生命の危機を感じる暑さ、というフレーズはたしか昨夏も使われていたけど、まあ、それはさすがに言い過ぎだろう、と。高齢者や体力の弱い人ならともかく、普通の人は、いくら暑くったって、体力低下などの遠因にはなりうるにしても、暑さが直接の原因で死ぬことはない。と、思っていた。が、今年の夏の暑さときたら、決して大げさじゃなく、ほんとに“生命の危機”ですな。高齢者や弱者でなくとも、普通に元気な人でも、ヘタすりゃ死んじゃうよ。といっても冗談に聞こえない。いわゆる、シャレにならない暑さ、である。
現に私も先日、清掃の仕事での夜勤中、空調が止まった地下鉄の駅構内でポリッシャーを回していると、過呼吸のような息苦しさを感じ、これは死ぬかもしれん、と思ったからね。この歳になると、ちょっとでも息苦しいとすぐに、心肺停止の恐怖が頭をよぎる。幸いこのときは、少し休むと呼吸は整い、ことなきをえた。過去何度かあったように、床にひっくり返って休む、といった大事には至らずに済んでよかったものの、生命の危機を感じる暑さ、を我が身で実感した瞬間だった。もはや身体が、暑い、というより、熱い、んだよね
熱い、といえば、連日熱戦が続いている「パリ・オリンピック」。なんていかにも三流ライターが書きそうなベタな話の導入には目をつぶっていただくとして、書こうか書くまいか迷っていたパリ五輪について、せっかくだからちょっとだけ触れておく。まあこの原稿がアップされる頃にはとっくに終わっていると思うけどね。書いたネタとアップすべきタイミングがずれまくっているのはいつものことなのでお許しください。
終わってみれば、海外開催の大会としては史上最多の金メダル20個を獲得したパリ五輪。これまで海外開催大会で最多だった04年アテネ五輪の16個から一気に4個も上積みした。銀、銅を含めた総メダル数でも45個で、16年リオデジャネイロ五輪の41個を上回り、メダル総数でも海外開催大会最多記録を更新。ちなみに自国開催の21年東京五輪は金27個、銀14個、銅17個で、金メダル獲得数ランキングでは東京、パリと2大会連続で3位となった。あ、ここからは五輪開催中に書いた原稿を書き直してます。アップする前に開催終了し、結果出ちゃったんで。
まあメダル数が多かったからといって、良い大会だった、なんて一概には言えないけど、メダルは少ないより多い方がいいに決まっているし、内容も奇跡的な逆転勝利あり、感動あり、ドラマありで、観応えもある素晴らしい大会であった、と思いましたけどね。私の観た限りでは。開会式など運営面でもフランスらしいお洒落やセンスの良さが随所に垣間見えたしね。
しかし、開催してすぐぐらいにはこう思っていた。今大会はなんかやたらと物議を醸す問題が多いなあ、と。そもそも開幕前に、喫煙だか飲酒だかで代表を辞退した体操女子選手。辞退というのは建前で実質はクビ、というのは明らかだが、これに対して、厳しすぎる、いや、当然だ、と賛否両論、喧々諤々の議論が巻き起こった。色んな人が色んなことを言っていたが、私の知る限り、賛成反対はほぼ真っ二つ。私なんかは、出場取り消しは厳しすぎる、という擁護派だけど、世間的には擁護論が優勢というわけではないようで、厳しいこと言う人もたくさんいた。世間は、私が思っている以上に、喫煙には厳しいらしい。
私自身は喫煙者ではないが、喫煙者に対しては、迷惑をかけられることがない限り、わりと鷹揚である。むしろ、非喫煙者よりも多く税金を払ってもらってありがとうございます、まで思っている。煙草を一生吸い続けた人が生涯に払う煙草税の総額がどれほどのものかは知らないけど、貧乏人にとってはバカにできない額なのは間違いないだろう。逆に私がこれまで見てきた中では、貧乏人ほど煙草を吸う、という法則さえある。煙草を吸うから貧乏なのか、貧乏だから煙草を吸うのか、それはわからないけど。
私が大学生の頃の話だが、私が入った大学では、1~2年の間は教養部というのがあって、そこに学部の関係なく全学生が通う。いや、医学部は違ったかな?まあ、それはいいとして、大学1~2年といえば、浪人生など例外を除き、高校を卒業したばかりの18歳から20歳。つまりそこに通う学生のほとんどが、当時は未成年である。私は1浪して入ったけど、それでも大学1年生時は19歳。今は成人が18歳に下げられたらしいが、たしか煙草や喫煙は今でも20歳以下は禁止、だよね?
