ついこの間、年が明けたと思ったら、あ っという間にもう2月。ったく、時の流れというやつは、馬鹿みてえに早いもんでござんすねえ。荒淫、もとい、光陰矢の如し、とはよく申しますが、新年はじまってからの3ヶ月に限っていえば、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」なんてえ言葉もございます。これは1月から3月まではなんやかやと行事なんかがが盛りだくさんで、慌ただしく過ぎていく様を調子よく言ったものだそうでげす。昔の人はうまいこと言いますな。
ちなみに、1月は「行く」ではなく、「往ぬる」だ、という人もいらっしゃいますな。恐らく、もともとは、往ぬる、だったんでしょうけど、そんな言葉は今じゃ使わないので、誰かが現代風に、行く、と言い換えたら、そっちが定着した、というようなことなんじゃないかなあ、とお察ししますが、まあ、言葉なんて時代とともに変わっていくもんですからねえ。往ぬる、だろうと、行く、だろうと、どっちでもいいじゃあござんせんか。
と、なぜか下手な落語調ではじまった今回のブログ。ここからいつもの調子に戻します。言葉は時代とともに変わる、というけど、この歳になると、どうしても受け入れられない、というか、はっきり言って、聞くと不愉快になる若者言葉って、ありますよね? 最近でいえば、その最たるものが、「やばい」である。
これ、そもそもはタレントの出川哲朗あたりがテレビで口癖のように「やばいよ、やばいよ」などと言ってたのが、なんの弾みか世間で流行りだしたもの、だろうけど、本来は、やばい=危ない、という意のはずが、何故かいまや若者の間では、意味が逆転して、肯定的な言葉になっている。と感じているのは私だけではないはずだ。
多分、カワイイやカッコイイといった形容詞的な言葉を強調して、「やばいほどカワイイ」とか、「やばいぐらいカッコイイ」とか言っているうちに、形容詞を省略してしまって(何でも略すのが若者だから)、カワイイの代わりに「やばい」、カッコイイの代わりに「やばい」、何でもかんでも「やばい」、となっていった、そんなところだろう。
私の超勝手な推測だが、この現象は、かつては「抱かれたくない男No.1」に輝くなど、嫌われ蔑まれキャラだった出川哲朗が、いつの間にか好感度が上がって、CMにも起用されたりするようになったことと、関連があるのではないか。つまり、出川哲朗に対する世間の評価の逆転が、言葉の意味さえも逆転させた、というのは深読みのし過ぎかな? まあ、私はいくら好感度が上がろうと、出川哲朗のことは相変わらず嫌い(というほど意識はしてないが)だから、そんなふうに考えてしまうのだろう。
それにしても、美味しいものを食べても「やばい」、美しい景色を見ても「やばい」、とにかく「やばい」、としか言わないヤツをみると(Youtubeを見ているとそういう手合いがよくいる)、「やばい」のはお前だよ、突っ込みたくなる。「やばい、やばい」と連呼すればするほど、そいつが馬鹿にみえてしょうがない。しまいには腹が立ってくる。
何かに感動しても、それを「やばい」としか表現できないのは、単に語彙不足というより、もはやコミュ障、ではないか、とさえ思う。皆さんの中にも、もし、「やばい」が口癖になっている方、いらっしゃったらお気をつけあそばせ。
おっと、話がずいぶん変な方向へ逸れた。こんな話をするつもりじゃなかった。今回は、1月は行ってしまって、去ってゆく2月を前に、2月といえば、「節分」。という話をしよう、と思っていたんだった。
突然ですが、ここで問題です。今年の「節分」は何日か、ご存知ですか? はい、2月3日です。え、当たり前だろうって? では、昨年2021年の節分は? そうです、2月2日、だったんですねえ。今更だけど、節分って、その年によって日にちが変わること、恥ずかしながら私、この歳になるまで知らなくて(昨年も気づかなくて)、ここで初めて知りました。そもそも年中行事というものにさほど関心がないもので。
ちなみに昨年の2月2日の節分は、なんと1897年以来124年ぶりだそう。そんなに珍しい年だったら、もっと話題になってよさそうなもんだけど、まあ、コロナで自粛だったからねえ。もう1ついうと、1984年の節分は2月4日で、昨年はそれ以来37年ぶりに2月3日以外の節分だった、とのこと。なんだ、例外はごくわずかで、ほとんど2月3日じゃん。それなら知らなくてもムリないだろう、とも思うが、これ、知っている人はどれぐらいいるんだろうね。皆さんはご存知でした?
