認知症のお婆ちゃんに好かれる秘訣、教えます。と、前々回で偉そうに振っておきながら、その後2回は別のテーマで書いたので、あの話はどうなったんだ、と、やきもきされておられる皆さん(って、そんな人はほとんどいないと思うけど)、お待たせしました、いよいよ今回、その話をしたいと思います。
いや、前にも言ったけど、ほんと、大した話ではないからね。それだけは予め言っておきますからね。読んだ後に、なんだ、そんなことか、なんてがっかりしないでね。ていうか、逆に、そんな簡単なことなら自分でもできる、なんて前向きに捉えていただけたら幸いです。
で、本題に入る前に、夜勤の仕事内容をざっと述べておきたい。本題と少しは関係あるから。夜勤の入り時間は午後5時。だけど、その前に申し送りを済ませておかないといけないから早めに来い、と言われているので、私はいつも20~30分前に来ている。自宅を3時ちょうどぐらいに出ればこの時間に着く。だから夜勤といっても午後出勤。昼間別の仕事がある日は忙しい(最近は昼の仕事はたま~にしかないけど)。
出勤したらまず、利用者1人1人に軽く挨拶した後、各居室を回って、カーテンや窓を閉め、オムツの人には換えオムツの用意をし、ベッドにラバーシーツ(失禁してもシーツまで濡れさないためのシート)を敷き、エアコンの温度調節し、センサー(起きると音が鳴る装置)がある部屋ではセンサーの確認、と、やるべきことはたくさんある。
けど、まあ、慣れてくればオムツ替えはその都度対応できるし、ラバーシーツは日中勤務の人が敷いてくれていることが多いし、エアコンもたいがいつけっぱなしでOKだから、私は毎回カーテンを閉めるぐらいでさっと済まし、すぐさま申し送り(日中勤務の人からその日の注意点などを聞く)をしつつ、出勤したら必ず目を通せ、と言われている連絡ノートを読みつつ、記録用のiPadにログインしたり、食事・水分量やバイタルのチェックシートを用意したりしているうちに夕食の時間となる。
夕食は5時。だけど、早い人(つくる人によって若干違う)は10~15分前にもう出してしまうから、出勤したらすぐ食事、という感覚。なので早めに来ないと、食事にも間に合わない、ということになる。あ、食事の前にテーブルを拭いたり、1人1人の手に消毒液をシュッシュッとかけて回ったり、エプロンが必要な人にはエプロンを、ってそんな細かいことはいちいち言わなくていいか。
食事は利用者の皆さんと一緒に摂る。食べながら食介(自分で食べられない人に食事の介助)をするときもあるが、5時前に食事が出れば早番(8時出勤の5時上がり)の人が食介してくれるので、そのときはそそくさと食事を済ませ、服薬の準備。夕食後の薬を1人1人に用意する。毎食後の薬は予めタッパにセットされているから、それを水で飲む人やトロミをつけて飲む人などそれぞれの飲み方に合わせて用意し、飲ませていくわけだが、間違えて別の人の薬を飲ませたりするともう大変。私も何度か間違えたことがあり、その度に大騒ぎとなった。
薬を間違えて飲ませた(誤薬という)ときは、看護師さんに連絡して、その薬の成分を調べて、飲ませても問題がないかどうかを確認。これは危ない、となればその日中(夕食後なら一晩中)異常が出ないかどうか、経過観察しなければならない。誤薬というのはそれぐらい大ごとである。
また、薬を飲むとき、ポロリと落とす人もいるので、落とさずちゃんと飲んだか注意も必要。後で床に落ちた薬(落薬という)でも発見されようものなら、これまた大騒ぎ。誤薬もそうだが、落薬も見つけたら事故報告書(始末書のようなもの)を書かされる。
というわけで、食事を終えた利用者から1人ずつ薬を飲ませて回り、同時に食事量と水分量も確認して記入。終われば今度は1人ずつバイタルチェック。体温と血圧・脈拍を図って回る。9人全員に。それからチェックした記録をiPadに入力し、バイタルチェック表にも記入する。結構大変でしょ。
えっと、こんなふうに細かく説明していくとまた長くなって本題に辿り着けなくなるので、あとは簡潔にいきます。配薬とバイタルチャックを終えたら、整容。自分の歯がある人は歯磨き、義歯(入れ歯ね)の人は義歯を外してうがいをさせたりして、7時になるともう眠前薬を飲ませ(高齢者は夜が早いからね)、介助の必要な人を1人ずつ各々の居室へ連れて行き、就寝させる。
この就寝時と、朝の起床時が、夜勤で最も重労働の時間となる。とくに3階は車椅子の人が多く、車椅子の人はベッドに移すために抱え上げなければならないので、かなりの力を要する。しかもベッドに寝かせたら終わりではない。ベッド上でオムツ交換もしないといけないが、これまた大変。どう大変なのかは別の機会に述べるが、私はいつもこの就寝時と起床時には大汗かいて、ハアハア言いながらやっている。あんまり汗をかくので、毎回着替えを持って来ているほどだ。まさか着替えの必要な仕事だとは思わなかったなあ。