ところが、今思い起こせば、未成年で喫煙はできない学生がほとんどのはずである教養部に、なぜか廊下や階段の踊り場などに堂々と、煙草の吸殻入れが設置されていた。学生たちもごく自然に、当たり前のように吸っていた。授業が終わって廊下に出た途端、待ちかねたように一服、くわえ煙草で廊下を闊歩し、吸殻をそのへんの吸殻入れに捨てて立ち去る。そんな学生が何人もいた。もう一度言うが、未成年の学生が多いはずの教養部で、ですよ。しかもその大学、旧帝大の1つでもある国立大学だからね。そこに当たり前のように吸い殻入れが置いてあれば、そこで煙草吸っていいんだ、と思いますよねえ、未成年でも。
そんな経験があるから、私の中では、煙草は二十歳を過ぎてから、ではなく、高校卒業したら煙草OK、と刷り込まれている。実際、私が高校生の頃は、煙草を吸っているのが見つかれば謹慎や停学などの厳しい措置がとられたが、高校を卒業し、大学生になってからは、未成年でも煙草で処罰された例を見聞きしたことはない。高校卒業してすぐ社会人になったヤツならなおさら、気にせず吸っているだろう。
だから体操女子選手の件も、聞いたときにすぐ思ったのは、19歳ならいいんじゃね?だった。19歳にもなれば、煙草吸おうが酒飲もうが、本人の自由だろう。従って私は、オリンピック出場取り消しは厳しすぎる、に1票。個人的には、煙草ぐらいでそう目くじら立てなさんな、という擁護派の中でも極端な擁護派である。
とはいえ、国を代表する選手に選ばれた以上、いいじゃん、では済まされず、社会のルールには従わなければならない、というのはわかる。それにしたって、厳重注意、ぐらいでよかったのではないか、と思っているが、まあ、真相はわからないけどね。もしかしたら、何度も注意したのに止めなかった、とか、吸ってはいけない場所で吸った、とか、擁護のしようもない、やむにやまれぬ事情があった、のかもしれない。そのへんの事情をご存じの関係者の方、いらっしゃいましたら教えてください。
そしてもう1つ、賛否両論あったのが、金メダル確実といわれながら敗退し、号泣した柔道女子選手。号泣だけならまだしも、コーチに抱きつきいつまでもしつこく泣き続け、なかなか退場しなかった。これは、はっきり言って、いかんです。みっともない。泣くのはいいけど、あれほど人目もはばからず泣き叫べば、同情はできない。度を越したらダメだ。私なんか、呆れてしまったからね。最悪なのは、試合進行の妨げになったこと。もはやスポーツマンシップうんぬんどころの話ではない。人間としての未熟さ、幼児性を露呈してしまった。とまでいうと、厳しすぎるかな?
しかし世間は、どちらかといえば、気持ちは分かる、とか、よく頑張った、などの同情論が多かったようで、私のような厳しい意見に対してはものすごい反論があったらしい。でも考えてみてほしい。負けて悔しいのはみんな一緒。たとえ負けたとしても、それまでの努力に敬意を払うべきなのは選手全員にいえることで、彼女だけが特別ではない。会場では泣き続ける彼女に対し、観客から「詩コール」が起こったが、私にいわせれば、コールの意味がわからない。恐らく彼女が柔道選手にしては、というと失礼かな?普通に可愛いので、アイドル的な人気があっての、あのコールなんだろうけど、それにしたって、スポーツ選手を顔で差別しちゃいかんだろう。
逆に、その試合で勝った選手は、どこの国の誰だか忘れたけど、勝ってもはしゃがず浮かれず、もちろんガッツポーズなんかせず、最後まで顔色一つ変えずに畳を降りた。その後のインタビューで、偉大な金メダル選手(前大会の)に敬意を表して、みたいなことを言っていたが、これこそスポーツマンシップではないか。柔道精神ではないか。こうした対戦相手の立派な態度が、なおのこと、号泣した詩選手の未熟さを照らし出した。
そういえば、詩ちゃん、前大会で金メダルを獲得したとき、派手に喜んでガッツポーズもしてた。可愛いんだけどね。可愛いからといって、喜怒哀楽を表に出のは、柔道家としてどうかと思いますよ。まあ、今回の敗戦や騒動がもう一回り強くなるための契機になればいいけど。あと、お兄ちゃんは見事に金メダル獲れてよかったね。パリでは兄妹揃って金メダルの夢は破れたけど、まだ若いんだから、次回ロス五輪に期待してます。
