前々回で、引っ越ししました、という報告をして、前回は、引っ越しして2カ月経つのに、全然片付けが進みません、という話をした。それからさらに2カ月ほど経過したいま、部屋はどうなっているかといえば、まあ言わずもがなですが、ほとんど何も変わっていない。ほぼ引っ越しした直後と同じく段ボールの山。いや、自分でも呆れますが。
そんな積み上げた段ボールに囲まれた生活もはや4か月。さすがにそれだけ時間が経てば、たとえばキッチンを塞いでいた荷物を片付け、もとい、ずらしたり押しやったりしてスペースを空け、キッチンの半分と冷蔵庫を使えるようにしたり、やっとテレビをつないで観られるようになったり、最近だと埃を被っていた扇風機をキレイに拭いて使いはじめたりと、それなり便利にはなってきている。
が、そこから先はまだまだ手付かず。もともと整理整頓が苦手なうえに、今は、というか引っ越する前からずっと、バイト以外のほとんどすべての時間を店に詰めているから、とにかく部屋でゆっくりする時間がない。部屋に帰れば、シャワーを浴びるか洗濯するか、それ以外はただ寝るだけ。寝る前に東急ストアで半額で買った総菜をつまみに缶ビールを飲んだりもするが、今は500ml缶1本で十分だな。以前は飲みだすとたいてい1本では収まらず、2本3本と飲み続けてダラダラ過ごすことが多かったが、今はダラダラしようにも気がつけば寝落ちしている。
おかげで眠たいのに眠れなくて悶々とする時間が今では減少傾向にあり、長年の悩みであった不眠がここのところ解消されつつあるのは喜ばしい。また、恒例だった夜勤明けの1杯も今はバイクの運転があるから飲めなくなったことで酒量もいくぶん減った。健康的には前よりも良い生活になった、と思う。店で毎日食べているまかないカレーも身体に良いだろうし。スパイスをふんだんに使うカレーは、いわば薬膳料理だからね。問題は、部屋の片付けをする時間も気力もないこと、それだけである。
と、近況報告はこれぐらいにして、今回は少し趣向を変えた話をしたい。以前ブログで述べたかどうかは忘れたが、この度私の新居となったアパートは、住所でいえば荒川区東尾久3丁目、最寄り駅は「日暮里・舎人ライナー」の「熊野前」駅である。以下、「日暮里・舎人ライナー」は日暮里を略して「舎人ライナー」と表記する。
「熊野駅」にはもう1つ、乗り入れや接続はしていないが、舎人ライナーの「熊野前」駅を降りるとちょっとした広場があり、そのすぐ先に都電荒川線、別名(というかこっちが正式名称だと思うが)「さくらトラム」の「熊野前」駅もある。
というと、2路線使えて便利ですね、と思うかもしれないが、「さくらトラム」は始発(終点)が「三ノ輪橋」~「早稲田」で、都心に出るにはちょっと不便。あと、15分ぐらい歩けば東京メトロ・千代田線「町屋」駅もあるが、今はその15分が億劫で、もっぱら徒歩5~6分で駅まで行ける舎人ライナーを利用している。
以前住んでいた三ノ輪のマンションは、東京メトロ「三ノ輪」駅まで徒歩8分だったから、それよりちょっとだけ駅近になった。けど、日暮里での乗り換えが面倒だ。日暮里の1つ前の西日暮里で東京メトロ千代田線に乗り換えもできるが、結構駅間が離れていて乗り換えに時間がかかるし、東京メトロでも千代田線って意外に不便なんだよなあ、私の行動範囲内では。
