追悼

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高齢者福祉施設での介護業と、東京メトロの駅構内での清掃業、この2つの仕事をバイトで掛け持ちしている、というのは当ブログで再三述べてきたので、私のことを中年(いや、もう高年かな)フリーターだと思っている人も多いだろうが、本業はあくまでライター業(文筆業ともいう)である。

とはいえ、ライターとしての仕事は年々減り続け、いまや月にせいぜい3~4本ぐらい短い原稿を書くのが関の山。稼ぎはほんの小遣い程度で、収入のほとんどをバイトでまかなっている、というのもすでに述べてきた通り。複数の仕事を持っている場合、その中で一番収入が多い仕事を本業とするなら、私の本業は介護福祉士、ということになる。

それでも、私は介護福祉士です、とは言いたくない。だって、所詮バイトだし、無資格だし。だから、細々でも仕事があるうちは、私はライターです、と言い張るつもりだ。ライターに資格があるわけでなし、ライターという仕事にプライドを持っているとかでもないけど、やっぱり、私の人生の中では一番長く続いておる(今は細々だけど)仕事だから、ね。

そんな私の数少ないライター仕事の1つに、“書評”がある。これはかつて私が某夕刊紙の契約社員だったときに担当していた仕事を、辞めた今も引き続き担当、というか、書かせてもらっているもので、毎月2冊か3冊、とある出版社から送られてくる本(文庫本が多いが、たまに単行本もある)を読み、書評を書いて某夕刊紙に掲載する。他の仕事はきれいさっぱりなくなったが、なぜかこの仕事だけは続いている。というわけだが、厳密にいえば、“書評”ではない。正しくは、“書評風の記事広告”である。

記事広告、はわかるかな? 記事だけど広告、つまり、記事のような体裁をとりながら、じつはお金をもらって掲載している広告、というやつね。新聞や雑誌では広告のページは読み飛ばされてしまうことが多いので、一見普通の記事を装いつつ、その記事の中でさりげなく商品を持ち上げ、ときにはお薦めまでしてしまうという。第三者(この場合は編集部のことです)が客観的にみてこれはいい、と褒めるものだから、読者からすれば、広告主から直接言われるよりも信憑性がある、と思ってしまう人が結構いるんだな、これが。しかし、それにお金がつけばもう客観敵な第三者ではないから、悪く言えば、読者を騙しているようなもんだ、と言われてもしょうがないよねえ。

そんな記事広告を書くのが、私の仕事であった。私がかつて所属していた某夕刊紙の広告局の制作部(名称は企画編集部)はそういう部署だった。そういう部署に長くいすぎたのが、フリーライターになって食っていけなくなった要因の1つである、と私は思っているが、それはまあ、置いておいて、“書評”じゃなくて“書評風の記事広告”の話に戻る。

“書評”であれば、面白いものは面白い、つまらないものはつまらない、とはっきり断定すべきである。評価する、とはそういうことだ。しかし私が今やっているのは、先ほど申し上げた通り、“書評”ではなく、“書評風の記事広告”だから、悪口は書けない。貶すこともできない。お金をもらっている(私じゃなくて、会社が)から、そりゃ当然だ。

要するに、評価するのではなく、ただ紹介するだけ、と言ってもいい。本の紹介をしつつ、いかに面白そうだ、と興味を持ってもらえるか、読んでみたい、と思わせるか、が腕の見せどころ。ということは、私が読んで面白い、と思った本なら問題はない。自分の感想をそのまま(いや、多かれ少なかれ誇張はするか)読む人に伝えれば良い、わけだが、困るのは、私が読んでつまらない、と思った本の場合である。

書評風だけど広告、つまりお金つきだから、面白くない、とか、つまんない、とか貶すことができないのはもちろんのこと、「この本は面白くないから、紹介しません」とも言えない。そんな権限は、当然のことながら私にはない。従って、自分に嘘をついて、本当は面白くない本を、いかにも面白そうに、嘘八百を並べ立て、褒めちぎらなければならない。そういうのって、辛いし、沽券にも関わるし、やりたくないよねえ。

しかし、幸いなことに、この仕事は結構長い間やっているが、今まで一冊たりとも、とは言いすぎか。1冊や2冊は、面白くなくて紹介するのに困った本が、無きにしも非ず、ではあったような気がするが、では、その本のタイトルや内容は?と聞かれると、覚えてない(本当ですよ)。つまり、毎回、これを紹介しろ、と送られてくる本はことごとく、ほとんどすべて、と言っていいぐらい、面白く読ませてもらっている。書評、じゃなくて紹介文、を書く以前に、一読者として楽しませてもらっている。外れはめったにない。これは、幸せなことである。

