鶯谷飲み

鶯谷駅

前回で予告した通り、今回はJR鶯谷駅周辺で飲みに行ったお店をご紹介。なぜ「鶯谷」なのか? それは単に私の自宅が近いから、というだけで大した理由はない。私の自宅の最寄り駅は東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅だが、JR鶯谷駅も一応徒歩圏内(17~18分ほどかかるが)で、JR山手線に乗る場合、三ノ輪駅から地下鉄で上野駅まで行ってそこで乗り換えるよりは、直接JR鶯谷駅へ行って山手線に乗る方が、時間もさほど変わらないし、交通費も若干浮く(わずか地下鉄2駅分だけど)ので、そうする場合が多い。

帰りも、とくに介護施設の夜勤明けは、他へ行く用事でもない限り、ほぼ毎回、JR鶯谷駅で降りて帰宅している。時には鶯谷駅周辺の朝から開いてる店に引っかかり、晩酌ならぬ朝酌することもある。もっとも、鶯谷まで我慢できず、大森で飲んじゃうときの方が多いが、ともかく、JRの駅では大森に次ぐ私の馴染みの駅、それが「鶯谷」というわけだ。

ちなみに「鶯谷」という地名は、江戸時代、寛永寺の住職として代々京都から駐在していた皇族の1人である公弁法親王が、「江戸の鶯はなまっている」と言って、当時の文化人・尾形乾山に京都から鶯を運ばせ、この地に鶯を放ち、鶯の名所となったことに由来する、といわれている。元号でいえば、元禄の世のこと。だが、じつは、現在の行政上では「鶯谷」という地名は存在しない。

現在の地名は、鶯谷駅の西側、つまり山手線の内側は、博物館や美術館が点在する上野恩賜公園を含むことから、住所もそのまんま「台東区上野公園」という。この一帯は歴史ある神社仏閣も多く、閑静な高級住宅地にもなっている。

逆に鶯谷駅の東側は、西側とは一転して、ラブホテルが密集する猥雑な雰囲気。だけど住所は「台東区根岸」。「根岸」といえば、「根岸の里」という言葉を思い浮かべる人もいるだろう。これはかつて正岡子規をはじめ多くの文人がこの地に住んでいたことから称された言葉で、根岸党という下谷根岸に集まった文化人のサロンもあったらしい。

それをご存じの方であれば、「根岸」、という言葉を聞いただけで、文化の薫りを感じることだろう。しかし現在の鶯谷は、言わずと知れたラブホテル街であり、吉原が近いことからソープランドの送迎車をしばしば見かけるなど、色んな意味で都内でも屈指のディープゾーンである。なのに住所だけは格調高き「根岸」、というギャップが面白い。

いや、住所だけ、ではないな。現在も根岸2丁目には「子規庵」、中村不折の「書道博物館」、落語家の林家三平一門の「ねぎし三平堂」があり、文学的散策を楽しめる。「子規庵」は私も行ったことがある(自宅から近いからね)が、そのときはたまたま休館日だったか開館時間外だったか忘れたが、とにかく中には入れなかった。今思えば残念である。なのでいつかは行ってちゃんと見学したい、と思っているが、なかなかその機会がない。いつでも行ける、と思っていながら、結局まだ行ってない、というのはあるあるだよね。

かように文化的な一面を持ちつつ、それとは真逆のディープゾーンでもある鶯谷には、知る人ぞ知る名店(飲食店ね)が意外に多く点在しており、呑兵衛にとっても魅力的な街である。もちろん店の数はお隣の上野駅の方が比べものにならないぐらい多いが、多過ぎても迷うだけからね。その点、鶯谷は店の数も密集具合もエリアの広さもちょうど良く、飲み歩くのに適している、と私は思う。かねてより行きたい、と思っている店も不思議と上野より鶯谷の方が多い。

というわけで今回は、私の馴染みの鶯谷駅の周辺で、馴染みというわりにはまだ行ったことがなくて、かねてより行きたい、と思っていた店を2日間かけて巡ってきた、というお話。2日連続ではなく、1週間を挟んでの2日だけど、どちらも昼間は上野公園内の東京国立博物館で“芸術の秋”を満喫した後、夕方になれば駅の反対側までテクテク歩いて、呑み屋が密集するディープゾーンを訪れ、1日3軒ほど飲み歩いた。

1軒目は「鳥椿 鶯谷朝顔通り店」。こちらは『孤独のグルメ』(漫画ではなくテレビドラマの方ね)に登場したこともある名店で、朝10時に開店するので、いつか夜勤明けに朝酌しに行こう、と思っていたのだが、朝顔通りまで来るとついついその入口にある「日高屋」に入ってしまい、まだ未訪であった。やっぱり、貧乏だからつい、ビールが安い店に行っちゃうんだよねえ。

