築地本願寺

2023年がはじまってもうすでに10日ほど過ぎてしまいましたが、まあ、今年第一回目のブログ更新ということで、遅ればせながら明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。皆さまにおかれましては、お正月はいかがお過ごしされましたでしょうか(日本語がちょっと変だな)。

私は以前にも述べた通り、年末年始もいつもとなんら変わらない日々でした。大晦日も夜勤だったので、年越しは介護施設で迎えましたね、独り寂しく。紅白歌合戦も一応見ましたよ。夜勤中はテレビつけっぱなしなので。それにしても、紅白って、年々興味が薄れてきますなあ。見る度に知らない人が増えていて。

もし大晦日を自分んちで過ごしていたら、多分、紅白なんか見てない、と思う。いや、そもそもテレビ自体見ずに、youtubeなんか見ながら年を越していた、かもしれない。そういう時代、ということなんすかねえ。

そして夜勤明けの元旦。じつは、いつもと変わらない、というのは仕事のことで、プライベートでは今年はいつもの年とは大違いでした。なんと、初詣へ行きました!パチパチパチ(拍手)

いや、初詣ぐらい、普通行くだろう、と思われるかもしれないが、そこはそれ、年中行事なんぞ屁とも思っていない私、ここ数年は初詣なんぞ、行こうと思ってもなかなか行けない、ではなく、はなからきっぱり、行く気がない。行きたいとも思わない。並んでまで賽銭あげるヤツの気が知れない。

とはいえ、わざわざ初詣のためには出かけずとも、何かのついでであれば、ちょっと拝んでいこうか、ぐらいの気持ちは無きにしも非ず。たとえば去年は、娘が福袋を買いたい、というので、正月も4日か5日ぐらい過ぎた頃に新宿へ行って、売れ残りの福袋を買って、そのついでに花園神社に参拝した。しかしこれはたまたまで、その前年も前々年も初詣は行ってない。私の記憶が確かならば(確かじゃないことの方が多いが)。

だから今年も初詣なんか行くつもりはなかった。娘も、もう福袋は買わなくていい、と言っていたので、ついでに行くこともないだろう、と思っていたが、例のアラドラのメンバーに誘われ、ちょうど夜勤明けなので、ついでにいいか、と思って参加した次第。

目的地は築地本願寺である。昼の12時に現地集合、とのことだったが、夜勤が明けるのは午前10時。その足でそのまま行けば小1時間ほど早く着く。なので途中、どこか喫茶店とかで時間を潰すか、と思いつつ地下鉄の東銀座駅で降りて現地へ向かい歩いていると、日高屋があった、しかも元旦でも営業している。

これはもう、行くしかないでしょ。時間潰しにはコーヒーよりもビールだ。というわけで日高屋で餃子をつまみに生ビールを一杯だけ、飲んで、それから現地へ向かった。え?一杯で済むわけないだろう、って? はい、正直に言うと、3杯飲みました。すいません。

いや、べつに謝る必要はない、と思うが、参加者の1人から、「わたしも夜勤明けだけど、お酒は我慢して来たのに~」、と文句を言われたので、一応謝っときます。じつはその人も介護施設に勤めているので、同業者に敬意を表して、どうも、さーせん(気持ちが込もってないな)。

というわけで、築地本願寺での初詣。雲一つない快晴の下、予想していたよりは短い行列に並んで、参拝した。後で気がついたけど、行列が思ったより短かったのは、神社じゃなくて、お寺だから、でしょうね。普通、初詣といえば神社でしょう。お寺で初詣するのは、その宗教の信者か、もしくは、神社とお寺の区別がつかないうつけ者(私も含めて)というのは言い過ぎですね、すいません。正月から謝ってばかりですいません。

築地 本願寺の写真

それにしても、築地本願寺って、なんであんな外国風の、まるでモスクみたいな外観なんだろう?と、かねがね不思議に思っていた。いつだったか、ずいぶん前で覚えていないが、その謎に迫る、みたいな特集をしていたテレビ番組を見たことがある。見たことだけは記憶があるが、その内容はきれいさっぱり忘れてしまった。もの忘れの多い年頃なので。