ちなみに、この仕事のクライアントは、実名を出すが、「双葉社」という。皆さんも名前ぐらいは聞いたことある出版社だと思うが、意外に(といっては失礼か)良い本、面白い本、たくさん発行しています。書店で「双葉社」の本、見かけたら手にとってみてください。

その書評、もとい、書評風(しつこいな)のコーナーで紹介してくれ、と送られてきた本の中に、『転生 越境捜査』というのがあった。笹本稜平という著者による大好評警察小説『越境捜査』シリーズの第七弾となる。笹本稜平を知らない人のために、以下、プロフィールを記しておく。

「笹本稜平(ささもと・りょうへい)1951年千葉県生まれ。立教大学社会学部卒業。出版社勤務後、フリーライターとして活躍。2001年『時の渚』で第18回サントリーミステリー大賞と読者賞を同時受賞。04年『太平洋の薔薇』で第6回大藪春彦賞を受賞。冒険・謀略小説や警察小説、山岳小説など幅広い分野で数多くの作品を発表している。近著に『指揮権発動』『山岳捜査』『希望の峰 マカルー西壁』『相克 越境捜査』『山狩』がある。

その笹本稜平氏の文庫本としての最新刊となるのが『転生 越境捜査』というわけだが、これを受け取ったとき、おお、笹本さんか、懐かしいなあ、と思った。というのは、ずいぶん昔になるが、笹本さんには実際にお会いしたことがあるからだ。といっても、知り合いということではない。一度だけインタビューをさせていただいた、というだけの間柄だ。

かつて私が所属していた某夕刊紙がまだ今ほど落ち目ではなかった時代は、本を紹介するにあたって、その本の著者にインタビューして記事にする(これももちろん記事広告だけどね)、という仕事が結構あった。本の紹介だけなら小さな囲み記事だが、著者インタビューとなると全ページ、少なくても2分の1ページぐらいはスペースがとれたから、ライターとしては気合が入ったものだった。

笹本さんもその流れで、作家・笹本稜平の新作を紹介するにあたっての著者インタビューであったが、普通はカメラマンも同行して写真も撮る。著者近影というやつである。しかし笹本さんは、インタビューはOKだが撮影はNGだと言ってきた。代わりに自分で用意した写真を出して、これを使ってくれ、とのこと。自分の写真なんてこだわらなさそうに見えて、じつは結構気にしているんだなあ、と、意外に思ったのを覚えている。

そのインタビューまでして紹介した著者のタイトルや内容は忘れてしまった(何しろすいぶん昔のことなのですいません)が、その後もコンスタントに作品を発表し続けて、ご活躍の様子であった。そんな笹本稜平氏の最新の文庫本(単行本ではないから最新作ではない)。早速読みはじめると、相変わらずの面白さ。さすがだなあ、と思いつつ、あっという間に読み終えた。続いて解説を読んで、えっ!と驚いた。

なんと、笹本さん、昨年年11月に逝去された、というではないか。公になったのは今年に入ってから、だそうだが、これは知らなかったし、ビックリだ。ということは、この『転生 越境捜査 転生』が遺作、ということになるのかな、と思ったら、どうやらシリーズはあと2作、2020年10月に刊行された第八弾『相克 越境捜査』と、「小説推理」の2020年11月号から翌21年11月号に連載された第九弾『流転 越境捜査9』(今年4月に単行本予定)というのがあるらしい。つまり、まだ“新作”は読める、ということだが、それにしても突然の逝去とは……絶句である。

1951年生まれ、ということは、享年69か70か、まだまだ若いよねえ。死因が何かはわからないが、早すぎる死を惜しんでやまない。たった一度会っただけ(それも仕事で)の人でも、お亡くなりになったと聞けば、やはり追悼の意は強くなるものだなあ、と思った。

一度だけ会っただけでお亡くなりになった人といえば、あの石原慎太郎もそうである。もっとも、こちらは、会った、というのは言い過ぎだな。実際は記者会見で何度か“実物を見たことがある”というだけ、だけど、まあ、あれだけの大物だから、実物を見た、だけでも話のネタにさせてもらおう。