では、なぜ「節分」の日は年によって変わるのか? そもそも「節分」とは、“季節の分ける”(節分の“節”は季節の“節”だね)の意で、各季節のはじまりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指す。つまり「節分」は年に4回ある、ということ。だけど、月の満ち欠けを基準とした旧暦では、立春に最も近い新月が元日(旧正月ともいう)となり、そこを新年のはじまりとしたことから、江戸時代以降、「節分」といえば立春の前日のこと、というのが一般的となった、そうだ。
この立春の日が、じつは、年によって違う(例外の年はわずかでほとんどは同じ日だけど)ので、それに伴い、立春の前日である「節分」も違ってくる、というわけだが、なぜ立春の日が年によって違うのか? それは「閏(うるう)年」と関係がある、とだけ言っておこう。
閏年はわかるよね。太陽の周りを回る地球の軌道周期は1年きっかりではなく、微妙にズレがあるので、4年に1度、閏年を設けることで帳尻を合わすという、あれのこと。同じように立春も、何年かごとに日にちを変えることで調整している、ということだが、これ以上詳細を理解して、説明するのは私の能力では無理なので、あとは自分で調べてください。
ただ、説明できない私が言うのもなんですが、今後しばらく、「節分」は閏年の翌年は、2月2日、になるそうですよ。つまり、次回の閏年は2024年なので、2025年の「節分」は2月2日になる、らしい。これは覚えておいて損はないでしょう。
「節分」といえば、「豆まき」ですな。なぜ豆をまくようになったかというと、豆=魔目、つまり鬼の目を滅ぼす、に由来するという説や、豆は五穀(米、麦、ひえ、あわ、豆)の象徴であり、神聖なものであることから来ている、など諸説がある。
節分に使う豆は、前日に炒って枡に入れて神棚にあげておくのが正式だそう。お祓いをするとなおよい、とか。炒り豆にするのは、後から芽が出ないようにするためで、もし芽が出たら、凶事が起こる、などと言って昔の人はそれを恐れた、という話や、鬼の目を射る=炒る、という語呂合わせからきている、などなど、これも諸説入り混じり。まあ、年中行事なんてたいがいそんなもんでしょう。
あと、地域によっては、大豆ではなく、たとえば落花生など、他の豆をまくところもあるし、まくときのかけ声も、一般的な「福は内、鬼は外」ではなく、たとえば「福は内、鬼は内」(群馬県鬼石地区)だったり、「福は内、神は内」(伊勢志摩地域)だったり、「鬼、外」(福島県二本松市)だったりと、地域ごとにさまざまある。というのは皆さんの方がご存知かと思う。あの豆まきで有名な成田山新勝寺のかけ声は、「福は内」のみ。これは祀られている不動明王が、常に鬼を追い払っているから、「鬼は外」はいらない、ということらしい。
そういえば、成田山新勝寺の豆まき、例年は横綱などの有名人が豆をまいて、必ずといっていいいほどテレビ等のメディアで取り上げられていたものだが、昨年はたしかコロナで中止だった、と思うが、さて、今年はどうなるんでしょう? べつにいうほど気にはしてないけど。
というわけで、いつもは超個人的でどうでもいい話をグダグダと書き散らしているだけの当ブログでは珍しく、今回は「節分」にまつわるウンチクを披露してみた。ためになったなあ、ためになったねえ(もう中学生風に、といってもわからない人はお気になさらず)、と自画自賛しつつ、じつはインターネットで検索すれば、誰でも簡単に見ることができる、ありふれた情報に過ぎないことは、ここだけの話にしておくよう、お願い奉り候。かしこみ、かしこみぃ~。