小諸・佐久バッカス街道

小諸市の画像

3年ぶりのゴールデンウィークらしいゴールデンウィーク(だったみたいですね)も終わり、休みボケした頭のネジを締め直している方も多いことでしょう。いや、私は前回述べたようにいつもと変わらぬ仕事の日々だったので、休みボケも何もないんだが、いつもとはちょっと違って珍しく4日連続で清掃のシフトが入り、しかもそのうち1日はあまりやりたくないトイレ掃除をやらされたこともあって、結構長く感じましたね、今年のGWは。まあ、終わってみれば、やっぱり、あっという間だったけど。

で、前回のこのブログで、私の周りにはGWだからといって遊びに行くやつはいない、と書いたけど、私が知らなかっただけで、ちゃっかりいましたね、遊んだやつ。GW中に私が仕事へ行くと、いつものメンバーのうちの1人(女性です)が来てなかったので、どうした? と、彼女と仲のいいスリランカ人に聞いたら、横浜のフェスだかライブだかに行ってるんだと。そしてそのスリランカ人が店長を務める「シャンティ・デリ」(スリランカ人だけどインド料理店です)にも来た、というから、GWをご満喫のようですなあ。こっちは1日も休まず働いているというのに。なんてついつい愚痴もこぼれるが、まあしょーがない。貧乏暇なし、だ。

シャンティデリの店内画像

シャンティデリの店内

というわけで、GWに関して書くネタもないので、今回は4年か5年ほど前になるが、長野県の小諸市と佐久市へ行ったときの話をしたい。これは私が所属している「旅ジャーナリスト会議」という、小さな小さな団体のメンバーで、地元の旅行代理店が企画したツアーに参加したときのもの。たしか「バッカス街道」とかいう名称のツアーだったように記憶している。

このツアーの内容であるが、例によってこのときの過去記事を引用してラクしよう、と思ってパソコンを探したら、写真はあるけど記事がない。そうか。このときは結局、記事は書かなかったっけ。まあ、ありえるな。というのは、某夕刊紙の記者として参加した場合は記事を書くのが前提だから、必ず記事が残ってるはずだが、このときの「旅ジャーナリスト会議」は、名称こそ仰々しいが、実態はほぼ趣味の集まり。記事を書くのも任意だから、恐らく、お金にならない記事は書く気がしない、とかなんとか言いつつ、サボったのだろう。この「旅ジャーナリスト会議」については、またいずれ機会があれば紹介したい。

代わりに、参加した「旅ジャーナリスト会議」のメンバーのうちの1人が書いた記事が、なぜか私のパソコンに眠っていたので、断りもせずにここで引用する。どうせ誰も見てないし。と、いうわけにもいかないだろうから、この人には今度会ったときにでも掲載の許可はとるつもりだけど、コロナで会は休止中だからなあ。まあ、事後承諾ということで。以下、原文ママ。

「遊子楽しむ」

小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ

「遊子はどんな意味?」「なんで悲しむの?」などと無学無知をさらけだしながら、2月半ばに旅ジャの有志と、小諸の懐古園を散策した。

もちろん遊子とは旅人のこと。若かりし頃「千曲川旅情の歌」「初恋」など島崎藤村の詩はよく読んだのに、すっかり忘れてしまっている。

残雪がまだ小諸城のあちらこちらに残り、藤村がこの作品を作った季節は、春には早い、空が寒々としているちょうど今頃だったのだろうか。

今回は地元の旅館が企画する長野の東信濃地方、佐久や小諸の酒蔵をめぐる旅に参加した。最寄駅は北陸新幹線の佐久平、東京から1時間とちょっとで着く。

ツアーに参加した遊子は、東京からの女性2名と我々旅ジャの酒大好き有志5名。

ガイド役の観光ボランティアの女性とツアーコーディネーター、宿の女将さんなど総勢5名が至れり尽くせりで我々を案内してくれた。

佐久地方は、県内でも有数の良質米の産地で、浅間山や八ヶ岳連峰に囲まれ湧水も豊富。高地の冷涼な気候とあわせ、「米」「水」「気候」の三拍子がそろい、昔から酒造りの盛んな土地柄だという。

この佐久地方には、長野の80ある酒蔵のうち13の酒蔵があるそうで、今回は佐久市の「橘倉酒造」と「木内醸造」の二つの酒蔵を訪ねた。

ツアーの目玉は、なんといっても自由におかわりのできる利き酒がメイン。嬉しいことに大吟醸から、最近人気のスパークリング日本酒などを試飲できる。

「木内醸造」は、安政年間の創業でいかにも地方の素封家というたたずまいだ。普段は非公開という昭和の香り漂う酒蔵で、社長みずから蔵を案内してくれた。

この酒蔵では、外気で凍らせた蒸し米を酒造りに使った「凍米」という、全国でもここだけの珍しい酒を試飲した。また酒の品質を保つには、光の入るビンより紙パックのほうがいいとか、精米した米ぬかは、加工用としてすべて新潟のせんべい屋が買っていくなど、酒蔵ならではの面白い話も聞けた。

一方の「橘倉酒造」は、江戸元禄時代の創業という340年あまりの歴史ある酒蔵だ。

特に私の興味を引いたのは、その書画のコレクション。明治に入ると自由民権の思想家たちと親交を深め、政治にも関わるようになったという。その親交の証が資料館いっぱいの掛け軸や絵画の山だ。

昼食をとるため居間に案内されたが、そこには中江兆民の「民為重」(民重きを為す)という書が掲げられていた。兆民が地方遊説で橘倉酒造に立ち寄った時に揮ごうしたものだそうだ。