しかし今回、念願叶ってやっと入れた「鳥椿」。さすが人気店だけあってほぼ満員だったが、運よくカウンターの隅が空いて座れた。ただし、『孤独のグルメ』撮影後に店内改装して、雰囲気は当時とは変わっている。井の頭五郎が座ったカウンターが短くなっていて、そのぶんテーブル席を増やしたようだ。それはまあしょうがない。

注文したのは、「ハムカツ」と「チューリップ」。この2品がここの名物であることは、YouTubeを見て知っていたので。「ハムカツ」はその厚さに驚いた井の頭五郎が、こっそりメジャーを取り出して厚みを測ったほど。「チューリップ」は、いわゆる骨付きの鶏唐揚げ。子供の頃よく弁当に入っていたっけ。いうても、どっちも揚げもんである。揚げもんなんて、どこもたいして変わらないだろう、と思うが、いざ食べてみると、さすが名物。どこがどうとは言えないが、たしかに、美味い。どちらも肉の味がしっかりして、コロモに負けてない。多分、良い肉を使っているんでしょうね。

ちなみに『孤独のグルメ』で井の頭五郎が食べたのは、「ハムカツ」の他に「アボカド鶏メンチ」「鳥鍋めし」など。興味のある方は、YouTubeをご覧ください。『孤独のグルメ』本編の他、いわゆる食べ歩き系のチャンネルでもしばしば「鳥椿」は登場する。というか、鶯谷を代表する名店の1つ、それが「鳥椿 鶯谷朝顔通り店」である。

続いて2軒目。へ行く前に、ちょっと業務スーパーに寄り道して、マヨネーズを買う。私、ここのマヨネーズが好きでねえ。マヨネーズ買うなら業務スーパーで、と決めている。その業務スーパーのすぐ近くに、予約がとれないことで有名な「鶯谷園」という焼肉屋がある。予約さえ難しいに、飛び込みだとなおさら無理だろう、と思ったが、一応、ダメもとで「鶯谷園」に入ってみる。するとオジサンの店員から「予約?」と聞かれ、「いや、してません」と答えると、シッシッ、と手を振られた。予約なしなんて問題外だ、とでも言うように。

いやまったく、ケンモホロロ、という表現はこういう時に使うのか、と勉強になったぐらい、あまりといえばあまりにもそっけない対応に、腹が立つのを通り越し、むしろ滑稽にも思えてきたので、その次の週、つまり2回目の鶯谷飲みの時もまた予約なしで「鶯谷園」に行った。ただし、その時は私ではなく、代わりに同行したメンバーの1人を送り込んだ。さあ、フラれていらっしゃい、とばかりに。

そしたら、期待通りの門前払いをくらったようで、もはやそれが話のネタになるレベル。多分、また今度、鶯谷飲みの機会があれば、きっとまた「鶯谷園」に性懲りもなく顔を出して、またまたそっけなく断られるんだろうな。これを鶯谷飲みの恒例行事とする。なんちゃって。

で、「鶯谷園」には入れなかったので、2軒目をどこにしたかというと、「肉汁餃子のダンダダン 鶯谷店」。ほんとは言問通りを渡った反対側にある「居酒屋もりもり」に行こうと思ったんだけどね。ここは牡蠣専門店ということなので、無類の牡蠣好きの私としては一度は行ってみたい店だったが、同行者がさほど海鮮好きではないのと、言問通りは道路の内側に駐車場か何かあって渡るのが結構面倒臭い、というのもあり、通りがかりに目についた「肉汁餃子のダンダダン」に吸い込まれるように入った次第。

「肉汁餃子のダンダダン」は、ご存じの方も多いだろうが、かなり手広く展開している有名チェーン。現在、何店舗ぐらいあるのか、ちょっと調べてみたが、あまりに数が多くて数えるを止めた。それほど多くの店舗を抱えているチェーン店に、わざわざ鶯谷まで来て入ることもないだろう、という気もしたが、まあいいか。どうやらそこは新規オープンしたばかりのようで、場所柄にしては広めの店内は明るくてピカピカしていて、その明るさに惹かれた。蛾じゃないけど。

じつは私、「肉汁餃子のダンダダン」は、まだ3~4店ぐらいしか店舗なかった時代に取材したことがある。が、なにしろずいぶん昔の話なので、忘れていた。それがこの日、餃子を運んできたお姉ちゃんに、「味がついてるので、何もつけずにお召し上がりください」と言われて思い出した。ああ、そうだ、オレ、昔取材したときにこの餃子、食ったなあ、と。

