時事ネタはあまり取り上げることがない当ブログであるが、ここのところ新札が発行されたり、小池都知事が再選されたり、つい先日はトランプ大統領が狙撃されるなど、何かと世の中騒がしく、これだけ大きな出来事や事件が続けば、さすがに、ここらでひとつぐらい時事ネタを扱ってもいいんじゃないか、というか、扱うべきなんじゃないか、という気がしないでもない。あんまり頑なに時事ネタを拒むのも不自然というか。
しかし、である。いざ、書こうとすると、うーん、なんだかなあ。約20年ぶりの大規模な刷新となる新紙幣(1万円の福沢諭吉の変更は40年ぶり)だけど、渋沢栄一も津田梅子も北里柴三郎も、私にとっては単なる歴史上の人物といった認識しかなく、個人的な関わりや思い入れはとくにない。なのでブログのネタとしては、まあ書こうと思えば書けるけど、多分、ありきたりのことしか書けないと思うので、あまり気は進まない。新紙幣については他にも最先端の偽造防止技術など、色んな話題が盛りだくさんのようだけど、あえて私がここで書くべき情報は、なーんも思いつかない。
と言いつつ、書いているうちに思い出したけど、渋沢栄一だけは唯一、関わりというほどではないが、飛鳥山公園内にある「渋沢史料館」へ行ったことがあるな。たしかコロナ前だったから、もう3年以上も昔だが。飛鳥山は、渋沢栄一が設立に尽力した王子製紙(設立当時は抄紙会社)の工場を見下ろせることから、邸を構えた地。1879年(明治21年)からは内外の賓客を招く公の場として、その後1901年(明治34年)から亡くなる1931年(昭和6年)までは家族と過ごす日常生活の場として使用し、「曖依村荘(あいいそんそう)」とも呼ばれたという。
江戸時代、八代将軍徳川吉宗が庶民の娯楽のために桜を植え、当時上野などでは禁じられていた酒宴も許されたことから、一気に花見の名所となった飛鳥山は、1873年(明治6年)の太政官布達により、上野・浅草・芝・深川とともに日本最初の「公園」に指定されている。ということは、渋沢栄一は「飛鳥山公園」の中に居を構えた、ということか?いくら渋沢栄一とはいえ、公園内に私邸を建てるなんてことができるのか?
そう思ってさらに調べると、渋沢栄一が土地の購入と借入をはじめたのは明治10年から。王子製紙の工場を訪問した際、王子権現付近を散策したところ眺望が良かったことから、西ヶ原の地を気に入ったという。この西ヶ原という地名は今もあるが、明治6年に指定された飛鳥山公園とは、近いという以上の因果関係は見つからない。逆に飛鳥山という地名は今はないようで、飛鳥山公園の住所も王子一丁目。最寄り駅はJR京浜東北線「王子」駅、もしくは東京さくらトラム(都電荒川線)「飛鳥山」「王寺駅前」だ。
ちなみに飛鳥山という名前は、国土地理院の地形図に記載されていない。また、その標高も正確には測量されていなかったことから、北区では“東京都で一番低い”とされている愛宕山(25.7メートル)よりも低い山ではないか、として2006年に測量を行い、実際に愛宕山より低い25.4メートルであることを確認。国土地理院へ飛鳥山を地形図に記載するよう要望したが、採用されていない。
一方、飛鳥山公園の歴史をみると、明治12年、渋沢栄一が飛鳥山公園南東側の敷地に別荘を構える、とある。つまりこの当時、渋沢栄一が別荘を建てた敷地は公園内ではなく、公園に隣接する土地だったようだ。その後渋沢栄一が亡くなる1931年まで本邸として使用された旧渋沢邸は、1933年(昭和8年)、渋沢栄一の遺言により竜門社(龍門社との表記もあり、どちらが正しいかはわからない)に寄贈される。
竜門社とは、渋沢栄一の理念に共鳴した経済人らを会員とした組織。2003年より渋沢栄一記念財団と名称変更され、引き継がれている。太平洋戦争下の1945年(昭和20年)、龍門社は旧渋沢邸を政府に寄贈。そして1949年(昭和24年)、空襲で大部分を焼失した旧渋沢邸が竜門社に返還されたものの、竜門社は渋沢栄一顕彰事業の基金とするため、旧渋沢邸跡地の3分の2を売却し、飛鳥山公園が拡張される。要するに、飛鳥山公園が渋沢さん亡き後の土地を吸収して大きくなった、ということのようだ。
そして現在、旧渋沢邸すなわち「曖依村荘」跡地には「渋沢史料館」が建ち、日本の近代経済社会の基礎を築いたとされる渋沢栄一の活動や足跡に関する史料(資料?)を収蔵・展示。その功績の偉大さを今に伝えている。その周辺は旧渋沢庭園として整備され、大正期の建物で現存する「晩香廬」「青淵文庫」も内部公開されている。
「晩香廬」は1917年(大正6年)、渋沢の喜寿(77歳)を祝って現在の清水建設が落成・寄贈した西洋茶室。渋沢自作の漢詩「菊花晩節香」から命名された。「青淵文庫」は渋沢の傘寿(80歳)と、男爵から子爵に昇格したお祝いを兼ねて龍門社が贈呈した文庫。建設中の1923年(大正12年)に関東大震災に遭い建物の一部が被害を受けたが、震災後に再工事が行われ1925年(大正14年)竣工。名称は渋沢の雅号から命名。「晩香廬」と「青淵文庫」ともに国指定重要文化財で一見の価値あり。
