中尊寺の金色堂を観てきました。というと、そうですか、岩手県の平泉まで行ってきたんですね、と思われるだろうが、さにあらず。わざわざ平泉まで行かなくても、東京都内にいながらにして、東日本随一の平安仏教美術の宝庫を観賞できる貴重な機会。それが今年1月23日から4月14日まで、東京国立博物館で開催された「建立900年 特別展 中尊寺金色堂」である。
なんて、いかにも、な感じの文章ではじまった今回は、いかにも、中尊寺金色堂の話である。いや、何がどういうふうに、いかにも、なのかというと、こういう書き出し方がいかにも雑誌やなんかのライターが書きそうな文章だよなあ、という意味だけど、皆さんにはあんまり違いがわからないかな?
というのは、かつての私は、こうみえて文章を書く仕事だけで食えていた。いまや収入のほとんどを清掃や介護など単純作業のアルバイトで稼いでいる現在からみると信じられないかもしれないが、それ以前は結構長い期間、いわゆるライター専業だったのだ。
そのライター時代に書いていた原稿が、たいていこういう感じの文章だったなあ、と、ちょっと懐かしくて、いかにも、だなあ、と思ったわけだけど、まあそんなことはどうでもいいとして、「中尊寺金色堂」である。あ、特別展は4月でとっくに終了しているけどね。いつものことだが、アップするのが遅くてすまんすまん。
「中尊寺金色堂」は、天治元年(1124年)、藤原清衡によって建立された東北地方の現存最古の建造物。その上棟から今年で900年を記念して開催された本展では、堂内中央の沙弥壇に安置されている国宝の仏像11体を一堂に展示。あわせて堂内荘厳具の数々も紹介されている。
また、会場内に設置された大型ディスプレイでは、超高精細8KCGで原寸大の金色堂を再現。世界遺産・平泉の至宝の迫力を美しい映像で臨場感たっぷりに魅せてくれる。ということで、前々から楽しみにしていた。というわけでもなかったんだけどね、じつは。
なぜなら、もうずいぶん昔だけど、私、平泉で実物の金色堂を見ているから。それは東日本大震災の翌年か翌々年だったと思う。当時は被災地へ復興のためのボランティアへ行くのが流行っていた。という言い方は良くないかな。その流行に私も便乗したわけでもないが、ボランティアに参加した1人である。偉いでしょ。
但し、そういいながら私、自発的に進んで参加したわけではない。仕事で否応なく行ったくちなので、全然偉くはないんだけどね。どういうことかというと、とある保険会社が、社内でボランティアを募り、都内の本社からバスを何台か仕立てて被災地へ送り込んだ。つまり全社挙げての大規模なボランティア活動である。そこで、私が所属していた某夕刊紙がその保険会社から広告を貰っている関係で、そのボランティア活動を取材して記事化する、という仕事を私が担当した。
これは要するに、うちの会社はこんなに社会貢献をやっていますよ、というアピール。つまりPR記事、悪く言えばヨイショ記事。だけど、取材するぶんにはべつに広告という意識はなく、普通の新聞記者や雑誌のライターと変わらない。当時私が所属していたのが広告局の制作部門、名称は企画編集部という、一般の方にはちょっとわかりにくい部署で、こうした仕事はよくあった。このように、一見すると普通の記事だが、じつはお金がついた(またはバーターの)広告を、記事広告と呼ぶ。というのは皆さんにはどうでもいいことなので、忘れてください。
ともかく、わざわざバスを仕立てて被災地へ向かう保険会社のボランティア軍団に同行して、取材した私。取材だから写真を撮ったり話を聞いたりするだけで、作業自体はしない。取材が終われば、さっさと帰っていい。はずだったけど、色々あって、結局、ボランティアの皆さんと一緒に土を掘り起こすなどの作業をまる1日、ガッツリ働いた。やってみれば結構な重労働で、かなり汗もかいた。
なので、取材だけど、自発的に行ったわけでもないけど、人に聞かれたら、東日本大震災のボランティアの経験?もちろんありますよ、と、答えている。嘘じゃないからね。まあ威張ることでもないが。この話、書いているうちに色々思い出してきたので、もっと詳しく書きたいところだが、書き出すとまた長くなるので、またの機会にとっておくとして、話を戻す。
もうおわかりだと思うが(わからないかな?)、私が「中尊寺金色堂」へ行ったのは、その東日本大震災の復興ボランティアに参加(正しくは取材)した帰り、というわけ。作業をした日はたしか一関だったと思うが安いビジネスホテルで1泊し、翌日は帰るだけだったので、時間にも余裕があった。いい機会だから、世界遺産でもある東北随一の至宝を見ておこうか、と。たしかその時は、世界遺産に登録されてまだ間もない頃だったんだよね。
と、思い出したが、定かではないのでちょっと調べたら、なんと、「中尊寺金色堂」の世界遺産登録は2011年だって。東日本大震災が起こったその年に登録されたんですね。これは東北の方々は嬉しかったでしょうねえ。一種の美談といっていい。
とはいえ、世界遺産だから見てみようか、と思っただけで、もともと「中尊寺金色堂」にさほど興味はなかった。いや、もちろん話には聞いてましたよ。平泉に仏教文化の王国を築いた奥州藤原氏の栄華を象徴する天台宗の阿弥陀堂。別名「光堂」とも称され、国宝建造物第1号の指定を受けている。
というのはいま調べて知ったことで、当時は知る由もない。よくわからないけど、とにかく豪華絢爛な建物なんだろう、ぐらいの認識しかなく、もし世界遺産じゃなかったら、わざわざ見に行かなかった、かもしれない。
そもそも、「中尊寺金色堂」を建立した初代清衡から二代基衡、三代秀衡と続く奥州藤原三代に馴染みがなく、その繁栄ぶりがどれほどのものだったのかがわからない。私が九州出身ということもあり、東北地方の歴史には疎いのだ。
