やっと8月が終わったと思ったらもう9月も半ば。9月ということは、2024年もあと4か月で終わり。なんて信じられない現実にはひとまず目をつむり、今回はもう先月になってしまった8月の話をしたい。私事であるが、この8月は母の初盆で1週間近く帰省したり、その帰りに大阪で就職した娘に会いに行ったり、帰京すると2回目のコロナに感染したりと、なかなかに忙しい月であった。それを言い訳にしちゃいかんが、当ブログの更新もしばらく滞っていたので、ここらでひとつ、巻き返し、できればいいなあ、と、思っているけど、できなくても怒らないでね。
今年8月の話題といえば、世間的にはやっぱりパリ・オリンピック。だけど、その話は前回ブログで書いたので、ここではあえて、パリ五輪の話題に押されて、日本ではさほど関心を集めなかったニュースを取り上げたい。それはイギリスで、ロンドン市内の壁などにバンクシーが8日連続で新作を描き、注目を集めた件。作品はヤギを皮切りに、ゾウ、サル、オオカミ、ペリカン、ネコ、ピラニア、そしてサイと、すべて動物の絵だったが、制作の意図についてバンクシー本人は説明しておらず、ネット上などでは多くの解釈が飛び交っている。バンクシーが作品を発表するのはこれまでは数か月おきだったため、これほど短期間で新作を出し続けたは異例だとか。
バンクシー、カッコいいよねえ。すでに世界的に有名な芸術家でありながら、いまだに素性不明、神出鬼没、それでいて世間に与える衝撃、インパクトの大きさたるや、まさにワールドワイドのトップクラス。路上芸術家や覆面アーティストなどの呼称とともに、政治活動家という肩書もあるようだが、その影響力は世界中のどの政治家よりも芸能人よりも絶大で、あまつさえ映画まで撮っており、彼が映画監督デビューを飾ったドキュメンタリー映画は2010年サンダンス映画祭でプレミア上映され、2011年にはアカデミー賞ベスト・ドキュメンタリー部門にノミネートされている。まあ天才の一種には違いないんだろうけど、才能というよりは、その行動力というか、生き方そのものに憧れますね、私なんかは。
そんなバンクシーが描く作品は、本人がそのつもりで描いているかはわからないけど、ジャンルとしては、いわゆる「風刺画」ということになる。「風刺画」といえば、かつては新聞の1面か2面を飾り、歴史の教科書にも必ずといっていいほど登場するなど、その影響力はかなりのものであった。ペンは剣よりも強し、という言葉もある通り、絵の力で社会を皮肉り、世相をぶった切る、そんな風刺画を描ける人はある意味、尊敬の対象でもあった。
しかし時代が進み、新聞をはじめとした活版印刷が次第に映像などのデジタル技術に凌駕されつつある中、それにつれて風刺画の持つ影響力もかつての隆盛期に比べるとずいぶん落ちているなあ、と思っていたところに、街角アート。つまり街そのものがキャンパスという路上芸術。そんなとこんなであれよあれよと注目を浴び出したのがバンクシーというわけで、この目の付けどころがいいね。
いや、街の壁やシャッターなんかにアーティスト気取りで絵を描く人は昔からたくさんいた。しかしそれはどんなに芸術性があろうと、あくまでただの“落書き”である。そして今でも、ただの“落書き”は後を絶たない。ところが、同じく街の壁や路上をキャンパスとしながら、ただの落書きとは一線を画す、言い換えれば、落書きをアートへと昇華させた、その先駆者は、バンクシーの他にも何人か名は挙がるだろうが、バンクシーほどその芸術的価値を評価された人を私は知らない。
この8月の8日連続新作発表でも、ロンドン市警察が「ポリボックスが犯罪の被害に遭い、それがバンクシーの作品であると確認した」との声明を発表。器物損害事件の可能性を匂わすやいなや、バンクシーの芸術的価値を認める人々から非難が殺到し、逆に保護して観光資源とする方針を打ち出した。また作品が描かれたアンテナが窃盗に遭うなど、一連のバンクシー作品を巡る騒動は日本では想像もつなかいほど大きなものだったようで、改めてバンクシーの影響力を世間に知らしめた。
そんなバンクシーの作品を実際に、生で見ることができる貴重な機会が、森アーツセンターギャラリーで開催された『テレビ朝日開局65周年記念 MUCA(ムカ) バンクシーからカウズまで ICONS of Urban Art展』。といっても、もう3カ月ぐらい前にとっくに終わっている展示会だけど、せっかく行ってきたので、遅ればせながらここで取り上げたい。いや、あんまり時間経ち過ぎたので、お蔵入りにしようか、とも考えたんだけどね。でも、やっぱり、書きたいものは時間に関係なく、無理やりでも書いておくべきだ、と、開き直ってバンクシー。今更だけどお付き合いください。
「MUCA(ムカ)」とは、2016年、ドイツ初のアーバン・アートに特化した美術館として開館したMuseum of Urban and Contemporary Art。通称、MUCA。ミュンヘンの中心部にある変電所跡地に所在し、アーバン・アートや現代アートにおける20~21世紀の最も有名なアーティストの作品を展示している。その1200点を超えるコレクションの中から、選りすぐりのアーバン・アートの数々が来日した同展。バンクシーによる日本初上陸の大型彫刻作品や、カウスの代表作、インベーダー、JR、ヴイルズ、シェパード、フェアリー、バリー・マッギー、スウーン、オス・ジェメネス、リチャード・ハンブルなど、国際的に有名なアーティストのキャリアを決定づけた作品が一堂に会する。いや、会した。もう終わった話だからね。
