お祭り

お祭りの風景

この日は介護施設への出勤日。いつものように京急本線「梅屋敷」駅で降り、改札を出てすぐ右折、京浜第一だと思うが大きな道路を渡れば、「梅屋敷東通り商店街」がある。反対に駅から左折した西側にも商店街はあって、そちらはそれなりに店も多く賑わっているようだが、こちらの「東通り商店街」はといえば、そりゃあ、もう寂しい限り。かつては、ちゃんと、という言い方は変だが、いわゆる昔の商店街らしく、色々な店が軒を連ねていたんだろうけど、今では櫛の歯が抜けるように一店また一店と減ってしまい、少し歩けば、ほぼ住宅街となっている。

それでも、そんな商店街でも、意外に商店街としての活動は熱心なようで、多分週末だけと思うが、「楽しい!お買い物道路」などと称して歩行者天国にしたり、音楽を流したり、ときには何とかセールやお祭りなどもやっている。残り少ない店の方々が協力して商店街を盛り上げよう、という活動は、あまり功を奏しているようにはみえないが、私なんかは、健気に頑張っていらっしゃいますなあ、と、上から目線で恐縮ながら思っている。

まあ、かつてはどこの駅前にもあった商店街が廃れていくのは時代の流れでしょうがない。私が知っているだけでも、なぜか5店もあった八百屋のうち3店はとうに姿を消し、残り2店のうち1店は時たま開ける程度で、常時営業しているのは1店のみ(そこも休みは多いけど)。床屋もたくさんあったけど、今は美容室が1軒のみ。今でも十数店舗ほど残っている飲食店も、流行っている様子の店は皆無。中には、私が通る度、客が入っているのを一度たりとも見たことがないラーメン屋もある。

そのラーメン屋、入口上にはいかにも高価そうな一枚板の看板を掲げ、気合十分の店構えでありながら閑古鳥。こんなんで営業成り立つのか?と思っていたら案の定、いつの間にか店は変わっていた。その新しいラーメン屋では1度だけ、客が入っているのを見たものの、依然として流行っている様子はない。なのにこの間、ふと見ると、アルバイト募集の張り紙がしてあった。客は少ないのになぜアルバイトが要る?

まあ、そんな大きなお世話はおいといて、「東通商店街」の話だけど、そのラーメン屋のように、店舗の入れ替わりがあれば、まだいい。残念なのは、というか、見ていて寂しいのは、店を畳んだその後、マンションや民家に建て替えられることだ。これは商店街の人々にとっては辛いだろうなあ。せっかく残った店が力を合わせて盛り上げよう、というところにマンションや民家が建つのは。だって、商店街というのは、店が軒を連ねてこその商店街であって、所々にマンションや民家があっては興ざめである。人が呼べないどころか、逆に、うるさい、などのクレームが来る可能性だってあるわけだからねえ。

まあ、どんどんマンションや民家に建て替えられていくのは、東京都内だから、であって、地方へ行くと、建て替えも進まず廃業した店がそのままの、いわゆる“シャッター商店街”というのがあちこちにあって、問題となっている。しかし私なんか思うのは、シャッター商店街の方がまだましだろう。なぜなら、シャッター商店街ならアイディア次第で復興の可能性はある。実際に成功した事例もいくつか知っている。しかし、商店街にマンションや民家が建ってしまっては、どうしようもない。それが時代の流れとはいえ、今も頑張っている人たちはやりきれないよねえ。

シャッター通りの画像

それにつけても、このように商店街にマンションや民家を建てる大家さんだか地主さんだかは、一体どんなつもりなのだろう? 店舗にしてテナントを募集するよりは、マンションや民家にして家賃収入を得る方が確実だ、と言うなら、それはすなわち、商店街としての可能性を見限った、と言っているに等しい。まさに商店街潰しである。そんなの、今も頑張っている商店街の人たちに、悪いな、とか思わないのかね? というか、こうした商店街を潰すような行為を取り締まる条例などつくるべきじゃないのかね? 日本全国津々浦々、都会も田舎も限らず、寂れた商店街の復興は、地域再生における重要なテーマ、のはずである。どこぞの偉い方、御一考ください。

そんなことを考えながら「東通り商店街」を歩くこと約10分。いや、途中で「まいばすけっと」に寄って、夜勤中に食べるおやつや飲み物を買うから、もう少しかかるかな。ちなみにおやつは、以前はポテトチップなどのスナック菓子を買っていたが、最近は健康を気遣って、「いわしスナック」というものを買っている。やっぱりスナックじぇねえか、と、突っ込みの声が聞こえますが、まあ落ち着いて。同じスナックでも、この「いわしスナック」はカルシウムが豊富で、DHAやEPAも含まれるから、ポテチよりは体に良い、と私は信じて食べている。まあ、気休め程度だけどね。