唯一知っているのは、源頼朝に追われ落ち延びてきた源義経を、秀衡は匿ったが、後を継いだ四代泰衡は頼朝からの圧力に抗いきれず、義経を自死に追いやった、ということ。ただそれだけだ。
まあ、調べれば、奥州藤原氏は、平将門の乱で将門を討伐した武将で、ムカデ退治の伝説でも知られる藤原秀郷(俵藤太)の子孫。藤原道長をはじめ京都で摂関政治を行った藤原氏とは別系だが、遠戚といえなくもない。ということぐらいはわかる。
さらに調べると、初代清衡が平泉を本拠地とするまでに前九年の役、後三年の役と悲惨な戦いを経ており、清衡の中尊寺建立の趣旨は、戦乱で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の例なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というもの。などなどわかってくるが、調べたらわかることを長々と述べてもしょうがないので以下、省略。
ただ、今にして思えば、「中尊寺金色堂」の他にも、特別名勝「毛越寺庭園」など見所がたくさんあって、清衡が浄土思想に基づいて創ろうとした理想世界のスケールは想像を遥かに超えて大きい。ことはなんとなくわかる。
その証といえるかどうかはわからないが、じつはここの世界遺産の資産名は、「中尊寺金色堂」ではない。正式な資産名は「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学遺跡群ー」である。構成資産は「中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山」。つまり「中尊寺金色堂」は世界遺産の1つに過ぎない。世界遺産に指定されたのは平泉という土地全体である。と考えていいだろう。が、もちろんその時はそんなこと知らないので、毛越寺などへは行かなかったけど、せっかくだから行っとくべきだったなあ、と後悔している。
しかし、である。その時に唯一見た「中尊寺金色堂」が、さほど感動しなかったんだよなあ。むしろ期待外れだった、と言うべきか。なにしろ、第一印象が「なんだ、意外と小さいな」だったからね。それはこちらの無知のせいだけど、そうでなくても、金色堂という名から想像する豪華絢爛さとは、言っちゃ悪いが、程遠かった。まあ、一部工事中だった、ということもあっただろうが。
なので、今回の東京国立博物館での特別展も、まあ行くのはいいが、期待はしてなかった。だったら行くなよ、と言われそうだが、そこはそれ、当ブログで何度も述べているように、私はここのところ美術や芸術鑑賞に意味もなく嵌っているので、期待はしてなくてもとりあえず行けるものは行っとく。後悔しないようにね。
そして当日、東京国立博物館へ行って驚いた。入口に入場待ちの行列ができているではないか。そんなに見たいか?金色堂。ただ、いざ入場すると、行列の理由がわかった。今回は展示スペースが狭い。というと失礼なら、コンパクトで、一度に入れる人数が少ない。大々的な宣伝のわりに。だから入場制限をしていたわけだ。並んで待っている皆さん、ご苦労様です。
というわけで、いつにもまして人が多く、ごった返す中をかき分けながら見た中尊寺の仏像や荘厳具。金色堂は、当たり前だが持って来ることはできないので、入ってすぐ目の前に広がる大スクリーンで映像を見る。超高精細8KCGというのがよくわからないにしても、美しいのは確かに美しい。けど、やっぱりこういうのは本物が観たいよねえ。たとえ期待外れでも。
国宝の11体の仏像は、人の多さに辟易していたこともあって、ざっと一通り見て回って、おしまい。その時思ったけど、その前に「京都・南山城の仏像」展などで、日頃はめったに見ない仏像を、今年に入って急に、たくさん観ていたので、すでに腹一杯というか、失礼ながら仏像には少々飽きがきていた。というのもあるけど、やっぱり、とくに仏像なんかは、事前にちゃんと予備知識を仕入れてから観ないと、ダメだね。そうしないとなかなか興味を持って観れない。
当展も、後でパンフレットを見れば、すべて国宝の「増長天立像」「持国天立像」「阿弥陀如来座像」「観音菩薩立像」「勢至菩薩立像」「地蔵菩薩立像」など、名前を知れば実物をもっとちゃんと見とけばよかった、と思うものが多々あった。順路の最後に金色堂の模型があり、これも実物を観るに如くはなし、とスルー。ただこれだけは写真OKだったので、皆さんにはこれで雰囲気だけでもお伝えできれば幸いです。
こうして、いつもよりは短い時間で鑑賞を終え、さあ、飲みに行くか、と、その前に、上野公園でなにかのイベントをやっていたので、ちょっと寄ってみた。クラフトビールの飲み比べ、というのがあった。こういうのにすぐ飛びつくよね。ちょっとずつ色んな味を試せるのがいい。それぞれの味は何一つ覚えちゃいないけど。
それにしても、こういうイベントは食べ物も飲み物も、値段が高いよねえ。若い頃はイベント好きで、ここぞとばかりに飲み食いしていたもんだが、ひとり暮らしで貧乏になると途端に、イベントで飲み食いするのはもったいない、と思うようになった。それよりは空調の効いた店の中で座って落ち着いて飲みたい。ただ単に歳のせいかもしれないが。同行者が飲んだ日本酒のコップにあしらわれていたパンダが可愛かった。
その後に向かったのは、いつもの入谷の「川セ美」である。ここのところ行きつけの店で、当ブログでも何度か紹介していると思うので、今回は「川セ美」の話はパスして、別の話をしよう、と思ったのだが、そろそろ文字数も超過してきたので、次回にまわすことにして、今回はここまで。気がつけばもう5月も終わりですな。いやはや、歳月人を待ったなし。