また「大同」という孫文の書なども、仏間になにげなく掲げられていた。

この他、勝海舟、大久保利通、伊藤博文など明治維新の中心人物たちや、明治・大正・昭和の政治家、文人墨客たちの書が資料館いっぱいに陳列されてあった。

なるほど、この橘倉酒造は、三木政権の時の官房長官を務めた井出一太郎や女性運動家の丸岡秀子などを輩出した家でもあり、むべなるかなである。

今年は維新150年とかで、NHKの「西郷どん」はじめ、様々なイベントが始まっている。

この橘倉酒造のコレクションは、もっと世に知らしめる価値があるのではないかなどと、利き酒の過ぎた頭で考えた。

ツアーは酒蔵巡りの途中に、日本最古の洋風学校で国の重要文化財に指定されている「旧中込学校」、最近出来た新しい観光名所の「ぴんころ地蔵」、そして藤村の旧宅のある古刹「貞祥寺」なども見て回った。

酒蔵巡りの旅は、どうも利き酒を飲みすぎて宿に着いたころは、もうべろべろ。

お地蔵さんに願掛けはしたが、ぴんぴんより「べろべろころり」もいいなぁーなどと思いつつ、宿の中棚荘名物リンゴ風呂に浸かっていた。

いかがだろうか。まだ掲載許可をとってないので匿名(仮にH氏)としておくが、いずれ許可を得たら書いた本人の氏名も明かしたい。ということで、今回はこれにて――じゃなかった。他人の記事ばかりではなんなので、私自身の感想も、というか、私がこの小諸・佐久のツアーの中でもっとも印象に残っている話をしたい。

それは、「橘倉酒造」のコレクションの中の1つとして、さりげなく陳列されていた。H氏も書いているように、そのコレクションは、コレクションというより、もはや博物館級で、お金を払ってでも見たい、と思うものが目白押しなのだが(それらが無料で閲覧可というのもすごいことだが)、しかし私がその中で、孫文よりも勝海舟よりも大久保利通よりも伊藤博文よりも、これはとんでもないお宝ではないか、と思った一葉の写真が、これである。

橘倉酒造のフルベッキ群像写真

橘倉酒造のコレクション

おわかりだろうか。幕末から明治維新にかけて名を残した人物の数々が一堂に会している。一人ずつ列挙はしないが(面倒臭いから)、西郷隆盛や坂本龍馬など誰もが知る超大物から、歴史好きならご存知の明治政府の高官まで勢揃い。なんと明治天皇の御姿まであるではないか。

フルベッキ群像写真①

フルベッキ群像写真・右半分

いや、これ、本物だったら、貴重も貴重、歴史の教科書に掲載されてもおかしくない1枚ですぜ。とくに西郷隆盛なんか、実物の写真は1枚も残っていない、というのが定説だから、西郷さんの写真があった、というだけで超特大スクープ間違いなし。歴史を揺るがす大発見!と、ワタクシ、にわかに興奮を覚えましたね。さあ、これをどうやって世に広めようか、などと編集者的思考が頭をグルグル駆け巡る――――が、しかし、である。はい、すでにお気づきの方も多いでしょうが、これ、真っ赤なニセモノです。

フルベッキ群像写真②

フルベッキ群像写真・左半分

そりゃあ、そうだよねえ。これだけの重要人物の面々が集まり、集合写真を撮る機会なんて、あったはずがない。冷静に考えればすぐわかることだ。しかしこのときは、貴重な書画や文献等と並んでこの写真があったので、ついつい、もしやこれは、と、思ってしまった、というわけである。いや、お恥ずかしい。

後で調べたところ、この写真、ニセモノとして有名で、「フルベッキ群像写真」という名前までついていた。写っているのはオランダ出身の宣教師であるグイド・フルベッキという人を囲んだ佐賀藩士の学生たち44名で、撮影場所は上野彦馬のスタジオ。有名なあまり、オークションなどではニセモノとわかっていながら、結構な価格で取引されているそうな。

たしかに、よく見りゃ、坂本龍馬はあのよく知られている肖像画とは全然違うし、他の写真が残っている人と比べても似ていない。この写真の各人それぞれに有名人の名前をあてた人が、どんな経緯や目的でやったのかは知る由もないが、よくもこんなことやったよなあ、と、逆に感心してしまう。騙されそうになった1人として。

この「フルベッキ群像写真」については、もう2月ほど前になるかな、いつもの介護施設での夜勤中、たまたま見ていたNHK-BSの深夜番組で取り上げられていた。もちろんニセモノであることは明らかにして。それを見て、あっ、と思い出し、それからしばらく間が空いてしまったが、今回ここに書かせていただいた次第。つまり、テレビでも取り上げられるほど、有名な写真、ということだ。

その番組では、合わせて、源義経は平泉では死なず、脱出して北海道を経て大陸に渡り、チンギス・ハンになった、というトンデモ説についても解説していた。これについてももちろん、判官贔屓の日本人の妄想が生んだ架空の物語である、と断定はしているが、文壇では過去何度か、真剣にその真偽についての議論が交わされている、とのことで、結構面白かった。NHKにもこういう番組があるんだなあ。番組名は忘れたけど。

そういや、この源義経=チンギス・ハン説をもとにして書かれた小説?も読んだことあるな。清掃のバイト仲間に本好きがいて、貸してくれたが、もうずいぶん前なので書名も著者名も忘れた。忘れてばっかりですまん。いま、大河ドラマで源義経が出てくるから(見てないけど)、もしかしたらこの本についてもネタとして取り上げる機会もあるやもしれぬ。今度会ったときにでも聞いておきます。ということで、(今度こそ)今回はこれにて。