そこでこれを機に、改めて調べてみた。といっても例によってインターネットでちょっと検索しただけだけど。それによると、どうやら築地本願寺再建を担った浄土真宗西本願寺宗主・鏡如上人、俗名・大谷光端の趣味だったようだ。趣味というと軽々しく聞こえるな。浄土真宗の最大宗派にして日本で2番目に多い信者を抱える本願寺派の法主の家系に生まれ、若くしてトップの座に君臨した大谷光端は、仏教のルーツである天竺=インドに対して並々ならぬ興味を持っていた、というのがそもそもの発端らしい。

実際、大谷は明治35年(1902年)、留学先のロンドンから帰国の際、自らインドへ赴き、釈迦が「無量寿経」や「法華経」を説いたとされる仏教の聖地・霊鷲山(りょうじゅせん)を発見している。おお、まるでインディ・ジョーンズみたいだな。

インド 霊鷲山の写真

つまり大谷は探検家でもあったわけで、その大谷率いる大谷探検隊の別働部隊と中国・雲南省で出会ったのが、たまたまインド・中国を旅行中だった建築家・伊東忠太である。伊東はその縁で大谷のもとを訪ね、それをきっかけに築地本願寺の設計を依頼される。

伊東は西洋建築を学びながら日本のルーツを掘り下げ、平安神宮や明治神宮の再建・建立に携わった建築家。奈良の法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示したのも伊東である。「仏教のルーツ」を求めてその後も2回、桜蘭や敦煌へ探検隊を派遣した大谷にとって、伊東のような建築家は、自らの理想を実現する寺院の設計を依頼するにはうってつけ、だったのだろう。

のちに建築界では初の文化勲章を受章した伊東は、「建築」という言葉を生み出した人ともいわれており、西洋建築学をベースに日本建築を見直した第一人者、と評価されている。

ちなみに大谷はその後、探検隊や海外伝道などで巨額の負債を抱え、本願寺派宗主を辞任する。事実上のクビらしい。そして40代で中国・大連に隠退するも、1913年に孫文が興した中華民国の最高顧問に就任したり、太平洋戦争中に近衛内閣の内閣参議を務めたり、戦後は大分県別府市の観光都市化に尽力している。一種の傑物だったようだ。誰か大谷の生涯について詳しく調べて、伝記でも書いたら面白いんじゃないだろうか。

築地本願寺で参拝した後、ついでに築地場外にある波除神社へ行った。そしたらこれが予想外の長蛇の列。やっぱりみんな初詣は寺より神社なんだなあ。しかたなく行列の最後尾に並ぶ。はずがないよねえ、やっぱり。並ぶのきらいだし、そもそも初詣自体、行っても行かなくてもいいや、としか思ってないし。

築地 波除稲荷神社の写真

それは私だけでなく、同行者全員一致により、波除神社への参拝はあっさり諦め、メシでも食いましょう、ということで入ったのが、その近くにあった焼肉屋。たまたま参加者の1人が知っていた店だったらしいが、ここの焼肉が旨かった。牛タンなんか、固まりのまま豪快に焼いて切り分けてくれるのだが、柔らかくでジューシーで、感動もの。あんまり旨いので、今回のブログのアイキャッチ画像はここの焼肉の写真にしよう、と思ったぐらいだ。結局しなかったけど。さすがに今回のアイキャッチ画像は、築地本願寺の写真のほうがいいだろう、と思って。

いや~、元旦に焼肉なんて、多分生まれて初めてだ。しかも予想を超える旨い焼肉で、よかった、よかった。今年は良い年になりそうだ、と思ったら、これで終わりではなかった。翌日はまた夜勤で、その夜勤明けに今度はほぼ同じメンバーで「七福神巡りツアー」なるものに出かけたのだが、その途中でなぜかまた焼肉屋に入った。焼肉の連チャンである。

そこの焼肉もまた、築地場外の焼肉屋に負けず劣らず旨かったので、次回は焼肉の写真をアイキャッチにして、約肉の話をしたい。あ、「七福神巡りツアー」の話も少しだけ、するかもしれないし、しないかもしれない。ではまた。