認知症その2

介護士と認知症者の画像

前回で認知症の話を書いたら、意外にも大反響で、もっと書いてくれ、との声を多数いただいた。というのはウソです、すいません。そんなにたくさんの人がこのブログを読んでいるわけがない。ただ、先週、このブログを掲載しているサイトの関係者が集まってミーティング(と称するただの飲み会)をやったのだが、そのうちの1人から、「これはアナタにしか書けない内容だから、この路線で書いていくといい」と、アドバイスを貰ったので、今回も引き続き認知症の話をしたい。他にネタもないしねえ。

で、例によって夜勤中にこの原稿を書いている。わけだが、今日は3階に入っている。2階では人気がないが、3階では、私はわりと利用者のお婆ちゃん達から人気がある。モテている、と言ってもいい。とは前回、いや、その前から度々吹聴しているので、しつこいと思われるかもしれないが、今回はそのモテぶりを具体的に述べていく。まあ、シャレですからね。本気でモテ自慢している痛いヤツだと思わないでね。

たとえば、勤務日の夕方、私がフロアに入って、「おはようございまーす」と、1人1人に挨拶していると、すかさず私の手を握り、「お兄ちゃん(私のことです。ここでは年齢に関係なく、男性職員はお兄ちゃん、女性職員はお姉さんと呼ばれます)、大好き」と喜ぶお婆ちゃんがいる。

オムツを替えてあげれば、「お兄ちゃんが一番いい」とまた喜び、挙げ句の果てには、「アタシの亡くなったダンナに似ている」などと言い出し(今日、つい先ほども言われた。なんでも体格が似ているらしい)、私が帰るときには、「もう帰るの?」などとじつに悲しそうな顔して、やっぱり私の手を握って離さない。このお婆ちゃんの御年、じつに93歳。だけどボケもせず、意識もクリアでしっかりしており、氷川きよしの大ファンである。

そもそもは、私が氷川きよしと同じ福岡県出身であることを知ってからのお気に入りで、要らないというのに、無理やり氷川きよしのCDを押し付けられたことなんかもあった。でも、そういえば最近は、氷川きよしが活動休止したせいか、あんまり、きよし、きよし、と言わなくなったなあ。

それはともかく、このお婆ちゃんに限っていえば、まだボケてはないから、私は好かれている、というのもあながちウソではない、だろう。いや、あんまり無邪気に、周囲にどう思われようと気にせず、私のことを「大好き」と公言してはばからないところをみると、もしかしたら、ちょっとボケ入ってるかも? との疑いもなきにしもあらず、かな。

そしてもう1人、私を見ると、ニコニコと、じつに嬉しそうに笑うお婆ちゃんがいる。が、この人は完全な認知症である。認知症だけど普通に挨拶程度の会話はできるし、喜怒哀楽の感情もちゃんとあるから、一見、認知症にはみえない。ところが実際は、食事も排泄も、更衣も整容(歯磨きとかね)も、自分ではなーんもできない。そりぁもう、凄まじい、というか、呆れるほどの認知症である。こんなボケ方もあるんだなあ、と、私はこのお婆ちゃんを見るたびに、そう思う。

そのボケぶりを具体的に挙げるとキリがないが、はっきりいって、想像を超えますぜ。とにかく、ヒトが普通に、無意識にやっている日常生活上の動作ができないのはもちろんのこと、いくら認知症でもこれぐらいはできるだろう、ということさえ見事にできない。

たとえば、目の前にある手すりを指差して、「これに掴まって」と言っても、「これって、どれ?」と、わからない。「これにこうして掴まるんですよ」と、私が手すりに掴まってみせても、わからない。ではどうするか。そのお婆ちゃんの手を掴んで、手すりまで持っていて、掴まらせてあげる。そこまでしないと、手すり一つ掴めない。面倒でしょう?

あるいは、私がその婆ちゃんの目の前で体操をしてみせて、同じ動きをしてください、と言っても、できないどころか、ただ、手を上に挙げるだけ(つまり万歳ですね)、といった簡単といえばあまりに簡単な動作、それさえもできない。信じられる? もっといえば、お箸の使い方を忘れた、のは仕方がないとしても、スプーンも使えない、とは、たとえ認知症とはいえ、酷すぎない?

