うなぎと文豪

うな丼の写真

前回で予告した通り、当ブログを掲載している「アラドラ」の関係者が集まり(1人だけ「アラドラ」を知らないのも混じってたけど)、ミーティングと称するただの飲み会で、うなぎ、食べてきました。といっても、うなぎの他にもつまみの種類が多い店で、つまみだけで結構腹一杯になっちゃって、〆はうな重ではなく、軽めのうな丼にした。それでも充分旨かった。夏はやっぱりうなぎだねえ。

というわけで今回も前回に引き続き、うなぎの話。あ、前回は“鰻”と漢字表記を多用したけど、今回は“うなぎ”とひらがな表記でいきます。その方が読みやすいからね。で、そのうなぎ屋さんは、何という店ですか?と、気になる方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。店名は覚えてません。

場所は新橋駅前ビルの地下の飲食街。サラリーマンのオアシスとして有名ですね。その中にある店だから調べればすぐわかるけど、面倒臭いから、気になる人は自分で調べてね。あと、そこのうなぎは関東風か、関西風か、と聞かれると、うーん、ふっくらしてたから多分、関東風だと思うけど、定かではない。

取材等で美味しいものを結構、人よりも食べているくせに、意外と味オンチ、はっきり言えば、バカ舌の私、うん、これは○○風だ、なんて断定する自信はさらさらない。だったら、店の人に聞けばよさそうなもんだけど、料理運んできたお姉さんが愛想悪くて、気軽に聞ける雰囲気でもなかったしねえ。ただ、うなぎは宮崎県産、ということだけはわかった。そう書いてある張り紙があった。もっとも、その時により仕入先は変わるらしいから、役には立たない情報か。

いや~、どうも私、取材ではない、となると、気が抜けること甚だしいな。取材であれば店名はもとよりメニュー名も一字一句正しく表記(時々長ったらしい変なメニューがあるんだ、これが)、値段なんかそれこそ間違えると大変。だから、どんな取材でもある程度(取材の重要度にもよるが)の緊張感を持って臨む。そして記事を書いた後も、取材した店は結構長い間覚えている。

片や、これが取材ではなく、ただ食べに行っただけの店、とか、連れて行ってもらった店、なんかだと、もちろんメモなんかしないせいか、すぐ忘れる。というか、覚えようとしない。これは恐らく、取材の反動でしょうな。というと、ずいぶんなこじつけだな、と言われるかもしれないが、自分の中ではそうとしか思えない。それぐらい、取材ではない店はすぐ忘れる。店を出た途端に忘れて、なーんも覚えていない。あ、もしかして、歳のせいもあるかな?

今回のテーマである「うなぎ」にしても、めったに食べないご馳走なんだから、行ったことがあるうなぎ屋(歳のわりには少ないが)のいくつかは覚えていたってよさそうなもんだけど、全然だ。たとえば、まだ私が某夕刊紙に所属していた頃だからかれこれ10年近く前になるかな、小江戸の町並で人気の川越で食べたうな重は、感動するほど旨かった。という記憶はあるが、その店の名は、やっぱり覚えていない。

川越の街並みの写真

川越の町並み

このときは取材というより、川越の町並をバックにクルマの撮影(そういう仕事も当時はやっていた)で、撮影の合間に昼食でたまたま入ったうなぎ屋だったから、覚えてないのも当然だ(威張ることはないか)。多分、川越ではかなり高名な老舗、だったと思うけど。

もっと遡れば、私が上京する前、福岡でテレビCMの制作会社に勤めていた頃、柳川へロケに行ったときに入った店、ここは柳川で一番有名だと聞いたから、恐らく今もある「若松屋」だったと思うが、定かではない。このとき食べたのは、柳川風の「せいろう」という、この地方独特のうなぎ料理だった。はずだが、その味はおろか体裁も見た感じも、料理に関する記憶はまったくない。まあ、これは30年以上も昔のことだから、さすがに無理もないか。

このとき、料理の記憶はまったくないのに、行ったことがある、というだけの記憶がかろうじて残っているのはなぜか、と考えるに思い出したのが以下。当時の私は、制作さん、と呼ばれる雑用係兼使いっパシりだったのだが、うなぎ屋に入ったはいいものの、料理が出てくるのが遅くて遅くて、イライラしていた(ロケの進行役でもあったから)。すると同行していた年嵩のディレクター(白髪だったこともあり、若かった自分からみれば相当の爺さんに見えた)から、「うなぎは焼くのに時間がかかるから、遅いのは当たり前。焦らずゆっくり待ちなさい」と、優しくたしなめられ、なるほどなあ、と思った。記憶というのは不思議なもので、肝心なことはなーんも覚えてないのに、こんなどうでもいいことはなぜか覚えている。

しかし、この些細なエピソードは意外と示唆に富んでいて、うなぎ屋は料理が出るのが遅いもの、ということさえ知らなかった、若かかりし頃の無知な自分が恥ずかしいけど微笑ましくもあり、そんな時間がかかるうなぎをロケの合間に食べるなんて、ずいぶんのんびりした仕事だったんだなあ、と、当時を回顧したり。あるいは、今の自分はこのときの年嵩のディレクターと同じぐらいの年齢になったんだよなあ、と思えば、時の流れの速さに呆然とする。

