安倍元首相銃撃事件

国会議事堂の写真

お気づきの方もおられるかもしれないが、当ブログではこれまで、あまり時事ネタを取り上げてはこなかった。理由は、まあ色々あるけど、説明するのも面倒臭いので、そこはお察しください。と言いつつ、しかしながら今回ばかりは、珍しく時事ネタでいきたい。そう、安倍晋三元首相が銃で打たれ、死亡した事件である。なにしろ日本中が驚愕し、震撼し、ショックを受けた、といっても過言ではない、大事件といえばあまりにデカい、超ド級の事件だけに、取り上げないのも逆に変かな、と思って。

とはいえ、事件発生からすでに10日以上経った今さら取り上げるのは遅くない? という声もあるでしょう。ありますよねえ。いや、ほんとはもっと早く書いたんですよ。信じてもらえないかもしれないけど、じつは事件発生の翌日か翌々日ぐらいには半分ぐらい書いていた。けど、さて、残りを書こうか、というときに色々ありまして、しばらく置いておいたら、あっという間に日が経って――だから時事ネタは取り上げたくないのよ。今回もせっかく書いたけど、ボツにするかなあ、と思ったけど、代わりのネタもないので、遅ればせながら、安倍元首相銃撃事件について、続きを書かせていただきます。

では、その大事件について、書くといっても、どういう方向で切り込むか。ほんとは事件が起こった背景なんぞを踏まえて、その裏に隠された真実とか、一般の方々が知らない事実とかを、もっともらしく解説したり、鋭く分析してみせたり、できると、カッコいいんだけど、ねえ。しかし残念ながら、私にそんな能力はない。

かつては私、某夕刊紙で記者をやっていました、というのは、当ブログを読んでくださっている方であればご存知だと思うけど、その当時、名刺交換をしたり、その夕刊紙の名を出して挨拶したりすると、へえ~、と、感心されたと思いきや、やおら政治や経済などについて、どうお考えですか? などと意見を求められたことが、何度かあった。

それは、その夕刊紙が東京や大阪など都市部ではわりと名の通ったメディアで(地方では売ってないところもあって知らない人も多いが)、しかも1面(つまりトップ記事)は必ず政治を扱っていた(うちはスポーツ新聞ではない、というポリシーからそうしているらしい)ので、そんなメデイアに勤めているんだったら、普通の人よりは政治に詳しいんじゃないの? とか、一般人が知らない情報なんか持ってるでしょ? などと思われてのことである。

まあ、業界に疎い人にはそう思われてもしょうがないかな。なにしろその夕刊紙、自民党の悪口ばっかり書いていたからねえ(笑)。そんな舌鋒鋭く批判している手前は、どんだけ立派な自論を持っているんかい? なんて、言われたことはないけど、そう言いたそうな人には、過去何人か、たま~に、だけど、遭遇したことがある。

しかし、以前も述べたが、私が所属していた部署は広告局であり、やっていたのは新聞記者ではなくコピーライターである(便宜上、記者と名乗ることもあったけど)。だから新聞記者のように夜討ち朝駆けなんかしたことないし、首相官邸にも国会議事堂にも行ったことがない。そもそもその夕刊紙を発行している会社は、新聞社ではない(出版社である)ので、記者クラブにさえ入っていない。いや、入れてもらえない、といったほうが正確かな? 悪口ばかり書いてるから(笑)。

という話はまた別の機会があれば述べる(新聞社と出版社の違いなんか、普通はわからないよねえ)として、とにかく、政治を扱うメディアで働いた経験はあっても、私自身が政治家を取材していたわけではないし、社内の人とも部署が違えばほとんど話さないので、私の政治に関する情報や知識は、読者の方々と同じレベル。ましてや今は、その夕刊紙からの仕事もなくなってしまい、必然的に記事も読まなくなったから、多分、読者よりも情報量は劣るだろう。だから、私に政治についての意見なんか求めないように。

話を戻すが、事件の解説も分析もできないなら、何をするかというと、まあ、せいぜい個人的な感想を述べるぐらいですかね、できるとしたら。まあ、そもそもこのブログは、超個人的な、どーでもいいことを書き散らすだけのものですから、まあ、単なる感想でご容赦ください。まあ、が多くて、まあ、すいません。

おっと、その前に、私の周りではこの安倍元首相銃撃事件について、どんな声が挙がっていたかというと、曰く、「とても日本とは思えない」。これは介護施設で一緒に働いているお姉ちゃん、つまり若い女性の感想で、同様の声多数。もう1人、清掃の仕事仲間のスリランカ人は、しみじみと、「もう日本は安全な国じゃないね」と、言った。その通り、だと私も思う。

他にも色んな感想があったが、まあ、どれも似たりよったり、かな。要は、銃で撃たれた、というのが大変な衝撃だったみたいですな。銃撃事件は外国ではよく聞くが、一般人は銃を持たない日本で銃撃事件が起こるなんて、信じられない、というのが概ね共通した感想のようである。

で、私の感想は?と聞かれたら、誤解を恐れずに言えば、「よくやったなあ」です。いや、賞賛しているわけじゃないですよ。どんな事情であれ人を殺してはいけません。だから、よくやった、と褒めているのではなく、よくもまあ、やっちゃったなあ、というニュアンス。わかるかなあ?