それともう1つ、いつも買うのが、トップバリューの板チョコ。夜勤中に原稿書いたりしていると、やっぱり甘いものが欲しくなるからね。それにこれ、68円と安いし。ということで最近のおやつは、大抵「いわしスナック」と板チョコの2点のみ。あと、飲み物は500mlのペットボトルを2本。銘柄はその時の気分次第で変わるが、だいたい1本はコーヒー系、もう1本は炭酸か果汁か、乳酸菌飲料も好きなのでよく買う。ほんとはもう少し食いもんを買いたいけど、太るし、お金もないしね。いや、そこまでケチらなくてもいい、とは思うけど、最近は夜勤明けの昼呑みでお金がかかっているので、ここでは節約節約。

話を戻す。「東通商店街」を抜けると、産業道路というのかな、これまたクルマの通行量が多い道路に出る。その道路の向こうに見えるのが、通称「弁天神社」である。通称、というのは、どうやら正式には「三輪厳島神社」というらしい。産業道路沿いに京急バスの「弁天神社前」というバス停があるぐらいだから、地元では「弁天神社」で通っているんだろうけど、その起源や由来など知りたくてちょっとネットで検索したところ、「弁天神社」では場所ぐらいしかわからない。

というか、「弁天神社」というのは全国各地にあって、一番有名なのはyahooロコで出てくる静岡県浜松市の弁天神社かな? さほど大きくはないようだけど、弁天島という名の島に位置することでよく知られているようだ。そもそも「弁天神社」とは、「天女伝説」や「子宝の松伝説」「白蛇伝説」などがある神社で、あの「三保の松原」の天女が最初に舞い降りたのは弁天だったそう。その弁天様を祀る神社やお寺が全国に多々ある中、「日本三大弁天」とされるのが、「宝厳寺/竹生島神社」(滋賀県竹生島)、「江島神社」(神奈川県江の島)、「厳島神社」(広島県宮島)の三つ。江の島も厳島神社も行ったことがあるけど、弁天様を祀っていたとは、知らなかったなあ。

さらに、「天河大辨財天社(天河神社)」(奈良県天川村)と「金華山 黄金山神社」(宮城県)を合わせて「日本五大弁天」というそうな。かなり前にも書いたけど、「日本三大〇〇」というのは挙げるとキリがないほどあるが、そのほとんどは由来や根拠などはっきりせず、誰が言い出したのかわからないものも多い。つまり、言ったもんがち、というところもあるわけで、まあ、眉に唾つけて聞いておけばいい。が、この「日本三大弁天」に限っては、ある程度明確である、そうです。この根拠となりうる写真が以下。ネットから無断で引っ張ってきたので、他言は無用ですよ。

日本五大弁天

また話が逸れた。次に「弁天神社」ではなく、「三輪厳島神社」で検索してみると、今度はたくさん情報が出てきた。それによると、昭和3年(1928年)に「三輪神社」と「厳島神社」が合祀して「三輪厳島神社」となり、現在の拝殿は入母屋造正面千鳥破風軒唐破風付(長いな)の造りで、昭和28年(1953年)の再建。「三輪神社」は寛永年間(1624~1645)の創建と伝えられている一方、「厳島神社」は治承4年(1180年)、源義経が弁慶らとともに東海道玉川の渡しに乗船中、南西の風にあおられ大森の沖まで流されたとき、波方にみえた社に祈れば風やみ浪治まりぬ。義経が霊に感じ、船を瀬島につけ、葭をなぎ葦を分けて彼方の森を尋ぬれば、ささやかなる社の縁に白蛇顕われいたり。これ神の使ひなめならぬ。

と、途中で引用そのままの古文体になってしまったが、要するに義経の命を救った、とか、いわゆる「白蛇伝説」なども伝わる由緒正しき神社だということ。また、海面守護の神として奉られる中、海面に建てた注連竹に生じた苔が食べられることが発見され、海の苔、すなわち「海苔」と称し鎌倉将軍に献上もされたという。つまり、「海苔」の発祥ともいえるわけだ。

ただし、その「三輪厳島神社」がなぜ、別名「弁天神社」なのか?その理由や由来はわからない。調べても出てこなかった。もっと根気よく調べれば出てきたかもしれないが、根気のなさには定評ある私のことだからご勘弁。誰か調べて教えてください。ただ、現在も拝殿の横に「銭洗弁財天社」があり、それが「弁天神社」と呼ばれる所以だろうな、というのはわかる。が、それがいつからか。どんな経緯で出来たのか、はわからない。また現在もそこで「銭洗い」はできるのか? それもわからない。なにしろ神社に人がいないから、誰に聞けばいいかもわからない。わからないことだらけですいません。

