとか、自分の容姿を自虐するようなこと言ってたよね。しかし、今となって石破さんと比べたら、その野田さんでさえ可愛く見える。それほど石破さんの顔面は凶悪である。
いや、まあ、人の容姿についてとやかく言うと、人権派の方々に叱られそうだけど、首相といえば一国の代表だからね。つまり、日本の顔、なわけで、それがあの顔では恥ずかしい。歴代の首相の中でもトップクラスの醜男ではないか、と私は思うが、逆に、あれぐらい凶悪な悪人面の方が、諸外国から舐められることなく、堂々と渡り合える。のではないか、と期待する声がなきにしもあらず。って、一応フォローしているつもりだけど、フォローになってないかな?
あと、ドジャースのワールドシリーズ制覇、とか、日本シリーズで横浜DNAの下剋上、とか、この時期は野球の話題でも盛り上がっているけど、じつは、ワールドシリーズの第3戦だったかな?大谷さんが走塁のとき肩を脱臼して、出場が危ぶまれたとき、ありましたよね。その時点でちょっとだけ、もしもドジャースがその後連敗して、優勝を逃したとしても、大谷さんを責める人は誰もいないでしょう、みたいなことを書いたんだけどね、この原稿で。大谷さんがいなければ、優勝を逃すこともあるかもしれない、と思って。
しかし、モタモタしてアップするのが遅れているうち、ご存じのように大谷さんは負傷後も出場し続け、そのせいかヤンキースがあっさり負けて、ドジャースの世界一が決定。なのでしょうがなく、この部分の原稿を書き直しました。泣く泣く。日本シリーズも同様だ。ソフトバンクが圧倒的有利、という大方の予想を覆す横浜DNAの活躍で、面白くなってきたなあ、というところまで書いたけど、まさかそのまま優勝するとは思ってなかったので、またしてもモタモタとアップが遅れているうちに、あっさり横浜DNAが優勝。これまた原稿の書き直しを余儀なくされた。
ったく、ワールドワールドシリーズにしても日本シリーズにしても、もうちょっとヤンキースなりソフトバンクもなりが意地を見せて、最後までもつれるかと思いきや、意外にあっさり勝負がついて、なんだかなあ、という感想である。もう少し楽しませてくれよ。
時事ネタを取り上げたはいいものの、アップするのが遅れ、時事ネタとしては古くなって、泣く泣く書き直し、というのは当ブログではよくあることだけど、野球なんかのスポーツネタはその最たるもので、結果が出たらすぐさま書いてアップしないと、書き直さないといけなくなるのはあっという間。遅筆のうえにものぐさで、書くのも遅いがアップするのはもっと遅い私には、時事ネタを扱うこと自体、無理、というか、辞めておいた方がいい、と痛感した次第である。
というわけで、ここからはいつもの調子に戻って、いつものごとく過去に遡り、いつもいつもで申し訳ないけど、とっくの昔の話を今更します。というわけで、話は今年の夏、母の初盆で帰省した帰りに、大阪で就職した娘に会いに行った、というところまで遡る。そのことは過去ブログでもチラッと書いたけど、もう少し詳しく書くと、私には離婚した元妻に育てられた娘がいて、娘の高校受験時は別居していたのでどういう経緯なのかはわからないが、なぜか娘は高専(高等専門学校)に入学した。
私は地方の出身で、その地方では高専という選択肢はなかった(あったかもしれないが知らなかった)ので高専というものがよくわからないが、娘が入った高専は、どうやら完全に理系らしい。つまり、今風(でもないかな?)にいえば、我が娘は「リケジョ」というわけだ。一方、父親である私は、職業柄、というよりは、ちょっと自分でも呆れるほど数字に弱い、という自覚もあるほど、完全完璧、徹頭徹尾、文系の人間である。要するに、父親よりも母親に似たのだろう。
それはいいとして、普通、高専は5年で卒業するらしい。しかし、あと2年在籍して大卒と同等の資格を得る、というコースもあるという。娘もそのコースへ進み、22歳となった今春(早生まれだから21歳)、晴れて7年間通った高専を卒業し、大学を卒業した子達と同様に新卒として無事就職した、というわけだ。