また、飛鳥山公園には「渋沢史料館」の他にも「北区飛鳥山博物館」「紙の博物館」と、合わせて3つの博物館がある。いずれもなかなかの見応えで、吉宗公以来の桜の名所としても健在だから、まだ行ったことがない人はぜひ一度。都内にあって気軽に行ける観光スポットとしてもっと知られてもいいと思うのだが、新紙幣登場の際は、渋沢栄一の出身地である深谷市ばかりが盛り上がっていて、飛鳥山公園の「渋沢史料館」については、私が見てないだけかもしれないが、ほとんど報道されなかったようなので、ここで取り上げてみました。渋沢栄一の新札を手にしたら、握りしめて飛鳥山公園の「渋沢史料館」へ行って見ましょう。私は今もって新札はお目にかかったことさえないけど。
ちなみに、深谷市には「渋沢栄一記念館」というものがあり、こちらは私行ったことないのでわからないが、もしかしたら「渋沢史料館」より大きくて内容充実しているのかも。誰かご存じの方教えてください。もう1つ、これは都内の人はまず知らないであろう、渋沢栄一ゆかりの建物が、なぜか青森県にあって、たまたま私は昔行ったことがあるので、少々自慢げに紹介したい。行ったことがあるぐらいで自慢するな、と怒られそうだが。
その建物は、青森県三沢市の「星野リゾート 青森屋」の敷地内にある。もとは深川にあった渋沢の居宅を移築した建物で、周囲には渋沢大門という大きな門や渋沢栄一の巨像、渋沢神社などもあり、その広大な一帯は渋沢公園とも呼ばれている。しかしなぜ、そんなところに渋沢が、と思いますよねえ。私も「青森屋」に宿泊して周囲を散歩したとき、たまたま見つけただだけで、なぜそんなものがここにあるのかはわからなかった。しかも中には入れず、外から見ただけだったこともあり、そのときはさして疑問とも思わず、ふーん、といって通り過ぎただけであった。
そして月日は流れ、今回この原稿を書くにあたって、そういえば「青森屋」にも渋沢邸、あったな、と思い出した次第。思い出せば、改めて、なぜそこに渋沢が、という疑問も湧いて、少し調べたところ、どうやら「青森屋」の前身である古牧温泉の創業者がかつて渋沢家に仕えていた、という縁があってのことらしい。
古牧温泉は、かつての最盛期には22万坪の広大な敷地(渋沢公園)内に4つのグランドホテルと小川原湖博物館、ボウリング場やプール等も整備された一大レジャー施設であった。旅行新聞社の「行ってみたい観光地」で10年連続1位に輝くなど、温泉リゾートの典型例としても高く評価されていた。関連施設も「奥入瀬渓流グランドホテル」や「十和田湖グランドホテル」など多数抱え、まさに県下最大、いや、恐らくは東北を代表する、といっても過言ではないではない隆盛ぶりだったようであるが、バブル崩壊で経営破綻。その後、経営を引き継いだのが、あの有名な星野リゾート、というわけだ。
当時の星野リゾートといえば、いや、今でもそうかもしれないが、倒産したり経営不振で傾いたりしたホテルを買い取り、ではなく、運営を受託し、立て直す、いうなれば「再建屋」として名を馳せていた。その象徴的な存在が北海道の「トマムリゾート」であることはご存じの方も多いだろう。
私は某夕刊紙の記者時代、取材をかねて「トマムリゾート」と「青森屋」、そして「奥入瀬渓流ホテル」の3施設に宿泊したことがある。取材とは言いながら元嫁と子供連れ、つまり普通の家族旅行となんら変わりなく楽しんだ思い出しかないから、まあ、取材は建前でほとんどプライベートの旅行だったのだろう。よく覚えてないけど。
この星野リゾート3施設に行った話をしだすと、また脱線して長くなるので、ここでは書かない。星野リゾートについてはいずれ取り上げる機会があると思うので、そのときにでも改めて述べたい。が、一言だけ言わせていただくと、控えめに言って、最高だった。3施設ともそれぞれ異なる特徴があって、それぞれが、さすが、星野リゾートというべきハイセンスで高クオリティ、おもてなしの心も満ち溢れ、感銘を受けた。お世話になったからヨイショするわけではない。掛け値なしに、素晴らしかった。まあ、そのぶん値段は張るけどね。
で、そのときの「青森屋」でたまたま見つけた旧渋沢邸の話に戻るが、その当時も、そして恐らく現在も、内部公開はされていない。従って、自慢げに紹介はしたもののお勧めはできなくてすいません。しかし「青森屋」も、せっかくそうした観光資源があるんだから、内部公開できるよう整備して、もっと宣伝すればいい、と思うんだが。