今にして思えば、最寄り駅が東京メトロ、その中でも日比谷線沿線、というのは、大変便利で恵まれた条件だったんだなあ、としみじみ。でもまあ、今更言っても詮無いことだ。それに、いくら不便だろうと、マンションに比べて設備が劣るアパートだろうと、それを承知で引っ越してきたのは自分である。なぜなら、それらのマイナスを補って余りあるメリットが新居にはあるから。後悔はしていない。どころか、大変助かっている。というのが今回の引っ越しであるが、いかん、話の方向を変える、といいながら全然変わってなかった。改めて、今回はタイトルにもある通り、我が新居の最寄りであり、現在ほぼ毎日利用させていただいている「舎人ライナー」について話をしたい。
「舎人ライナー」は、日暮里駅と足立区の見沼親水公園を結ぶ、東京都交通局が運営する新交通システム。あ、「舎人」は「とねり」と読みます。変な名前だし、知らないと読めないよねえ。「舎人」とは、歴史的に皇族や貴族に仕え、近侍や雑用などに従事していた人物やその役職を指す言葉。大和王朝時代にはすでに存在したらしく、殿に侍る(はべる)ことから「とのはべり」がなまって「とねり」となった、という説がある。
しかし飛鳥時代、天武天皇の子供に「舎人親王」という人がいた。天武天皇といえば、幼名は大海人皇子。大化の改新で有名な中大兄皇子、後の天智天皇の実弟で、天智天皇の死後、日本古代最大の戦乱といわれる壬申の乱で大友皇子(天智天皇の息子)を破り、飛鳥浄御原宮で即位。律令の制定をはじめ国の礎を築く政治を行った人物である。
そんな偉い天武天皇の息子がなぜ、殿に侍る「舎人」を名乗ったのか、その経緯はわからない。それはともかく、律令時代には皇室や朝廷に仕えるのが「舎人」、親王と内親王に与えられるのは「帳内」、五位以上の大夫(貴族)に与えられるのは「資人」と書いて区別したが、読み方はすべて「とねり」である。
やがて平安時代以降ぐらいから「舎人」という言葉は使われなくなった。が、なぜか東京の足立区に地名として残っている。足立区の最北端、かつ東京23区の最北端でもある「舎人」という地と日暮里を結ぶ新交通システムだから「日暮里・舎人ライナー」と名付けられた。のはわかるが、なぜ、そもそもは人物や役職を指す言葉が、転じて地名になったのか。諸説はあるが、真偽のほどは今もって不明である。
諸説ある中で有力なのが、聖徳太子が関東を巡行した際、ただ1人その正体を見破った「舎人」にちなんで命名された、という伝承。これは入谷にある源証寺所蔵の「太子堂縁起」にも記されている舎人村の村名由来に基づく説だそう。だけど、これはほぼ間違いなく、でっち上げでしょうな。そもそも聖徳太子自体、じつは架空の人物ではないか、という説が近年勃発しているぐらいだから、聖徳太子にまつわる話はすべて眉唾だと思ったほうがいい。
また、前述した「舎人親王」に由来する、という説もあるようだが、これも「舎人親王」と現足立区のその一帯との関係を示す資料はないようで、根拠に乏しく、個人的には勝手ながら却下。さらに、小石の多い痩せ地を表す「トネ」(石根)と、入谷や谷の奥を表す「イリ」をあわせた「トネイリ」に由来する、という説や、アイヌ語の「石の転がる平地」を意味する「トネ・イリ」に由来する、もあるが、まあどちらもこじつけでしょう。
結局、私が思うに、この辺一帯には古来より理由はわからないが「舎人」という役職についていた人が多く住んでおり、昔は役職も先祖代々引き継がれていたことから「舎人」姓を名乗る一族も現れ、やがて「舎人村」という地名にもなっていった、といったところではないか、と推測するが、皆さんはどう思いますか?