そして現在の「三輪厳島神社」または「弁天神社」であるが、これがもう、見ていて寂しい、というか、侘しい、というか、悲しくさえなるほどの廃れぶり。なにしろ建物は先述の拝殿がたった1棟残っているだけ。一応、鳥居や手水、狛犬なども一通りあるが、向かって左側の本来なら境内と呼ばれたであろう広場は完全に駐車場と化し、吹きっさらしもいいところであるせいか、申し訳程度にしかみえない。向かって右側にある「銭洗弁財天社」も道路に追いやられてかたちばかりにしかみえない。拝殿の後方は、おそらく昔は鎮守の森に囲まれていたであろうが、そこに産業道路が通ってバッサリ削られ、もはや丸裸に。拝殿と産業道路の間に残されたわずかなスペースさえも遊具が置かれて子供の遊び場になっている。トホホ。

それなりに由緒も歴史もある立派な神社が、こんな惨状でいいのかねえ、と私なんか気の毒に思っているが、それにしては、意外に参拝する人は少なからずいるようで、実際、私も通りすがりに、1人静かに手を合わせている参拝客を2~3回は目撃した。これでも、と言っては失礼か、これはこれで、地元民には親しまれているらしい。

で、またまた話は戻るが、この日も産業道路に出て信号を待ちながら対面の「弁天神社」を眺めると、あれ、いつもとは様子が違うぞ。いつもは道路の反対側からでもガランと侘しい様子がみえるのだが、この日は赤やピンクの派手な出店が並び、ピーヒャラと賑やかしい。そう、お祭り、の日だったんですねえ、なんと。いや、神社だからお祭りぐらいあるだろう、と思われるかもしれないが、いつもの「弁天神社」を見ている身からすれば、こんな寂れた神社(失礼)でもお祭りをやること自体が驚きである。

そして道路を渡れば、さらに驚いたのがその出店の数。いや、しつこいようだけど、こんな寂れた神社(またまた失礼)にしては驚くほどの盛況ぶり。横の狭い路地にズラリと出店が並び、駐車場には舞台(ステージ?)まで設置されている。子供の遊び場だったわずかなスペースにも無理やり出店が詰め込まれ、山車というのかな?出囃子や太鼓など鳴らす人が乗る台車のようなものまであって、こりゃなかなか本格的だ。

その出店も、たこ焼きなどお祭りの定番ものから、串焼きや鳥皮焼き(というのもあった)といった酒のつまみ系までさまざま。金魚すくいや籤引きもあった。子供たちはうれしいだろうなあ。お祭りの出店って、高いし、味もそれなり、だとわかっていても、なぜか食べたくなるよねえ。いや、私は食べなかったけどね、出勤途中だったから。

その翌朝、つまり夜勤明けで退所してそこを通ると、まだお祭りはやっていた。もう帰って寝るだけだから、何か買って食べてもよかったのだが、まだ午前中なので準備中の出店が多かったのと、開いてた店で何か買っても食べる場所がなく、疲れているのに立ち食いもなんだかなあ、と思ったので、やめた。しかし、一応写真は撮って、今回のアイキャッチ画像と、以下に何枚か掲載する。雰囲気だけでも伝わるかな?

お祭りの風景

お祭りの風景

お祭りの風景

それにしても、こんな寂れた神社(しつこくてすいません)でこんなお祭りが行われるとは。私がその近くの介護施設に勤め出してもうかれこれ4年半(1年ブランクがあるが)になるが、それまで一度もここの神社でお祭りなんか見たことないぞ、と思ったが、考えてみれば、ただコロナで休止していただけで、コロナ以前なら毎年の見慣れた風景、なのかもしれぬ。コロナが明けて(と言っていいのかはわからないが)よかったね。

というわけで今回はこれまで。ただ、お祭りがあった、というだけの記事に、「東通商店街」や「日本五大弁天」の話など色々くっつけて、相変わらず長くなってすません。あ、1つ言い忘れたけど、こんな寂れた(はもういいか)神社で普段は人が誰もいないから、御朱印なんかないだろう、と思いきや、調べてわかったけど、1日と15日に掃除の人が来るので、その人に頼めば買い置きの御朱印をくれるそうです。欲しい、という方はお申し付けくだされば、私が貰ってきてもいいですが、ただし、うまい具合に出勤途中、は時間がないか、退勤途中に会えるかどうかはわからないので、期待はしないでね。ではまた。