それほど重度の認知症だから、人の顔なんかもちろん覚えられず、たまに面会の人が来ても(今はめったに来ないが)、誰が誰だかわからない。親兄弟どころか夫や子供の顔さえ忘れるのが認知症だ。ところが、不思議にも私の顔は覚えてくれたようで、私を見ると、パッ、と花が咲いたように笑う。その豹変ぶりには他の職員や看護師さんも驚いている。こんな人の顔の区別もできないような重度の認知症患者が、この人が好き、と意思表示すること自体、稀なケースらしい。いや、ウソみたいな話だけど、ホントですよ。

介護士の手洗いの画像

ただし、毎回毎回私を見るたびに、笑う、というわけではない。なにしろ重度の認知症で、しかも機嫌の良い時と悪い時の差が激しいから、機嫌が悪い時は私でも簡単に無視される。話しかけても返事もしない。とくに最近は、私がそのお婆ちゃんの手を無理やり洗ったりするもんだから、機嫌が悪くなって無視されることが多くなってきた。

ん?なぜ手を洗うと不機嫌になるのか? と思いますよね。これについては、また話が逸れて恐縮だが、少々説明したい。その認知症のお婆ちゃん、なんでかわからないけど、寝ているときにオムツに手を突っ込むクセがある。そうすると当然、手に尿や便がつく。朝起きると、手が便まみれ、なんてこともザラにある。ひどいときには爪の間に便が詰まって、いやはや、汚い、を通り越して、おぞましくさえありますぜ。そんな便まみれの手をこっちに向けて、「起こして~」なんて言われてごらんなさいな。

そういうときは、まず、ウエットティッシュで手を拭く。しかし、拭いても拭いてもなかなか便は落ない。けど、仕方がないので、その便まみれの手を触らないように手首を掴んで、よいしょ、と、ベッドから起こし(体が固いので起こすだけでも相当力が要る)、えいやっ、と、抱き抱えて、車椅子に移す(自力では立てないから)。

抱き抱えたときにどうしても便まみれの手で触られるが、それはしょうがない。そのためのエプロンだ、と思って我慢して、車椅子に乗せて、フロア(食堂を兼ねる)にある洗面所まで連れてゆき、手を洗う。というか、お婆ちゃんの手を洗ってあげる。便まみれだから、もちろんハンドソープも使って、よーく洗う。そりゃそうだよね。便まみれの手をそのままというわけにはいかないから。

ところが、だ。そんな便まみれの手を、ですよ。自分で洗いなさい、と言っても洗えない、洗おうともしない、から、しょうがなく私が洗ってあげるわけだが、これが一苦労。この人たち(同じような人がもう1人います)は、自分の手を伸ばして蛇口の下に差し出すことさえできない(ほんとですよ)から、私がお婆ちゃんの手(いや、手首か)をむんずと掴んで、力ずくで蛇口の下まで引っ張って、水道の水を手にかける、と、あろうことか、「冷たい!」だって。いやはや、便まみれのきったない手を、水が冷たいから、洗うのがイヤだというんだから、ったく、腹が立つやら情けないやら。この気持ち、わかっていただけます?

いや、施設側も悪いんだけどね。いまどき温水が出ない洗面所なんてないだろう、と思われるかもしれないが、ここの施設の洗面所はなぜか、温水がチョロチョロとしか出ない。朝の忙しい時間にチョロチョロの温水なんて使えないから、仕方なく冷水で洗うのだが、冷水といっても、普通の水道水ですぜ。真冬の寒い時期ならともかく、今ぐらいの時期なら温水ではない普通の水道水でもそんなに冷たくはないでしょうよ。しかし、それを「冷たい」と言って嫌がる。これが認知症の現実である。

話を戻すが、要するに、好かれている、といっても、所詮はその程度、ということだ。手を無理やり洗ったぐらいで嫌われる、というか、不機嫌になる、という。もう一ついえば、食事のときも、自分では食べようとしないその婆さん(お箸もスプーンも使えないからね)に対し、他の職員は当たり前のようにショッカイ(食事の介助)をしているが、私は結構しつこく、「自分で食べなさい」とせっつく。なるべく自分で食べてほしいから。

介護食事の画像

だけどまあ、根比べの末に、結局は私もショッカイするんだけど、最近は、どうやらこの人(私のことです)は、他の職員よりも「自分で食べろ」とうるさい、ということを認知症なりに覚えてきたようで、朝起きたときは「よかった、よかった」(これは私でよかった、という意味だと信じたい)と機嫌良かったのに、食事のときになると、途端に不機嫌になることが増えた。もう一度言うが、好かれている、といっても、所詮はこの程度ですよ。

こんなふうだから、認知症の人に好かれても、自慢にもならない、と私は言いたい。けど、もしかしたら、これを読んでいる人の中には、程度はどうあれ、一度はそんなに認知症の人に好かれた、その秘訣が知りたい、と思われる方もいらっしゃるかもしれない。

はい、あるにはあるんです、その秘訣が。いや、予め言っときますけど、ほんと、大したことじゃないですよ。誰でもできるようなちょっとしたこと、だけど、ここの施設ではそれまでそんなことする職員がいなくて、私がそれをやったら、その認知症の婆ちゃんのハートを見事にゲット(ふざけた言い方で失礼)できた秘訣が、あるんだけど、その話は次回で。乞うご期待!……もとい、あんまり期待しないで、次回を待て!