やがて戦国時代に入ると、この辺一帯は「舎人」氏と称する豪族が治めていた、という記述があり、これはホントだとは思うけど、その当時すでに「舎人村」という地名があったから「舎人」氏と名乗ったのか、それとも、豪族「舎人」氏の領地だったから地名も「舎人」になったのか、それはわからない。卵が先か鶏が先か、である。「舎人」氏は「舎人城」という城を構えていた、という資料もわずかにあるらしいが、それも詳細は不明である。
ちなみに、「舎人ライナー」の駅の1つに「舎人公園」という駅がある。なぜか「舎人公園」について調べてもあまり記述は出て来ないが、もともとは「舎人城」の跡地を公園にしたらしい。しかしその「舎人城」が、もとは豪族・舎人氏が構えた城であったのか、それすらもわからない。これについてはちゃんと調べたらわかりそうなもんだし、もしそうなら「舎人公園」の歴史として大々的にアピールしてもよさそうだけど、なぜかそうはなってないのが不思議ではある。
話は急に「舎人城」から「江戸城」へ飛ぶ。太田道灌が築城したとされる「江戸城」だが、徳川家康が入城する前、当時関東一帯を治めていた後北条(小田原)家のものだった時期がある。そのときは後北条64城の1つとして千代田の城と呼ばれ、舎人、葛西と合わせて3城郭を構成していた。つまり「舎人城郭」は後の「江戸城」と同格だった、ということになる。これは地元の人々にとっては誇りだろう、と思うのだが、どうやら地元でも知らない人の方が多いとみえる。もったいないねえ。
などとつい歴史の話が長くなってしまってすいません。なにしろ私、歴史好きなもんでお許しいただきたいが、歴史にさほど興味がない人にはつまらん話でしたね。現在の「舎人ライナー」に話を戻します。
「舎人ライナー」の開業は2008年(平成20年)3月30日。工事は1997年に着工し、路線名と駅名が決定したのは2006年(平成18年)11月13日。都内でも比較的新しい鉄道と言っていいと思うが、一番新しいかどうかはわからない。全線高架複線で全長9.7kmの13駅。コンピューター制御による自動運転システムで、ガイドレール(案内軌条)に従って運行する「案内軌条式鉄道」(AGT)である。
自動運転システムとは、言い換えれば無人運転なわけだが、これはお台場を走る「ゆりかもめ」なんかも同じで、いまではすっかりおなじみだけど、最初は、人がいなくて大丈夫か?なんて不安に思う人も少なからずいたでしょうねえ。幸い「舎人ライナー」で事故のニュースは聞いたことないが、もしかしたら私が知らないだけかもしれないので、誰か知っている人がいたら教えてください。
運転が無人なら駅も無人で、田舎出身の私は無人駅を使った経験がある(親戚の家の最寄り駅がそうだった)のでなんとも思わないが、東京の人にとっては無人駅、つまり駅に人がいない、というのは、最初は戸惑ったでしょうね。ただ、田舎の無人駅とは違い、今の都会の無人駅は、何か駅員に用事や困ったことがあると、ボタンを押せばすぐ、どこか離れたところにいる駅員が応答してくれ、たいがいのことはリモートで解決してくれる。私も何度か「舎人ライナー」の「熊野前」駅でお世話になった。
例えば近々でいうと、1週間ほど前だったかな?PASUMOにチャージしようと、切符の自販機にお札を入れた。金額はたまたま手元にあった8千円。これを全額チャージしてもよかったのだが、チャージ金額の表示に8千円がなかったので、5千円の表示を押した。ところが、おつりで還ってくるはずの3千円が還ってこない。
そこで仕方なく駅員の呼び出しボタンを押すと、すぐ駅員が応答し、PASUMOを抜いて隣の自販機に入れろ、だの何度かやり取りした後、無事3千円は還ってきた。所要時間もさほどかからず、まったくイラっとしなかった、といえばウソになるけど、少なくともリモートだから不便だとは感じなかった。まあ、これは簡単な事例だからであって、もっとややこしい問題が起こったときはわからないけど。
そんなことより「舎人ライナー」である。新しい鉄道だけあって、線路、じゃなくてガイドレールがかなり高い。ビルにして3~4階、いや、もっと上かな、それぐらい地上より高いところを走るので、景色が良い。日暮里や西日暮里あたりは高層ビルの間を縫うように走るが、ビルのすき間から垣間見下ろす地上がやけに低く遠く、そこを抜けるとパッと開けた感じで遠くまで見晴らせて、ちょっとした旅行気分を味わえる。無人運転だから運転席がなく、車両の先頭や最後尾の席から見通せる鉄道ムービーのような風景もいいね。子供が喜びそう。もっとも、私は普段乗車するとたいていスマホをいじっているので、景色はあんまり見てないが。