いつまでも子供だと思っていた娘が、もう22歳になった、ということに驚くが、もっと驚いたのは、娘が就職した先が、名前を出せば誰もが知る大企業、であること。なんとまあ、いい歳してアルバイトで生計を立てているしがないオッサン(私のことです)の娘が、知らぬものがいないほど有名な会社に入社するとは。トンビがタカを生んだ、とはこのことか。まあ、母親の育て方がよかった、というよりは、高専へ進学したのが正解だったんでしょう。いや、まだ正解かどうかはわからないか。いくら大企業でも、辞めたら元も子もないからね。なんて、ちょっと斜に構えたような言い方をしてしまうのは、大企業どころか中小企業でさえ正社員になった経験がほとんどない人生を過ごしてきたオッサンの僻みかな。自分の娘に僻んでどうする、という話だが。
で、その娘の就職先が大阪なので、この春から大阪でひとり暮らしをはじめた娘を訪ねて、大阪へ行った。という話である。今年のお盆は、2月に亡くなった母の初盆で福岡へ帰省したので、ついでにその帰りがけ、娘がどんな暮らしをしているか、一度見てこよう、と思ったのだ。お盆の帰省ラッシュで新幹線のチケットがとれるかどうか心配したが、福岡の実家を朝早く出て、とりあえず小倉駅へ行き、みどりの窓口で聞いてみると、とくに問題なく、すぐ乗れる新幹線のチケットをなんなく入手できた。いつもは飛行機を利用している身からすると、新幹線はえらい高く感じるけどね。
新大阪駅へ着くと、京阪線に乗り換え、娘が住んでいる最寄りだという「野江」駅で降りる。新大阪から直通だし時間もさほどかからず便利でだった。駅まで娘に迎えに来てもらい、歩いて5分ぐらいのマンションへ。なんでも2月に竣工したばかりということで、入るとまだ新築の香りがほのかに漂っている。それほど新築のマンションで、部屋は典型的な単身用のワンルームで決して広くはないが、新築ピカピカだし設備も最新のようで住み心地は良さそうである。
家賃を聞けば、私が住んでいるマンションと同じくらい。大阪の相場はわからないが、狭いワンルームでその値段ならそこそこ高級だと思われるが、驚いたことに、家賃の8割は会社負担だという。さすが、大企業である。こんなキレイなマンションにたった2割の家賃で住めるとは。羨ましいなあ。って、自分の娘を羨ましがってどうする。
その日は娘も遅いお盆休みということで、どこか行きたいところがあれば案内してくれるという。でも、大阪は何度も来たことがあり、今さらとくに行きたいところなどない。すると娘は、じゃあ京都へ行く?と聞く。なるほど、京阪線はその名の通り、京都~大阪間を結ぶ路線だから、京都まで直で行ける。大阪ではとくに行きたいところはないが、京都となれば話は別だ。とくに行きたかったのが、「二条城」である。
大阪ほどではないが、京都へも私は過去何度か来ており、清水寺や金閣寺、嵐山など有名どころは経験済みだが、「二条城」は、何度か近くを通ったことはあるものの、中に入ったことはなかった。「二条城」が世界遺産であることはもちろん知っていたが、その頃の私は、大政奉還が行われた場所、というだけの知識しか持ち合わせておらず、城といいながら天守閣もなく、お城というよりはお屋敷でしょう、と思っていた。お城好きの私としては、ちょっともの足りないかな、という気がして、立ち寄るチャンスはあったものの、まあいいか、と、スルーしてきたのだ。
しかしその後、本格的な修理事業を終えた「二条城」の評判が耳に入るにつけ、ああ、やっぱりあの時、無理してでも入って見ておけばよかったなあ、という思いが次第に強く、そこへ巡ってきたまたとない機会。一人暮らしの娘を訪ねてきたはずなのに、それはそっちのけで、早速、ワクをムネムネさせながら、違った、胸をワクワクさせながら、一躍「二条城」へと向かった。
京阪線には娘が就職した会社の所在地である「門真」という駅もある。つまり「野江」から「門真」まで乗り換えなしで通勤できるわけで、「門真」を過ぎればほどなく京都へ到着。新大阪からも便利なら、京都へ行くにも便利で、こりゃいいな。京都観光の拠点として、娘の部屋を使わせてもらおう、なんて虫のいいことを考えつつ、京都で市営地下鉄に乗り換え、「二条城前」駅で下車。駅名通りそこから歩いてすぐの「二条城」は、やはり期待を裏切らない豪華さであった。