なんてことをほざいていたら、あらまっちゃん、なんと、その「青森屋」の旧渋沢邸は、現在東京へ移築されている、というではないか。もとは東京の深川にあったらしいから、いわば里帰りですな。移築先は、そもそもその旧渋沢邸の設計建築を手がけた清水建設が東京都江東区潮見に建設したイノベーションセンター「温故知新の森 NOVAR」内。この施設自体まだオープンして間もないようで、その敷地内に移築された旧渋沢邸も今年7月1日に公開されたばかり。恐らく新札が切り替わるタイミングに合わせたんでしょうね。興味のある方はご自身で調べて行ってみてください。というのは、「温故知新の森 NOVAR」というのが、どんな施設か、私が調べてもイマイチ、ピンと来なくてねえ。どなたかご報告お待ちしております。
と、まあ、書くことがない、と言いながらまたしてもダラダラと文章長くなってしまい申し訳ない。新札についてはとくに何も書くべきことはなくても、渋沢栄一についてなら書きたいことがたくさんあったので。ちなみに新札はまだ、私のもとには回ってこない。まあ私、こうみえてキャッシュレス派だからね。基本的に現金は持ち歩かないから、しょうがない。
とはいえ、PASMOのチャージなんかはまだ現金(オートチャージにはしていない)だし、いまだに支払いは現金のみ、という店も結構ある。そういうときは、いちいちATMで下ろさなくてもいいよう、まとまったお金が入ってきたときにとっておいた封筒から少しずつ取り出すわけだが、その中に意外とピン札が混じっている。ピン札があるとなるべく使わず、先に古い札から使うので、封筒の中はむしろピン札の方が多くなる。新札に切り替わった今となっては、旧札のピン札だ。なんだかなあ。旧札のピン札を折り曲げるたび、複雑な気持ちになる。いつになったら新札にお目にかかれるのだろうか。
あと、小池百合子東京都知事の再選については、これこそなんも書くことがないのでパス。そもそも選挙に行ってないし。というと怒る人もいるだろうなあ。いや、たとえ支持政党がなくても、投票したい候補者がいなくても、選挙は行かんといかん、と、私も思います。けどもやねえ。その日は4日連続の夜勤明けで、4日とも昼間あんまり眠れなかったから、選挙当日は帰宅するとすぐ寝ちゃって、起きたらすでに投票時間が過ぎていた。というのは言い訳ですね。仮に起きていても、面倒臭くて、多分、選挙へは行かなかった、と思う。そんなヤツに政治を語る資格はない。と言われれば、はい、その通りです、と、甘んじて受け止めます。
それにしても、トランプの狙撃は、惜しかった、もとい、危なかったですねえ。まさにスレスレの危機一髪。ほんのちょっとでも顔の向きが違っていたら、銃弾が頭を貫いていた。そう思わざるを得ない銃痕がほっぺをかすっていて、死ななかったのが奇跡のよう。安部元総理は命を落としたが、トランプは助かった。これを単に安部さんの運の無さ、トランプの悪運の強さ、で片づけていいものか、それはわからない。そんなのわかる人はいないか。
しかしトランプは、ライフル協会だかなんだか名称は忘れたが銃の業界とズブズブで、銃規制には反対の立場であることは周知の事実であるが、その銃で撃たれるとは、皮肉である。これで一転、銃を規制する方向へと政策を変える。ということはないだろうけど、何かしらの影響があるのかどうか、今後に注目したい。
このトランプ狙撃事件で共和党の結束が高まった、という危機感を抱いたのかどうかはわからないが、あれほど再出馬に意欲をみせていたバイデンが、急遽、撤退を表明した件。個人的には残念である。というのは、トランプだってもう高齢だし、どうせ老人が大統領になるなら、バイデンに最高齢記録をさらに更新してもらって、高齢化社会のシンボルになってもらいたい、と思うから。
高齢化社会といっても、ただ寿命が伸びるだけでは意味がない。肝心なのは「健康寿命」であり、どれだけ長く現役でいられるか、が、今後の社会における重要なテーマである。と、私は思っているわけで、もし、現在81歳のバイデンが再選されてあと4年、じつに85歳まで現役で大統領を務めることができれば、これほど人々に勇気を与えることはない。と、私は思う。
けど、まあ、あれほど言い間違いや失言が多ければ、致し方ない、という気もしないでもない。身体の不具合は何とかできても、認知症だけは、ねえ。いっそ、逆手にとって、“認知症の大統領”として選挙戦を戦えばよかったのに。認知症でも大統領になれる!とかね。大統領をバカにするな、と怒られるかな。
時事ネタといえば、この原稿をアップする頃にはまさに目前か、もしかしたらもうはじまっているかもしれないパリ・オリンピック。これに触れないわけにはいかない。という意見もおありでしょうけど、どうすかねえ。とりあえず今回は文字数一杯なのでここで終わるが、次回、もしくは次々回でパリ・オリンピックを取り上げるかどうか。それは私にもわからない。まあ、書きたいことがあれば書くけど、とくになければスルーします。ということで、今回はこれにて。毎日暑い日が続きますが、ご自愛ください。