他にも、ゴムタイヤなので振動や騒音が少ない、とか、省エネで環境にも良い、とか、さまざまなメリットがある「舎人ライナー」。沿線の街も開発が進んでいるようで、前述の「舎人公園」や終点の「見沼親水公園」など子育て世代に人気のスポットも意外に多く、総じて住みやすい、暮らしに便利な路線として人気が高まっているらしい。昔は足立区といえば治安が悪い、というイメージだったと聞くが、今はそんなことはないそうなので、興味がある方は一度、「舎人ライナー」で「途中下車の旅」なんてしゃれ込んでみてはいかが。
その一方で、こんな気になる情報も見つけた。なんと、「舎人ライナー」は国土交通省の都市鉄道混雑率調査で、2022年度に155%の混雑率を記録するなど、4年連続で日本一の混雑率を誇る(誇ってどうする)、“日本一混雑する路線”として知られているのだとか。いや、これは知らなかった。今回「舎人ライナー」について調べて初めて知って、え、そうなの?とちょっと驚いた、だって、私は夜勤なのでラッシュアワーに乗ったことがないから。いつも人が多いなあ、とは思っていたけど、ギュウギュウで身動きできないほど混んでいたことは今まではなかった。私が「舎人ライナー」に乗る時間に限っては。今度、試しに、あえてラッシュアワーの時間に乗ってみようかしら。“日本一の混雑”を体感しに。
というわけで、今回はいつもとちょっと趣向を変えて、まったくもって奇妙かつ魔訶不思議な縁あってその沿線の住民となった「舎人ライナー」について書いてみました。といっても私が利用するのは熊野前から赤土小学校前、西日暮里、そして日暮里までの4駅3区間のみだけど、いつかヒマができたら、熊野前から日暮里方面とは反対方向、終点の「見沼親水公園」や「舎人公園」まで行ってみたい、と思っている。
なんて言いつつ、結局、行かないんだろうなあ。なにしろ、以前住んでいた三ノ輪でも周辺に「樋口一葉記念館」や吉原遊女の投げ込み寺、鶯谷駅近くの「子規庵」に「書道博物館」などなど、せっかく近くに住んでいるんだから、いつかそのうち行ってみよう、と思っていながら10年間、ついぞ行かなかったスポットが多々あるからね。10年住んだ三ノ輪でそうだったんだから、今の東尾久でもきっと同じでしょう。っつたく、何か用事でもない限り動かない、という私の腰の重さは、締め切りがないと原稿を書かない、という遅筆にも通じる私の悪癖だろう。変わらないとな。でも、そのためには時間的にも経済的にも精神的にも余裕がないとな。しかし今は店が赤字だし、人手も足りないから私がデリバリーしなきゃいけないし、一体いつになったら余裕ができることやら。やれやれ、と嘆きつつ、今回はこれにて。ではまた。
前々回で、引っ越ししました、と報告して、前回は引っ越しして2カ月経つのに、全然片付けが進みません、という話をした。それからさらに2カ月ほど経過したいま、部屋はどうなっているかといえば、まあ言わずもがなですが、ほとんど何も変わっていない。ほぼ引っ越しした直後と同じく段ボールの山。いや、自分でも呆れますが。
そんな積み上げた段ボールに囲まれた生活もはや4か月。さすがにそれだけ時間が経てば、たとえばキッチンを塞いでいた荷物を片付け、もとい、ずらしたり押しやったりしてスペースを空け、キッチンの半分と冷蔵庫を使えるようにしたり、やっとテレビをつないで観られるようになったり、最近だと埃を被っていた扇風機をキレイに拭いて使いはじめたりと、それなり便利にはなってきている。
が、そこから先はまだまだ手付かず。もともと整理整頓が苦手なうえに、今は、というか引っ越する前からずっと、バイト以外のほとんどすべての時間を店に詰めているから、とにかく部屋でゆっくりする時間がない。部屋に帰れば、シャワーを浴びるか洗濯するか、それ以外はただ寝るだけ。寝る前に東急ストアで半額で買った総菜をつまみに缶ビールを飲んだりもするが、今は500ml缶1本で十分だな。以前は飲みだすとたいてい1本では収まらず、2本3本と飲み続けてダラダラ過ごすことが多かったが、今はダラダラしようにも気がつけば寝落ちしている。
おかげで眠たいのに眠れなくて悶々とする時間が今では減少傾向にあり、長年の懸念だった不眠がここのところ解消されつつあるのは嬉しい。また、恒例だった夜勤明けの1杯も今はバイクの運転があるから飲めなくなったことで酒量もいくぶん減った。健康的には前よりも良い生活になった、と思う。店で毎日食べているまかないカレーも身体に良いだろうし。スパイスをふんだんに使うカレーは、いわば薬膳料理だからね。問題は、部屋の片付けをする時間も気力もないこと、それだけである。
と、近況報告はこれぐらいにして、今回は少し方向を変えた話をしたい。以前ブログで述べたかどうかは忘れたが、この度私の新居となったアパートは、住所でいえば荒川区東尾久3丁目、最寄り駅は日暮里・舎人ライナーの「熊野前」駅である。