話をうなぎに戻すが、有名な浜松のうなぎも浜松で食べたことはある。はずだが、やっぱり覚えていない。このときはたしかプレスツアーの昼食だった。プレスツアーというのは――詳細は省くが、簡単にいうと、地方の役所の観光課や観光協会などが主催し、各メディアの編集者やライターを集めて、その地方の観光スポットやグルメ等を巡るツアーに招待しますから、取材して書いてくださいね、という、いうなれば複数の媒体の合同取材会、のようなもの。ということは、このときのうなぎも取材だから、覚えていてもよさそうなもんだけど、とんと覚えていない。プレスツアーは同じ日に多くの観光スポットを巡るわけで、取材すべきものが他に多々あったから、その行程の1つに過ぎない昼食までは気が回らなかったのだろう。

いや、記事の主旨がグルメだったりすると(そういう記事は結構多い)、昼食だって大事な取材対象になることもあるから、このときももしかしたら記事にしたかも、と思い、パソコンを漁ってみたのだが、残念ながらこのときのプレスツアーの記事自体が見つからなかった。多分、会社で使っていた別のパソコンに残っているのだろう。ということは、会社を辞めた今はとっくに消去されているに違いない。辞める前に保存してあるデータを全部、今使っているこのパソコンに転送すればよかったのだが、後の祭り、である。

その代わり、といっては何だが、浜松ではなく、成田のプレスツアーの記事が見つかった。そこで食べたうなぎについてもちゃんと(少しだけど)書いてある。おお、こりゃいいや。早速引用しよう、と思ったけどその前に、少しだけ説明を。この記事を書いた年はたしか、成田空港にLCC(ローコストキャリア、つまり格安航空ね)が初就航した年、もしくは本格化した元年(忘れたけどどっちでもいいか)で、それを記念して、LCCのCA(キャビンアテンダント、昔でいうスチュワーデスね)が、成田市内でお勧めの飲食店を紹介する、という主旨のプレスツアー。成田市役所の観光課が、成田空港だけでなく、成田市街にも来て欲しい、ということで立てた企画だった。色々と考えますなあ。

では、以下、原文のママ。

(リード)

近年、LCCが次々と就航して新時代を迎えつつある成田空港。しかし、「成田空港はよく利用するけど、成田の街へは行ったことがない」という人は多いのでは? あまり知られていないが、じつは成田市は老舗名店人気店が目白押しの“グルメの街”なのだ。そこでLCCのCAに、オススメの店を紹介してもらった。

(本文)

成田へ来たら、なにはさておき「成田山新勝寺」へお参りを。あまりに有名なので説明は省くが、時間があれば「護摩焚き」はぜひ体験したい。サラリーマンなら「出世稲荷」への参拝は必須だろう。

成田山新勝寺の写真

成田山新勝寺

参拝を終えたら表参道へ。歩くだけでも楽しい通りには土産物屋に交じり鰻屋が数多く立ち並ぶ。聞けば全部で約60店もあるそうだ。その中で、「バニア・エア」の唐島久実さんのオススメは「川豊本店」。店頭でうなぎを捌き串を打つ同店は、川魚料理専門として明治43年創業。かつて旅館だった趣ある建物で「うな重」(2,300円)を食す。う、うまい。創業以来継ぎ足してきた秘伝の薄甘口タレが、舌にも歴史を感じさせる。「ボリュームもあって、この値段は安いと思います。町家のような雰囲気もいいですね」と唐島さん。

続いて訪ねた甘味処「三好家」は、通りには看板しかなく、細い路地を入った先にある。初めての人はまず迷うだろうが、「SPRING JAPAN(春秋航空)の野口寧々さんが教えてくれた。おすすめは「大納言」(冷白玉あずき)(700円)。「和の甘いものがすべて入っています。ほうじ茶がお代わり自由なのもいいですね」(野口さん)。隠れ家的な茶席風カフェで、落ち着いたひと時を過ごせる。

参道ではもう一軒、「下田康生堂ぱん茶屋」をご紹介。鰻屋だった実家を引き継いた下田慎吾さんが、ベーカリーカフェへと転換。フレンチの技術を活かして開発した「うなぎパン」(615円)をぜひ試していただきたい。また、同店では「成田ソラガール」とのコラボ商品「成田ソラあんぱん」も販売している。

腹ごなしに「さくらの山公園」に行き、次々と着陸する飛行機をひとしきり眺めた後、JR成田駅近くの創作フレンチ「野菜×創作料理101」へ。ここは「ジェットスター・ジャパン」の久保千咲さんのオススメ。CAたちがよく行く店として有名だそう。「なんといっても野菜が美味しいです。女性は絶対喜ぶと思います」(久保さん)。予約なしではまず入れないという人気店なので、行くなら必ず予約を。