などと書いておいてなんだけど、私はバンクシー以外は誰1人として知らない。パンフレットには「バンクシーからカウズまで」とあるから、カウズという人も有名なんだろうけど、私は知らなかった。まあ、私の知識なんてそんなもんだ。過去ブログにも書いたが、ここのところせっせと美術館や博物館へ行ってるわりに知識は増えてはおらず、審美眼が磨かれた感もない。行けば毎回、いいなあ、とか、面白いなあ、とか思うが、ただそれだけで、学習はしないんだな。でも、いいんです、それで。楽しけりゃなんでもOK。
というわけで同展も、目玉のバンクシーはやはり最後の登場だから、最初は知らない人の作品をずーっと観るわけだけど、これがまあ、面白い。中にはただのゴミとしか思えない作品もあったけど、それだって何かしらの意味があるんだろうし、意味がわからなくても、たとえばここで初めて知ったカウズのように、ただカッコいいなあ、と、そのセンスや感性に惹かれる、そんな作品が多かったように思う。素人ながら。
ちなみに、アーバン・アートにはグラフティ・アート、ストリート・アート、ポスター・アート、ステンシル・アート、モザイク・アートなど様々な種類があるが、総じて現代の都市空間で発達した視覚芸術を指し、一般的には、壁や建物、道路や橋などの公共の場所にアートを描くことを言う。これらのアートは、都市の景観を変え、そこで生活する人々の心へ訴えかけ、ときに政治的、社会的なメッセージを伝える。
要するにそのアーバン・アートの第一人者、代表者ともいえる存在がバンクシーというわけであるが、見たことあるものも、初めて見たものも含めて、いやあ、ほんと、カッコいい。作品が素晴らしいとか、美しいとかではなく、その作品を通じて想像できる本人の生きざまというか、感性というか、作品を創る・発表するその姿勢なども含めて、惚れ惚れしてしまう。例えばバンクシーの彫刻作品も初めて見たが、ディズニーのアリエルをこんなふうに表現する人が他にいる?
また、森アーツセンターギャラリーという会場も、私は初めてだったが、アーバン・アートの展示会にふさわしくて、よかった、と思う。なにしろ六本木ヒルズだからねえ。アーバン・アートには六本木が良く似合う。なんちゃって。観客も六本木という場所柄らしく、若くてお洒落な人が多かった。思ったよりは混んでなかったけどね。
思えば、ここのところ美術館や博物館に行きまくっている、とはいっても、そのほとんどはモネやゴッホなどの絵画、たまに仏像や絵巻、1回だけ歴史的遺跡、といった感じで、アーバン・アートはここ数年では初めて。だったけど、楽しめてよかった。意味が分からくても面白く観れた。意味が分からないといえば、「キュビズム展」という主に抽象画の展示会を思い出す。このときは、意味がわからないから、解説文を一生懸命読んで、少しでもその意味や意図を理解しようとして、大変疲れた、という記憶がある。結局わからないままがほとんどだった。それでもそれなりに楽しめたけどね。
それに比べると、アーバン・アートは、意味がわからなくても、なんとなくカッコいい、センスがある、などと思わせる部分がより多い、と、これは私の個人的な感想だけど、そう感じた。どなたか賛同してくれる方、いらっしゃいませんか?
そしてアート鑑賞後は、もう1つのお楽しみ。といっても六本木には知っている店もないし、飛び込みで入るのも私のような田舎者には敷居が高い。って、東京に住んでかれこれ30年ぐらいにはなるのに、いつまで田舎者なんだ?と言われるかもしれないが、東京に住んだからといって、田舎者が都会人に変わるか、といえば、そうでもないのは私自身が自覚していることだし、私の周囲を見回しても、東京在住の田舎者、は意外に多い。というか、じつは東京人のほとんどがそうじゃないか、と私は思っている。
でも、まあ、せっかく久しぶりの六本木ヒルズだから、ちょっとビールの1杯ぐらい飲んでいくか、と思い、六本木ヒルズ内のやたら広くてお洒落なビアバーのようなところに入った。六本木ヒルズには某夕刊紙の記者時代、しばしば記者発表会やマスコミ向けのイベントなどがここで行われていたので、毎週とは言わないが、毎月にように通った時期がある。しかし、仕事でもなければ六本木ヒルズに用はなく、六本木という街自体、某夕刊紙の記者を辞めてからは恐らく一度も行ってない。なので久しぶりにもほどある久しぶりの六本木ヒルズだったが、やっぱり、私には合わないすね。そこで飲んだどこかの国のビールも、さほど旨くはなく、これなら日本ビールの方がよっぽどうめーや、と思った。
で、六本木ヒルズは早々に退散し、向かった先は、いつもの「川セ美」。六本木から日比谷線で直通の入谷で、いつものように日本酒で乾杯し、いつものように旨い肴を堪能しましたとさ。というわけで、「川セ美」の話はもう何度か書いているので割愛し、文章の長さもここらで頃合い、いや、やっぱり、いつものごとく長過ぎた、感もなきにしもあらず、ということで今回はこれにて。前回からずいぶん間が空いたことをお詫びしつつ、次回はもう少し早くアップします、と、どうせ守れない約束を嘯きつつ、ではまた。