「熊野駅」にはもう1つ、乗り入れとか接続とかはしていないが、日暮里・舎人ライナーの「熊野前」駅を降りるとちょっとした広場があり、そのすぐ先に都電荒川線、別名(というかこっちが正式名称だろうが)「さくらトラム」の「熊野前」駅もある。
というと、2路線使えて便利ですね、と思うかもしれないが、「さくらトラム」は始発(終点)が「三ノ輪橋」~「早稲田」で、都心に出るにはかえって不便。あと、15分ぐらい歩けば東京メトロ・千代田線「町屋」駅もあるが、今はその15分が億劫で、もっぱら徒歩5~6分の日暮里・舎人ライナーを利用している。
以前住んでいた三ノ輪のマンションは、東京メトロ「三ノ輪」駅まで徒歩8分だったから、それよりちょっとだけ駅からは近くなった。けど、日暮里での乗り換えが面倒だ。日暮里の1つ前の西日暮里で東京メトロ千代田線に乗り換えもできるが、結構駅間が離れていて乗り換えに時間がかかるし、東京メトロでも千代田線って意外に不便なんだよなあ、私の行動範囲内では。
今にして思えば、最寄り駅が東京メトロ、その中でも日比谷線沿線、というのは、大変便利で恵まれた条件だったんだなあ、しみじみ。しかし、今更言っても詮無いことだ。それに、いくら不便だろうと、マンションに比べて設備が劣るアパートだろうと、それを承知で引っ越してきたのは自分である。なぜなら、それらのマイナスを補って余りあるメリットが新居にはあるから。後悔はしていない。どころか、大変助かっている。というのが今回の引っ越しであるが、いかん、話の方向を変える、といいながら全然変わってなかった。改めて、今回はタイトルにもある通り、我が新居の最寄りであり、現在ほぼ毎日利用させていただいている「日暮里・舎人ライナー」について話をしたい。
「日暮里・舎人ライナー」は、日暮里駅と足立区の見沼親水公園を結ぶ、東京都交通局が運営する新交通システム。以下、日暮里は省略して「舎人ライナー」と表記する。あ、「舎人」は「とねり」と読みます。変な名前だし、知らないと読めないよねえ。
「舎人」とは、歴史的に皇族や貴族に仕え、近侍や雑用などに従事していた人物やその役職を指す言葉。大和王朝時代にはすでに存在したらしく、殿に侍る(はべる)ことから「とのはべり」がなまって「とねり」となった、という説がある。が、飛鳥時代、天武天皇の子供に「舎人親王」という人がいた。天武天皇といえば、幼名は大海人皇子といい、大化の改新で有名な中大兄皇子、後の天智天皇の実弟で、天智天皇の死後、日本古代最大の戦乱といわれる壬申の乱で大友皇子(天智天皇の息子)を破り、飛鳥浄御原宮で即位。律令の制定をはじめ国の礎を築く政治を行った人物である。
そんな偉い天武天皇の息子がなぜ、殿に侍る「舎人」を名乗ったのか、その理由はわからない。それはともかく、律令時代には皇室や朝廷に仕えるのが「舎人」、親王と内親王に与えられるのは「帳内」、五位以上の大夫(貴族)に与えられるのは「資人」と書いて区別したが、読み方はすべて「とねり」である。
やがて平安時代以降ぐらいから「舎人」という言葉は使われなくなった。が、なぜか東京の足立区に地名として残っている。足立区の最北端、かつ東京23区の最北端でもある「舎人」という地と日暮里を結ぶ新交通システムだから「日暮里・舎人ライナー」と名付けられた。のはわかるが、なぜ、そもそもは人物や役職を指す言葉が、転じて地名になったのか。諸説はあるが、真偽のほどは今もって不明である。
諸説ある中で有力なのが、聖徳太子が関東を巡行した際、ただ1人その正体を見破った「舎人」にちなんで命名された、という伝承。これは入谷にある源証寺所蔵の「太子堂縁起」にも記されている舎人村の村名由来に基づく説だそう。だけど、これはほぼ間違いなく、でっち上げでしょうな。そもそも聖徳太子自体、じつは架空の人物ではないか、という説が近年勃発しているぐらいだから、聖徳太子にまつわる話はすべて眉唾だと思ったほうがいい。
また、前述した「舎人親王」に由来する、という説もあるようだが、これも「舎人親王」と現足立区のその一帯との関係を示す資料はないようで、根拠に乏しく、個人的には勝手ながら却下。さらに、小石の多い痩せ地を表す「トネ」(石根)と、入谷や谷の奥を表す「イリ」をあわせた「トネイリ」に由来する、という説や、アイヌ語の「石の転がる平地」を意味する「トネ・イリ」に由来する、もあるが、まあどちらもこじつけでしょう。
結局、私が思うに、この辺一帯に理由はわからないが「舎人」という役職についていた人が多く住んでおり、昔は役職も先祖代々引き継がれていたことから「舎人」姓を名乗る一族も現れ、やがて「舎人村」という地名にもなっていった、といったところが真相ではないか、と推測するが、皆さんはどう思いますか?