う~ん、このへん、ちゃんと真意を伝えられるか、私の拙い文章力では甚だ心もとないが、書きはじめたもんはしょうがないので、もう少し続けます。再度念を押すけど、人を殺すのは良くない。これは言うまでもない。それがなぜ、「よくやった」なのか? この「よく」という表現が難しいけど、強いて言えば、同じ人殺しでも、通りすがりの人を殺す無差別殺人とか、幼児や障害者などの弱者を殺すよりは、少しはマシ、なのではないか、と、そう思うわけです。

いや、誤解しないでね。誰だろうと殺人はダメですよ。だけどあえて比較すれば、罪のない人や抵抗できない人を殺すよりは、強い立場の人、というか、権力を持った人、具体的には、演説なんかするときは護衛がつくような要人、を殺すほうが、なんというか、少なくとも気概(という言葉も語弊があるけど)があるのではないか。いや、褒めてはないです。

その護衛がついた要人、というのが、今回は安倍さんだった、というわけだけど、報道番組なんか見ていると、どうやら、犯人がうまくやった、というよりは、奈良県警だか何だか知らないけど、護衛していた側の大失態、という感が強いよねえ。皆さんもそう思いません? 詳しくは散々報道されているのでここでは述べないが、どうも、犯人は運がよかった、逆にいえば、安倍さんは運が悪かった、と、そんな言い方をすれば怒られそうだけど、私にはそう思えてならない。

そもそも犯人は旧統一教会(今の教団名はうろ覚えだからこれで通す)が憎くて、それに繋がりがある安倍さんを狙った、ということだけど、旧統一教会と安部さんがどれほど結びついていたのか、報道されている範囲では、祖父(岸信介ね)と父(安倍晋太郎)が統一教会と仲が良かった、というだけで、安部さん自身の関係はよくわからない。どうも、さほどの繋がりはないのに、とばっちりで殺された感が拭えない、のは私だけだろうか。

また、自作だという銃についても、犯人が元自衛官だから作れたんだろうけど、これで本当に人が殺せるのか? それは、やってみないとわからなかった、はずでしょう。試し打ちはしたみたいだけど、実際に人を撃つのは恐らくこれが最初で、その最初の一撃(正確にいえば2発目だけど)で見事成功(という言い方はいかんな)した、としたら、やっぱり、重ねていうが、この犯人に運も味方した、と言わざるをえない。まるでそれまでの彼の不幸(報道によるとかなり悲惨な人生だったようですね)を、全部帳消しにするかのような強運が、あろうことかこんなところで炸裂した、かのような。とは言い過ぎか。

あくまで想像だけど、この犯人、じつは自分自身が一番ビックリしているんじゃなかろうか。自分が打った弾が(多分)まぐれで当たって、安倍さんが死んでしまったことに。それぐらい、普通に考えればまず無理めな、成功する確率は限りなく低い凶行だった、と、私は思いますよ。

現に、奈良の前は岡山でやろうとしたけど、そこでは手荷物検査があって会場に入ることすらできず、あきらめた、というではないか。ところがその直後、急遽奈良での演説が決まり、急遽だからか警備がザルで、加えて、奈良は犯人の地元(自宅からも近かったみたいですね)で、土地勘もあったから、何食わぬ顔で警備をくぐり抜け、あそこまで安倍さんに接近できた(可能性もあると、私は見ている)。これを僥倖と言わずになんという(犯人にとって、ね)。

もう一ついえば、犯人が安倍さんという大物中の大物を狙ったのは、教団のトップが韓国にいて不可能だった、という理由もあるにはあるが、それよりも、世間の注目を集めるため、という理由が大きかった、のは間違いない。世間があっ!と驚くようなインパクトを与えることで、世間の目を教団に向けさせ、その実態を暴く。その本望は、ほぼ達成された、と言っていいだろう。

それは連日の報道を見ればよくわかる。犯人の素性や動機等の解明は瞬く間に終わり、今や世間の矛先、というか、マスコミの追求は、完全に旧統一教会へ向いている。これはマズイ、と教団も思ったようで、記者会見などやって火消しに懸命だが、それが焼け石に水、どころか、火に油を注ぐ格好。まさしく犯人の目論見通りにことが進んでいる、ようにみえる。

こうした状況を、我が身を犠牲にして起こした犯人を、私は尊敬する、と言ってはいかんな。勇気は称えても、殺人という蛮行を賞賛してはアカンからな。では、賞賛はしないが、断固支持する、という言い方はどうか。え、それもダメすか? じゃあ、認めはしないが、少なくとも否定はしない。というぐらいで許して欲しい。そして今後、旧統一教会が犯人の本望通りに壊滅までいくのか、注目したい。こんな教団、潰したほうがいい、と私も思うから。

最後にもう一度、念の為に言っておく。今回の原稿は、殺人という蛮行を賛美するものでは、決してない、からね。これを読んで、文句を言ってきたりしないでね。そういう人はこのブログの読者の中にはまずいないと思うけど。というわけで、大事件発生直後に出すべき原稿が、10日あまり遅れて間の抜けてしまったことを謝りつつ、今回はこれにて。それにしても、パソコンの調子が悪いなあ。