柔道といえば、誤審というか、疑惑の判定もあった。柔道という競技は、過去にも度々疑惑の判定があったのを、皆さんも覚えていることでしょう。篠原信一の“世紀の誤審”とかね。しかし今回は、誤審でも疑惑の判定でもない、確信犯の判定ですな。審判だけど確信犯。だって、「待て」がかかっても締め続けた相手が1本勝ちでしょ。ひどいよねえ。柔道ではその他にもちょこちょこ疑惑の判定あり、団体戦で“疑惑のルーレット”もあり、いずれも開催国フランスに有利な判定。そのあまりに露骨な身贔屓に憤慨した人も多かっただろう。
まあ私は、柔道という競技自体、さほど興味はないので誤審や疑惑の判定には冷静でいられたが、私が好きで注目していたバスケットボールの試合でも、やっぱりフランス戦で出た疑惑の判定。これには怒りを覚えましたねえ。私は小学生のミニバスケットにはじまり、中学でも高校でもバスケットボール部に所属。大学ではバスケ部に入らなかったけど、高校OBのチームでやったり、上京してからもしばらくは草バスケットのチームでやったりしていたので、バスケットボールという競技には愛着がある。もちろんNBAや、たまにはBリーグの試合もライブではないが観ている。
そんな私が見てきた中でも、今回のパリ五輪・フランス戦の判定は、史上最低最悪。これもやはり母国を勝たせるための確信犯的誤審である。いくら母国開催とはいえ、こんな勝ち方で恥ずかしくないのか、フランスよ。と言いたい。そもそも、通常は1試合に1回あるかないかのアンスポーツマンライクファウルが、1人に2回立て続け、って、ある?それで退場した八村が、もし退場せずに最後まで戦っていたら―――なんてタラレバは言えば言うほど虚しくなるのでやめとこう。
それでも、最後の最後で4点シュートを与えた川村のファウル。これについては言わずにいられない。だって、その時点で4点差だったんですよ。残り時間もほぼなし。つまり、3ポイントシュートを決められても1点差で勝てるんだから、ファウルなんかする必要がなかった。打たせりゃよかった。ファウルなんかしたら、バカか、と言われる状況だった。
それは川村もわかっていたと思うが、つい、反射的に手を出してしまったんだろうな。それがファウルをとられ、3ポイントシュートも決まって、カウントワンスロー。一瞬で4点差を同点とされ、延長戦であっさり敗退。日本は八村の退場もあり、延長戦になれば勝ち目はなかった。それもわかっていたはずなのに、なんで?なぜ、あのファウルをとられた時点でもっと抗議をしなかった?なぜ、ビデオ判定を要求しなかった?あ、バスケットではビデオ判定はないんだっけ?いずれにせよ、なんかできなかったのかよ、と、ベンチにも不満を持った。
うん、ちょっと興奮して文章乱れてすいません。落ち着いて、冷静にもう1度、このゲームを振り返ろう。と思うが、やっぱり、冷静にはなれないな。川村もあの若さですごいとは思うけど、世界のレベルにはもう少し、ですな。大事なところで何本かシュート外したからね。ここで決めれば勝ち、というところで決めるのがエースだ。頑張ってさらに上を目指してほしい。
いやあ、ほんのちょっとだけ、のつもりで書いたパリ五輪だが、書けば書くほど、もっと書きたいことが出てくるなあ。しかしキリがないので、最後に、体操男子を取り上げて終わります。体操男子といえば、団体でも個人でも金メダル。これは素直に拍手を贈りたい。
「体操は個人競技と思われがちですが、私たちは個人競技ではなく、団体競技だと思っています」とは、1968年メキシコ五輪、1972年ミュンヘン五輪、1976年モントリオール五輪の金メダリスト・監物永三氏が日本体育大学でコーチをしていた頃、私が取材して実際に聞いた言葉である。なぜ取材したのかは後ほど。