やがて戦国時代に入ると、この辺一帯は「舎人氏」と称する豪族が治めていた、という説があり、これはホントだとは思うけど、その当時すでに「舎人村」という地名があったから「舎人氏」と名乗ったのか、それとも、豪族「舎人氏」の領地だったから地名も「舎人」になったのか、それはわからない。卵が先か鶏が先か、だな。「舎人氏」は「舎人城」という城を構えていた、という資料もわずかにあるらしいが、それも詳細は不明である。
ちなみに、「舎人ライナー」の駅の1つに「舎人公園」という駅がある。なぜか「舎人公園」について調べてもあまり記述は出て来ないが、もともとは「舎人城」の跡地を公園にしたらしい。しかしその「舎人城」が、もとは豪族・舎人氏が構えた城であったのか、それすらもわからない。これについてはちゃんと調べたらわかりそうなもんだし、もしそうなら「舎人公園」の歴史として大々的にアピールしてもよさそうだけど、なぜかそうはなってないのが不思議ではある。
話は急に「舎人城」から「江戸城」へ飛ぶ。太田道灌が築城したとされる「江戸城」だが、徳川家康が入城する前、当時関東一帯を治めていた後北条(小田原)家のものだった時期がある。そのときは後北条64城の1つとして千代田の城と呼ばれ、舎人、葛西と合わせて3城郭を構成していた。つまり「舎人城郭」は後の「江戸城」と同格だった、ということになる。これは地元の人々にとっては誇りだろう、と思うのだが、どうやら地元でも知らない人の方が多いとみえる。もったいないねえ。
などとつい歴史の話が長くなってしまってすいません。なにしろ私、歴史好きなもんでお許しいただきたいが、歴史にさほど興味がない人にはつまらん話でしたね。現在の「舎人ライナー」に話を戻します。
「舎人ライナー」の開業は2008年(平成20年)3月30日。工事は1997年に着工し、路線名と駅名が決定したのは2006年(平成18年)11月13日。都内でも比較的新しい鉄道と言っていいと思うが、一番新しいかどうかはわからない。全線高架複線で全長9.7kmの13駅。コンピューター制御による自動運転システムで、ガイドレール(案内軌条)に従って運行する「案内軌条式鉄道」(AGT)である。
自動運転システムとは、言い換えれば無人運転なわけだが、これはお台場を走る「ゆりかもめ」なんかも同じで、いまではすっかりおなじみだけど、最初は、人がいなくて大丈夫か?なんて不安に思う人も少なからずいたでしょうねえ。幸い「舎人ライナー」で事故のニュースは聞いたことないが、もしかしたら私が知らないだけかもしれないので、誰か知っている人がいたら教えてください。
運転が無人なら駅も無人で、田舎出身の私は無人駅を使った経験がある(親戚の家の最寄り駅がそうだった)のでなんとも思わないが、東京の人にとっては無人駅、つまり駅に人がいない、というのは最初は戸惑ったでしょうね。ただ、田舎の無人駅とは違い、今の都会の無人駅は、何か駅員に用事や困ったことがあると、ボタンを押せばすぐどこかにいる駅員が応答してくれ、たいがいのことはリモートで解決してくれる。私も何度か「舎人ライナー」の「熊野前」駅でお世話になった。
例えば近々でいうと、1週間ほど前だったかな?PASUMOにチャージしようと、切符の自販機にお札を入れた。金額はたまたま手元にあった8千円。これを全額チャージしてもよかったのだが、チャージ金額の表示に8千円がなかったので、5千円の表示を押した。ところが、おつりで還ってくるはずの3千円が還ってこない。