そうこうしながら全員を寝かせたら、ホッと一息。やっと自分の時間である。といっても夜間もやることは色々とあるのだが、要領よくやればこうして原稿を書く時間もとれるし、仮眠もできる。が、それは利用者が皆ちゃんと眠ってくれたら、の話。夜間何度も起きてトイレに行く人が何人もいて、自分で行ける人ならいいのだが、車椅子など自分で行けない人は、起きるとセンサーが鳴るのでその度に居室へ行き、ベッドから車椅子に移し、トイレへ連れて行って排泄介助し、また戻す。という作業を、ひどいときには一晩に十数回はやる。仮眠どころか、休憩する間さえない日もある。
まあ、ここのところは落ち着いており、一晩中休む間もない、という日は少なくなってきてはいるが、利用者の容態は日によってコロコロ変わるので油断はできない。といった夜勤中の話もまたいずれ別の機会に譲るが、夜勤帯は時間の流れが速く(そう感じるのは私だけ?)、あれこれしているうちにあっという間に朝になる。
朝の5時。3階ではこの時間に寝たきりの人に朝食(水分だけだけど)を食介し(他の人と一緒にはできないから)、それが終わると全員を起こして回る。本来の起床時間は6時半だが、手がかかる人が多いのでそうしないと間に合わない。2階ではもう少し遅く、だいたい6時ぐらいからかな。手がかかる人が3階よりは少ないからね。
このとき、3階でも2階でも、何度起こしても起きない人もいる――という話もしだすと長くなるので割愛して、とにかくバタバタと駆け回り、またしても大汗かきながら、ときにはハアハアと呼吸困難に陥りながらも、なんとか全員を起こし、排泄や整容の介助をし、フロア(兼食堂)の各席(それぞれ自分の席が決まっている)に座らせて、朝食を出す。
朝食は7時。皆を起こす前にあらかた食事の準備をしておき、皆が揃ってから味噌汁などを温め、ご飯をよそう。食事が終われば、また食後の服薬、バイタルチェック、記録。合間に食事の後片付け、洗濯等。全部終わるのはだいたい9時ぐらいになる。
勤務終了は10時。それまで空いた時間で何をやるか。ボーッとしててもいいのだが、それではつまらないので、私はこの時間を使って、ちょっとした体操をやっている。少しでも認知症の進行を防げないか、と思って。どんな体操かというと、一応、私のオリジナルです。誰に習ったわけでもなく、何か参考にしたものもない、私の思いつきで適当に、グーチョキパーと手を動かせたり、指を1、2、3と立てさせたり、腕を上げたり肩を回したり。まあ、オリジナルだと威張れるほどでもない、ごく簡単なもの。簡単じゃないと認知症の爺ちゃん婆ちゃんはできないからね。
ところがこの体操、私がこの施設に入って間もない頃は、まだみんな元気だった(今と比べれば)こともあり、ほとんどの利用者が結構喜んでやっていたのだが、私が一旦辞めて1年のブランクを経て戻ってくると、その体操ができなくなってしまった人がいた。
もちろん今も変わらず楽しそうにやってくれる人(氷川きよしファンの婆ちゃんなど)もいるけれど、例えば前出の自分では何にもできない認知症のお婆ちゃんは、グーチョキパーができなくなっていたばかりか、ただ腕を上げるだけ(つまり万歳ですね)というあまりに簡単なことさえ、できないのか、できるのにやらないのかはわからないが、私がいくら声をかけても、じっとしたまま、手も体も動かしてはくれなくなっていた。
いや、無視されるわけではないよ。皆がグー、チョキ、パーやイチ、ニイ、サン、など声を出してやっていると、それに合わせて手拍子したり、一緒に声を出したりはする。だけど自分の体は動かさない。また、以前はいなかった新たな利用者(私にとってね)が何人かいるのだが、これが揃って重度の認知症で、はなから体操なんかやる気がない。
したがって、以前は皆元気よく、楽しそうにやっていた体操が、今は参加人数も減ってなかなか盛り上がらない。盛り上がらなければ私もやる気が失せる。そこで体操は止め、代わりに唄を歌うことにした。そこのフロアに、童謡の歌詞をコピーした手作りの冊子が人数分あったので、それを見ながら、皆で歌う。うさぎおーいし、かのやま~、とか、もしもしかめよ、かめさんよ、とか、そういうやつね。
そしたらなんと、例の認知症のお婆ちゃん、体操はできないが、唄なら歌える。しかも、意外に上手い。恐らく昔、合唱団だかコーラスだかやっていたらしく、発声も堂々としたものである。歌っているところだけみると、とても認知症とは思えない。これだ!と思いましたね。