お城が好きで結構全国あちこちのお城へ行ったことがある私だが、えてしてお城は外から眺めるものであって、中へ入ると意外につまらない、ということが多い。その点、「二条城」は逆で、外観からはわからないが、中へ入ると、圧巻である。まず最初にお目にかかる「唐門」は、日光東照宮の陽明門を彷彿させる豪華さ。陽明門のことをよく覚えているわけではないが。国宝・二の丸御殿に入ってすぐの遠侍、柳の間や一の間、二の間、三の間では、はるばる地方から京都へ上って来た田舎侍が、その豪華さに、これが花の都か、と、目を丸くする様が目に浮かぶ。さぞかし、徳川家の権力の大きさを思い知ったことだろう。
続いて式台「老中の間」、そして、かの有名な大政奉還が行われた大広間へ。人形で大政奉還の様子を再現した二の丸御殿の大広間は、しばしばテレビ番組等で見かけるので初めての気がしないが、1626年(寛永3年)、後水尾天皇の行幸のため大改装された際、狩野派の若き棟梁・狩野探幽が一門の総力を挙げて制作したという障壁画を含む約3600面の障壁画(そのうち1016面が1982年に国の重要文化財に指定)や、檜の板を両面から透かし彫りした欄間の彫刻、さらに飾金具などで当時の豪華絢爛を想像でき、これはやはり実物を見ないとわからない、見に来てよかった、と改めて思う。
そして蘇鉄の間を通り、酷暑院、白書院を回ってまた遠侍へと戻ってくるルート。お盆は過ぎても夏休みの時期だけあって、人は多かったが、そのうち半分は外国人。いや、日本人にみえる一行ももしかしたら中国人だったかもしれないので、半分以上外国人だった、といっても過言ではない。しかも、耳に入ってくる外国語が英語だけではなく、フランス語やイタリア語、あと何語かわからない言語、が入り混じっているのが面白かった。いや、英語さえ話せない私がフランス語やイタリア語を聞き取れるわけではないが、なぜかその時は、トレビア~ン、とか、ブラボ~、とか、聞こえたんだよね、不思議と。
あと、大政奉還はあまりに有名だけど、じつは徳川家康が征夷大将軍に任命されたのもここで、つまり徳川政権の始まりと終わり、その両方の舞台となったのが「二条城」である。ということや、内堀の中の本丸御殿には「天守閣跡」があり、かつては伏見城から移された五重六階の天守閣があったが、1750年(寛永3年)の落雷により焼失した、ことなどを初めて知った。やっぱり来てよかったなあ、二条城。
その他にも書くべきことはたくさんあれど、あんまり「二条城」の話ばかりしてもしょうがないので、以下省略。さて、「二条城」の次はどこへ行こうか、と考えていたら、娘が「行きたいところがある」という。よし、じゃあそこへ行こう、と、再び市営地下鉄に乗り、来た路線を戻るかたちで京阪線に乗り換え、清水寺の最寄り駅である「清水五条」駅で降りる。目指すは清水寺、ではなく、清水寺のほど近くにある「安井金毘羅宮」。そこが娘の行きたいところ、らしいが、もちろん私はまったく知らない神社である。
なぜ、そこへ行きたいのか?道すがら聞いたところによると、なんでもその神社、悪縁を切り、良縁を結ぶ神社としてたいそう有名だとのこと。へえー、“縁切り寺”は聞いたことあるけど、“縁切り神社”というものあるんだねえ。まあ願い事はお寺も神社も一緒か。
それにしても、まだ社会人になったばかりの娘に、そんな有名な神社に祈願してまで切りたい悪縁があるなんて、心配だなあ。と思ったら、どうやらそうでもないらしく、「安井金毘羅宮」へ到着し、境内に入って願い事を短冊みたいなお札に書いたのだが、娘が書いたお札を見せてはくれないのでこっそり盗み見ると、広島優勝、との文字が。な~んだ、応援している広島カープの優勝祈願かよ。
娘は野球好きで、中でも広島カープのファンで、1人で広島球場まで応援に行くほどである。というのは知っていた。何がきっかけでそうなったのかは知らないけど。しかしわざわざ、ご苦労さんですなあ、と、少々呆れながらも、内心ホッとした。だって、これがもし、○○君と別れられますように、みたいな願い事であったしたら、父親としてどうする?