そこで仕方なく駅員の呼び出しボタンを押すと、すぐ駅員が応答し、PASUMOを抜いて隣の自販機に入れろ、だの何度かやり取りした後、無事3千円が還ってきた。所要時間もさほどかからず、まったくイラっとしなかった、といえばウソになるけど、少なくともリモートだから不便だとは感じなかった。まあ、これは簡単な事例だからであって、もっとややこしい問題が起こったときはわからないけど。
そんなことより「舎人ライナー」、新しい鉄道だけあって、線路、じゃなくてガイドレールがかなり高い。ビルにして3~4階、いや、もっと上かな、それぐらい地上より高いところを走るので、景色が良い。日暮里や西日暮里あたりは高層ビルの間を縫うように走るが、ビルのすき間から垣間見下ろす地上がやけに低く、そこを抜けるとパッと開けた感じで遠くまで見晴らせて、ちょっとした旅行気分を味わえる。無人運転だから運転席がなく、車両の先頭や最後尾の席から見通せる鉄道ムービーのような風景もいいね。子供が喜びそうだ。もっとも、私は普段乗車するとたいていスマホをいじっているので、景色はあんまり見てないが。
他にも、ゴムタイヤなので振動や騒音が少ない、とか、省エネで環境にも良い、とか、さまざまなメリットがある「舎人ライナー」。沿線の街も開発が進んでいるようで、前述の「舎人公園」や終点の「見沼親水公園」など子育て世代に人気のスポットも意外に多い。総じて住みやすく、暮らしに便利な路線として人気が高まっているらしい。昔は足立区といえば治安が悪い、というイメージだったと聞くが、今はそんなことはないそうなので、興味がある方は一度、「舎人ライナー」で「途中下車の旅」なんてしゃれ込んでみてはいかが。
その一方で、こんな気になる情報も見つけた。なんと、「舎人ライナー」は国土交通省の都市鉄道混雑率調査で、2022年度に155%の混雑率を記録するなど、4年連続で日本一の混雑率を誇る(誇ってどうする)、“日本一混雑する路線”として知られているのだとか。いや、これは知らなかった。今回「舎人ライナー」について調べて初めて知って、え、そうなの?とちょっと驚いた、だって、私は夜勤なのでラッシュアワーに乗ったことがないから。いつも人が多いなあ、とは思っていたけど、ギュウギュウで身動きできないほど混んでいたことは今まではなかった。私が「舎人ライナー」に乗る時間に限っては。今度、試しに、あえてラッシュアワーの時間に乗ってみようかしら。“日本一の混雑”を体感しに。
というわけで、今回はいつもとちょっと趣向を変えて、まったくもって奇妙かつ魔訶不思議な縁あってその沿線の住民となった「舎人ライナー」について書いてみました。といっても私が利用するのは熊野前から赤土小学校前、西日暮里、そして日暮里までの4駅3区間のみだけど、いつかヒマができたら、熊野前から日暮里方面とは反対方向、終点の「見沼親水公園」や「舎人公園」まで行ってみたい、と思っている。
とは言いつつ、結局、行かないんだろうなあ。なにしろ、以前住んでいた三ノ輪でも周辺に「樋口一葉記念館」や吉原遊女の投げ込み寺、鶯谷駅近くの「子規庵」に「書道博物館」などなど、せっかく近くに住んでいるんだから、いつかそのうち行ってみよう、と思っていながら10年間、ついぞ行かなかったスポットが多々あるからね。10年住んだ三ノ輪でそうだったんだから、今の東尾久でもきっと同じでしょう。っつたく、何か用事でもない限り動かない、という私の腰の重さは、締め切りがないと原稿を書かない、という遅筆にも通じる私の悪癖である。変わらないとな。でも、そのためには時間的にも経済的にも精神的にも余裕がないとな。しかし今は店が赤字だし、人手も足りないから私がデリバリーしなきゃいけないし、一体いつになったら余裕ができることやら。やれやれ、と嘆きつつ、今回はこれにて。ではまた。