そこで、童謡だけではつまんないだろうと、昭和の歌謡曲などを何曲か、インターネットからコピーして自作の冊子をつくり、歌わせたら、これが大好評。いや、体操に付き合ってくれない重度の認知症の人は歌ってくれませんよ。喜んで歌ってくれるのは、体操にも付き合ってくれた3~4人だけど、氷川きよしの大ファンの婆ちゃんなんかは「懐かしくて涙が出る」などと言って喜んでくれた。
しかし中には、「これは難しすぎる」と文句をいう人もいた。というと、私がどんな曲を選んだのか、選曲が気になるよねえ(ならないかな?)。だけどその話もまた長くなるので、結論を急ごう。例の認知症のお婆ちゃん、体操はできないけど、唄なら歌える、と私が踏んだ通り、私がコピペして持ってきた唄も、すべて難なく歌える。これは難しい、と言われた唄でも、当たり前のように歌う。
感心するのは、その私が自作した冊子には目もくれない(もう文字も読めない認知症だから)にも関わらず、空でどんな唄でも歌えること。恐らく歌詞は覚えていないであろう唄でも、メロディは覚えているようで、私が歌えば寸分遅れることなくついてくる。だから傍から聞けば、ほぼほぼ一緒に歌っているように聞こえる。素晴らしい。よほど唄が好きなんだろうなあ。
そして歌い終われば、私の手を握り(私はその婆ちゃんの手に便がついてなければ握り返し、洗っても落ない便がついているときはさりげなくかわす)、よかったわ、とか、素敵です、とか言いつつ、じつに良い顔をする。認知症とは思えない笑顔を見せる。
今にして思えば、その頃からだった。そのお婆ちゃんの私を見る目が変わったのは。人の顔を覚えることさえできない重度の認知症のお婆ちゃんだが、私のことは、唄のお兄さんという認識なのかわからないが、とにかく覚えてくれたようで、私を見れば笑顔になる。機嫌が悪いときでも、私がなだめれば機嫌を直す。
この間なんか、早番のお姉ちゃん(若い娘だからお姉さんではなくお姉ちゃん)となにやら揉めていた(飲んでいたコーヒーをこぼしそうになったのでお姉ちゃんがカップを持ち直させようとしたら、取られると勘違いして抵抗した、といった些細なことだ)ので、私が「どうした?」と言って近寄ったら、その婆ちゃん、私に縋りついて、「あの人(お姉ちゃんのことです)と話さないで」と、耳打ちしてきた。笑っちゃうよねえ、お姉ちゃんには悪いけど。
それぐらい私のことを頼りにしている、というと、自慢話のように聞こえるかもしれないが、なんのことはない、前にも言ったけど、なにしろ想像を超える重度の認知症だから、そんなにも好かれ頼りにされている(ように思える)私でさえ、気分次第ではあっさり無視されることもしばしば。そのお姉ちゃんと揉めたときだって、しばらくすればすっかり忘れて、何事もなかったかのように和気藹々とお話していたからね。いくら私がその婆ちゃんから好かれていると言っても、所詮はその程度。言えば言うほど、おめでたいヤツ(私がね)だと思われるのはわかっているから、まあ、半分冗談、ということで。
もっとも、冗談でも嫌われるよりは好かれたほうがいい、という声もあった(これは実際に同業の人からそう言われた)ので、今回はあえて冗談にはせず真面目に(?)認知症の婆ちゃんに好かれた理由を述べてみた次第。参考になったかな? いや、たまたまこの婆ちゃんが、唄が好きだった、というだけで、つまりは運がよかっただけ、かもしれない。
だけど、このお婆ちゃんが、こんなにも唄が好きな人だったんだ、ということに気がついたのは、この施設では恐らく私だけ。もっと言えば、歌わせる唄も、誰でも歌える童謡とかではなく、あえて難しい唄を選んで歌わせることで、その婆ちゃんの知られざる新たな一面を発見できたのは、私のお手柄だろう(これは冗談ではなく、本気の自慢である)。
自分では何にもできない重度の認知症だけど、唄なら、いや、唄だけは、人並み以上に上手く歌える、という発見。これは一般的にも応用できるのではないか。つまり、認知症の人でも何かしら好きなもの、得意なものがあるはずで、それを周りが見つけ、伸ばしてあげるのが大事。ということで、これを今回の結論としたい。やっぱり大した話ではなかったかな。まあ、異論反論受け付けます。
それから、私が実際にそのお婆ちゃんにどんな唄を歌わせているか、気になった方がいらっしゃいましたらお申し付けください。ご要望があればその曲のリストを公開しつつ、他にもどんな曲がいいか、といった意見なども頂戴できたらありがたいです。ということで今回はこれにて。