団体競技であれば、普通はどうしても、エースと目される中心選手が鍵を握る。エースの調子が良ければ勝てるが、調子悪ければ負ける。とくにオリンピックなんか、エースの調子が悪くても勝てるような甘い世界ではない、と思う。素人の勝手な想像だけど。つまり今大会は、絶対的エースといわれた橋本選手が不調で、団体戦の金メダルはほぼ絶望的、だと思われた。が、他の4人が頑張り、エース橋本も最後は意地を見せて、奇跡的な逆転勝利。エースの不調を乗り越えてつかんだ金メダルだけに感動も大きく、日本の体操の底力も世界に見せつけた。
これだけでも感動ものなのに、これで終わらなかった。その翌日だったか数日後だったか覚えてないけど行われた男子個人総合で、見事金メダルに輝いた岡慎之助選手。これには驚きましたねえ。オリンピック初出場の二十歳が成し遂げた快挙に日本中が湧いた。のはいいが、私が、えっ!と思ったのが、岡選手の所属先として記されていた「徳洲会」の文字。ほー、徳洲会体操クラブって、まだあったんだなあ。と、個人的に感慨深く、懐かしかった。
というのは私、いつもこのブログで書いている某夕刊紙に所属する前は、この「徳洲会」の機関誌というか院内紙の編集部にいたからだ。「徳洲会」は、徳之島出身の立志伝中の人物「徳田虎雄」が創立し、最盛期には全国で70余の病院やクリニック等を展開するまでに成長した一大病院グループ。そこの職員や患者、取引先など関係者に向けて発行していた「徳州新聞」は、院内紙とはいえ、私がいた頃は常時3~4万部ほど発行しており、発行部数だけみれば、一般の本屋やコンビニに流通している雑誌にひけをとらなかった。
そのうえ、その当時はグループ総力を挙げて選挙に取り組んでおり、「徳州新聞」にはそのプロパガンダの役目もあったので、選挙絡みの記事、例えば徳田虎雄が元東京都知事の石原慎太郎と対談したことがあったのだが、その記事を載せた号なんかは10万部近くも刷ってはバラ撒いていた。今考えれば、病院の職員ではなく、わざわざ外部から私たちのような編集者(当時はライター仕事より編集者としての仕事の方が多かった)を集めたのは、選挙絡みで医療関係の記事よりも一般的な記事を強化したかった、からだろう。
そんな「徳洲会」が、理事長である徳田虎雄の肝入りで設立・運営していたのが、「徳洲会体操クラブ」だった。これがなかなかのもので、当時も五輪代表選手が何人か所属していた。そこで、その活躍ぶりを「徳州新聞」でも取材し、掲載して広く世に知らしめよう、ということで、私が選手はもちろんのこと、当時の日本チームの監督を務めていた監物氏のもとへもわざわざ出向いて、取材した次第。
「徳州新聞」では、いつもは徳田虎雄がどうしたこうした、という記事が大半を占め、常に全国を飛び回っている徳田虎雄の後をついて回って、取材するのが私の主な仕事だったが、このときばかりは体操選手や監督を相手に、まるでスポーツ紙の記者のような気分で取材をして、良い経験になった。
しかし、「徳洲会」の選挙戦はいつも惨敗。当時は「自由連合」という政党をつくり、国会議員でもあった徳田虎雄が党首となり、徳洲会病院の先生やわけのわからぬ芸能人くずれなど政治には素人の候補者を何人も立てて選挙戦を戦ったものの、ほぼ全敗。結局1人も通らなかったんじゃなかったかな。そのうち、私たちが集められた「徳州新聞」の編集部は、もっと安くつくれますよ、と営業してきた他の会社に乗っ取られ、たしか1年ももたないで解散となった。
その後は徳州会との関わりはなかったが、風の噂では徳田虎雄は亡くなり、後継ぎをめぐるお家騒動もあって「徳州会」はガタガタに。なったかどうかは知らないが、かつての勢いが今はないことは間違いなく、「徳州会体操クラブ」もとっくになくなっているだろう、と思っていたところに、今回の金メダル。そりゃビックリしますねえ。あっと、今回も文章長くなり過ぎた。「徳州会」についてはまだまた色々と思い出があり、書きたいこともたくさんあるけど、またいずれ。機会があれば取り上げるとして、今回はこれまで。まだまだ猛暑というか酷暑というか炎暑は続くようなので、皆さんくれぐれもお体は大切に。ご自愛ください。