その記者会見は、東京都知事時代に都庁内で行われた定例会見(テレビでもよく中継されていたやつね)だったと思うが、開始直後からいきなり、カメラのフラッシュが眩しい、とカメラマンを叱りつけるわ、中国のことを「支那、支那」と連呼するので、記者から「支那は蔑称ではないか?」と問われると、「昔から支那は支那だ!何が悪い!」と、逆ギレするわ、とにかく歯に衣着せぬ、というか、思ったままを口にする人だなあ、と思ったものだ。

まあ、「支那」が蔑称かどうかについては、論議が分かれるところ(ちなみに私も蔑称ではない方に賛成。恐らく「CHAINA(チャイナ)」の語源も支那だろうから)だが、東京都知事ぐらいの立場になれば、正しい正しくないではないよね。少しでも不快に思う人がいるなら配慮が必要だろう、と思うが、石原慎太郎はそんな配慮とか忖度とか一切なし。思ったことをそのまま口にできるのは、逆に言えば、それだけのチカラ(権力ともいう)を持っていた、ということだけど、今にして思えば、そういう人はあんまりいなかった(今なら麻生太郎がそれに近いかな)から、日本は貴重な人を亡くした、と言ってもいいんじゃないか、と思う。

その石原慎太郎の享年はたしか89。大往生だという人もいるだろうが、私のように90歳以上が当たり前の高齢者施設で働いている身からすれば、89歳はまだ若い。それに、政治家は引退しても、作家としてはまだまだ書きたいもののあっただろうに。合掌。石原慎太郎氏にも、笹本稜平氏と同じく、追悼の意を表します(私ごときがなんですが)。

そしてそして、もう1つ、驚いたのが、西村賢太という作家の急死である。ご存知ですかね?西村賢太。『苦役列車』という映画化もされた作品で芥川賞を受賞した作家で、他にも『小銭を数える』『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』(野間文芸新人賞)など、破滅型の私小説を発表。芥川賞受賞後の記者会見では、「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」と発言するなど、型破りな言動も話題となった。

その西村賢太が先日、タクシー乗車中に意識を失って病院に搬送、54歳で死去した。54歳ですよ。私とほぼ同世代だ。前述の2人と違って西村賢太には会ったことも実物を見たこともないけれど、作品はいくつか読んでいる。西村賢太は、大正時代に活動した藤澤清造という作家に心酔し、藤澤清造の没後弟子を名乗って、藤澤を偲ぶ「清造忌」を復活したり、石川県七尾市にある藤澤の菩提寺で毎年、命日の1月29日に親族らと法要を行ったり、藤澤の墓の隣に自身の生前墓まで建てている。

そこまで慕う藤澤清造の作風も文体も真似て(といったら失礼かな?)書いた西村賢太の作品は、その古めかしい文体が受けた、というのもあるが、それよりも何よりも、自分自身の暗部、というか、ダメなところ、イヤなところを、とことん抉り出して白日のもとに晒し、嫌うなら嫌え、と居直る、その凄まじいまでのダークヒーローぶりが衝撃とさえいえるほどのインパクトをもたらした。読む人は、こんな奴とは絶対に友達にはなりたくない、近づきたくもない、と思いながらも、ついつい惹かれ、目が離せなくなるという、不思議な魅力を湛えていた。そんな風に思い、注目していた作家だっただけに、急逝は残念である。

ちなみにこの西村賢太、急逝のニュースはなぜか、石原慎太郎の葬儀と合わせて報じられることが多かったように感じるが、それは石原慎太郎が西村賢太をすごく買っていたから、ということらしい。が、それは兎も角、ここ最近で笹本稜平、石原慎太郎、西村賢太、と3人の作家(石原慎太郎は政治家というよりも作家だった、と息子の良純が言ってた)が立て続けに亡くなった。ということで、私は作家ではない(この先もどうやら作家になるのは無理のようだ)が、大きく言えば同じ文筆業に携わるものとして(私は末端も末端だか)、改めて追悼の意を表したい。

同時に、蛇足ではあるが、石原慎太郎が亡くなったのは2月1日、西村賢太が亡くなったのは4日、だったと思うが、本来ならその直後に掲載(アップ)すべきこの稿を、私の怠慢で遅れに遅れて、今更のアップになってしまったことをお詫び申し上げつつ、今回はこれで〆ます。次回はもっと早く上げますんで、御免、御免。