しかし、なにしろずいぶん昔のことなので、取材当時の味は覚えていない。覚えていない、ということは、さほどの印象はなかった、ということだろう。だけどその取材後、あちらこちらでみるみるうちに店舗数を増やしていった「肉汁餃子のダンダダン」を見かけるたび、不思議に思ったものだ。そんな美味い餃子だったっけ?と。もしかして、オレだけか?ダンダダン餃子の旨さがわからないのは。

あと、書いているうちに思い出したのだが、その取材時、「なぜ、ダンダダンみたいな変な名前にしたんですか?」という質問を、そのまんまでは失礼なので言葉を選んで、した記憶がある。その答えもうろ覚えであるが、なんでも、ただ勢いだけでつけた、といったニュアンスだったように思う。まあ、はっきり覚えていないということは、たいした理由でもなかったのだろう。もし違っていたらごめんなさい。

そんな思いも含めて久しぶりに味わったダンダダン餃子は、思いのほか美味しかった。肉汁餃子の名に偽りなく滴る肉汁を堪能した。昔からこの味だったのか、その後改良を重ねてこれだけの美味さに辿り着いたのか、それはわからない。わからないけど、美味けりゃなんでもいいか。

また、餃子以外のメニューも充実。というか、わりと私好み。たとえば馬刺しなんかもあって、これは量が少なかったけど、味や鮮度はまずまず。今回は頼まなかったけど、刺身なんかも餃子屋のわりには旨そうだ。次来たら生ものも頼んでみよう。

そうして2軒目の「肉汁餃子のダンダダン」で結構飲んで食って、腹一杯になったので、3軒目で〆ることに。〆はやっぱり、鶯谷へ来たらここは外せない、名店中の名店「信濃路」。いや、名店といっても、そんなにハードル上げ過ぎると、初めての人にはガッカリされるかもしれない。なぜなら、特別美味しいものを出すわけではなく(不味くはないけど)、店も決してキレイではない(どちらかといえば汚い)、まあごく普通の居酒屋(元々はうどんやそばの店だったようだが)だから。

ただ、メニューの数が驚くほど多くて、しかも安い(酒の値段は普通)。そして営業時間が長い(コロナ前は24時間営業だった)。加えて、これは人によるだろうが、なんとなく居心地が良くて、酒飲みには愛される、そんな店である。つまり、名店というよりは、呑兵衛たちの間での人気店、と言った方が正確だろう。

ちなみに同店は、何年か前に亡くなった直木賞作家の西村賢太氏がよく行っていた店としても知られている。西村賢太は、昔で言うなら無頼派、今なら底辺系というのかな?とにかく自身の不遇な境遇に絡めて、妬みや怒り、傲慢に不遜等々、情けない己の内面をとことん赤裸々に、露悪的なまでに曝け出す、といった作風だったので、好きな人は好きだけど、嫌いな人も多い。つまり好き嫌いが大きく分かれる作家である。私は意外と好きだったけどね。

なので、鶯谷の「信濃路」といえば、直木賞作家・西村賢太に愛された店、というのでもうちょっと有名になってもよさそうに思うが、意外にそれがあまり知られてないのは、西村賢太の知名度がさほどでもない、ということだろうが、それがちょっと残念でもあり、いや、それでいいのだ、という思いもあり。混んで入れなくなると困るからね。

それはともかく、3軒目の「信濃路」で〆て、大満足の鶯谷飲み1日目だった。え、「信濃路」では何を食べたか、って?えーと、すいません、忘れました。まあ、結構腹一杯だったので、〆というよりは軽くつまんで、少し飲み直しただけ、だっだように思う。1つ覚えているのは、店員がインド人だったこと。それも1人や2人ではない。そのとき店員が何人いたかはわからないが、少なくとも2人はインド人のようで、店内にインド語(多分)が飛び交っていた。これにはちょっと驚いた。

私、「信濃路」には以前も来たことがあって、そのときは店員がほとんど中国人(まあそんな店です)だったのを覚えている。たしかコロナ前だったかな。その後3~4年を経た今、なんとインド人が中国人にとって代わるとは。いやはや。飲食店で外国人が働くのは今時珍しくもないが、インド人がインド料理屋以外の店で働いているのを見たのは初めだ。ましてや、それまでは中国人が多かった「信濃路」にインド人が進出。これは何かの予兆か?

なんてことを考えても勿論、私なんぞにわかるわけがないので、この話はこれまで。ついでにこの原稿もここで終了して、次週に行った鶯谷飲みの2日目の話は次回にしたい。いや、行った店の紹介だけなのでさらっと流そうと思ったけど、いざ書き出すと、色々書きたいことが出てきて、やっぱり文章ダラダラと長くなってしまったのはいつものことだからお許しください。では、次回、鶯谷飲み2日目で会いましょう。