この「安井金毘羅宮」には、「縁切り縁結び碑(いし)」というのがあり、これに願い事を書いたお札(「形代(かたしろ)」というそうです)を貼り、中央にくり抜かれた穴を潜れば、願いが叶うとか。面白いねえ。しかしその穴はいかにも狭く、朝から福岡-大阪間を移動し、なおかつ二条城の見学で歩き疲れたアラ還のジジイには無理そうだったので、私は諦めて、娘だけ潜った。その際、写真も娘のスマホで撮ってあげて、私のスマホでは撮ってないので、ネットから引っ張り出してアップしておく。興味のある人は京都へ行かれた際に立ち寄ってみてはいかが。
ちなみに私の願い事は、この歳になるとみんな大抵そうだと思うが、特にない。でもせっかくなので、その頃はまだ開店前だったが例の9月に戸越公園でオープンしたビリヤニ・カレーダイニング「Mr.Spice」の繁盛を祈願した。ついでに御守としてストラップを、現金持ってなかったので娘にお金借りて、買った。そのストラップは今でも私のスマホにぶら下がっているが、効果はまだない。
その後は、清水寺へ向かうも寺へは入らず、参道をブラブラ。私も娘も清水寺は行ったことがあるので、今回は時間もないことだし、まあいいか、と。夕暮れ時で居並ぶ土産物やなんかの店頭にポツポツと照明が灯り始めた清水寺の参道は、人が多かったものの歩きにくいほどではなく、ソフトクリームやコロッケの食べ歩きも楽しめた。娘が小さい頃はよくこうしてあちこち連れて歩いたものだが、すっかり大きくなった娘とは久しぶりのデートである。もうあと何回逢えるかなあ、なんてちょっぴり感傷的になったりして。あ、写真を撮ったときはまだ日が高かったけどね。もっと日が落ち、いい感じに暮れなずんでゆく参道の雰囲気を撮っとけばよかったなあ。今にして思えば。
そんな清水寺の参道の散策の途中、入口が少し奥まってわかりにくいせいか、結構広いのに客がいなくてガラガラの湯葉と湯豆腐の店を見つけ、入った。ガラガラだけど意外に高級店のようで、コースがメインだったので、それぞれ湯葉のコースと湯豆腐のコースを頼むと、テーブルに乗り切れないほどの品数が来て、ビールも少し飲んで、合計6千いくらだったから、わりといい店のチョイスであった、と思う。
湯葉にしても湯豆腐にしても、あまり食べる機会がないので、正直、この店がどの程度のレベルなのかはわからない。わからないけど、私的には十分美味しかったし、湯葉と湯豆腐の他にも天ぷらや田楽など色々食べられ、量的にも満足であった。食事を終えて、さて、帰るか、というとき、娘が、「今日は大文字焼きの日だから、もしかしたら見れるかも」という。
そうか、それはグッドタイミング。せっかくだからぜひ見たいが、どこへ行けば見れるのかわからない。店の人に聞くと、ちゃんと見るならやはりそれなりの場所を事前に予約するなりしないと、と言う。どうやら京都の街のどこからでも見れるというもんではないらしい。それでも、人が集まっているところへ行けば少しは見えるかも、と思い、とりあえず河原町の四条大橋へ行った。そこに人がたくさんいたので。
で、皆が向いている方向を見ていると、たしかに火が見えた!けど、あまりに遠くて山も思ったより全然低くて、なんだよ、と、ガッカリ。でも、まあそんなもんか。たまたま通りすがりで、ちゃんと見えない、と文句を言うのは筋違いだろう。
ということで、また京阪線に乗って大阪は「野江」駅まで戻り、娘の部屋へ泊まった。振り返れば、この日は福岡の実家から大阪まで移動し、娘の住んでいる街へ。それから京都へ行って二条城、安井金毘羅宮、清水寺の参道、さらに四条大橋と、よく歩いた。いま思いついてスマホの万歩計を確認すると、2万2227歩であった。末尾の27が、娘の誕生日の27日と同じで縁起がいいね。
そして翌日。この日も娘と大阪のとある場所へ行ったので、そのことも書こうと思っていたけど、それは次回のブログに回すことにして。今回はここで終了。いつものことだけど文章長くなり過ぎたので。では、次回へ続く。