他にも唐島さんオススメの韓国料理「イテウォン」、久保さんオススメのバー「Jet Lag Club」、成田が発祥とされるジンギスカンの老舗「緬羊会館」など、行きたい店はまだまだたくさんある。成田空港へ行ったら、隠れたグルメの街・成田まで足を伸ばして、食べ歩きしたい。

 

ということで、記憶に残っているうなぎ屋で、店名も覚えているのは、この「川豊」だけ。他にも行ったことがある店はいくつかあるはずだが、店名を覚えている店が1つしかない(しかも、その1つも記事が残っていたから思い出せたが、残ってなければ忘れていた)のは情けないが、今さら言ってもはじまらない。先程、取材した店じゃないと覚えられない、と書いたが、もう1つ、自分で金を払った店じゃないと覚えられない、というのもあるな、きっと。

店に入ったことはないが、店の前を通って、おお、ここがあの有名店か、と思った記憶があるのが、上野の「伊豆榮」だ。徳川吉宗の時代から上野不忍池の地に本店を構える老舗中の老舗。かの池波正太郎が通った店、と私は覚えていたが、このブログを書くにあたって念のため調べてみたら、違ってました。通っていたのは森鴎外(その他文豪たち)で、池波正太郎が通ったのは浅草の「前川」でした。危ない危ない。知ったかぶりでウソ書くとこだった。

太宰治が愛した店として有名なのが「若松屋」(柳川の若松屋と同じ店名なのは多分、偶然だと思う)。今は国分寺にあるらしいけど、移転する前、三鷹に店があった頃に太宰治がひいきにしていて、小説やエッセイにも度々登場するのだとか。また、太宰が原稿料をこの店に持ってこさせた、とか、太宰が入水自殺したときに玉川上水で遺体を引き上げたのがこの店の先代の親父さん、といったエピソードもいくつかあるようで、通っていた以上に深い関係が太宰とこの店の間にはあるらしい(詳細は自分で調べてね)。一度は訪問して、太宰が愛したといううなぎを食してみたいものだ。

国分寺の若松屋の外観写真

国分寺の若松屋

福沢諭吉も、「学問のすゝめ」(「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」で有名なアレね)の中でこう書いている。

「味噌も舶来品ならば斯までに軽蔑を受くることもなからん。豆腐も洋人の『テーブル』に上らば一層の声価を増さん。鰻の蒲焼き、茶碗蒸等に至ては世界第一美味の飛切とて評判を得ることなる可し」

つまり、うなぎの蒲焼きは世界でも第一位、とびっきりの美味である、と福沢諭吉は言っているわけで、これは私も今回調べて初めて知ったことけど、なんか、うれしいよね。「学問のすゝめ」なんて、書名は誰もが知っているが、中身を読んだことがある人は少ないだろう。もちろん私も読んだことはない。が、これを機に読んでみたい、と思った。多分言うだけだけど。

もっとも、福沢諭吉は、アメリカ滞在中に帰国したら食べたいものを日記に書き残すなど、食べ物には相当こだわりを持っていた人(ただの食いしん坊かもしれないけど)らしく、食事にまつわるエピソードもたくさん残しているというが、それだけに、うなぎについては、好きなのは間違いないと思うが、とくにうなぎだけを特別に、というわけでもないようだ。まあ、それは池波正太郎についても言える(池波正太郎が通ったという店はうなぎ屋の他にも多々ありジャンルも様々)ことだから、気にしないでいいか。

その福沢諭吉が通ったという店が、大分県の中津にある、らしい。しかし、現在はうなぎ屋というより日本料理屋になっているようで、しかもなぜか福澤諭吉の名を出してアピールはしていない(ネットでもクチコミでしか出てこない)ので、一応、店名は伏せておく。もう1つ、成田山新勝寺の山門で、先述の「川豊」よりも古い、成田参道一の老舗だという「菊屋」といううなぎ屋に、福沢諭吉の直筆の書が掲げられている。というが、これもクチコミ情報で定かではない。誰か、「菊屋」に行ったことがある人、いらっしゃいましたら教えてください。いや、自分で行けよ、ってか。

と、まあ、自分で行ったことがあるうなぎ屋が少ない(覚えてない)ので、薀蓄を交えて有名店を紹介したが、薀蓄というものは長いと嫌われるので、今回はこのへんで。最後に、時代はぐっと遡るが、奈良時代、大伴家持がうなぎを読んだ句を紹介して結びとしたい。

石麻呂に 吾(われ)物申す 夏痩に 吉(よし)と云う物ぞ 鰻取り食(め)せ

(大意:石麻呂さんに申し上げます。夏痩せに良いというもの=うなぎを獲って召し上がりなさい)

痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を漁ると 川に流るな

(大意:いくら痩せていても、生きていられれば良いではないか。うなぎを獲るため川に入って流されないように)

生きた夏のウナギの写真

これは「嗤咲痩人歌二首」(痩せたる人を嗤咲(わら)える歌二首)として、万葉集に載っているそうです。古来より、夏バテにはうなぎ、だったんですなあ。私たちも、うなぎを食べて、この猛暑(いや、もう残暑か)を乗り切りましょう。ではまた。