スペインのバルセロナで、サグラダ・ファミリアに「聖母マリアの塔」が完成、高さ138mの塔の頂上に星が点灯し、歓声が上がった、というニュース。昨日だか一昨日だか、たまたまテレビを点けたら飛び込んできて、ええっ!と驚いた。あのサグラダ・ファミリアがついに完成!? だって、サグラダ・ファミリアはたしか、アントニオ・ガウディの没後100年に当たる2026年に完成予定、だったのがコロナで延びて、いつ完成するかわからない、んじゃなかったっけ?
もちろん、サグラダ・ファミリアが完成というのは、私の早とちりであった。完成したのはあくまで大聖堂の一部の「聖母マリアの塔」で、サグラダ・ファミリア大聖堂全体はまだ完成していない。では、大聖堂全体の完成はいつになるか、というと、やはりそれはわからない。どころか、永遠に完成しない、という人さえいる、らしい。そうとわかって、なぜかホッとしたような、ガッカリしたような……ちなみに「聖母マリアの塔」は9本目の塔で、完成までに全部で18の塔がつくられる、そうですよ。まだまだ完成にはほど遠い、ということですな。
このサグラダ・ファミリアに「聖母マリアの塔」が完成、というニュースは、日本の報道番組ではとくに目玉というわけでもなく、ここんとこ大騒ぎになっている10万円給付は現金かクーポンか(どっちでもええわ!)、とか、高齢者が運転する車が事故を起こした(最近多いよねえ)、とか、介護施設で看護師が点滴に空気注入して利用者を殺した(怖い怖い)、とか、その他もろもろの情報に紛れて放送され、あまり目立つ扱いでもなかったので、見逃した人も多いと思う。そんな小さなニュースをなぜ、ここでわざわざ取り上げたのか? むしろ介護施設での看護婦による殺人事件の方を取り上げるべきではないか、と思った人もいるだろう。
私も一応、バイトではあるにせよ介護施設で働いている身なので、取り上げるならこちらかな、と、一瞬考えた。が、よくよく考えると、この事件について私が言えることは、何もないかな。というのは、同じ介護施設で働いてはいても、看護師と介護士では役割がはっきり、くっきりと区別されているので、事件の当事者が介護士ならまだしも、看護師となると、なぜこんな事件を起こしたのか、その動機や心情については、よくわからない、としか言えない。というか、何を言おうと憶測の域を出ない。
この事件は、どうやら看護師が点滴に空気注入した、ということのようだが、点滴などの医療行為ができるのは医者か看護師の有資格者のみで、介護士はできない。というより、やっていけない。ましてや、私は介護士の資格さえ持っていない無資格者。おまけに私が働いている施設は看護師が常駐していない。そんな私が、看護師という有資格者について、とやかく言うことはないし、言うべきでもない、と思う。
というわけで、介護施設での看護師による殺人事件は、かなり衝撃的ではあるものの、ここではスルー。その代わりに取り上げたニュースが、なぜサグラダ・ファミリアなのか? その理由は、マチュピチュやウユニ湖、アンコール・ワットなどなど(他にもたくさんあって書ききれない)と並び、私が死ぬまでに一度は見てみたい、と思っている世界遺産の1つである、ということもあるのだが、じつはその他にもう1つ、大きな理由がある。
それは何かというと、サグラダ・ファミリアの建設に携わっている彫刻家の中に、恐らくたった1人(多分、です。裏はとってません)日本人がいるのだが、その人がなんと、私の高校の先輩、なんですねえ、これがまた。
そうです。以前このブログで紹介した、アフガニスタンで医療や用水路建設など人民のために尽くしながら凶弾に倒れた故・中村哲医師と、ラグビー元日本代表ながら医師を志して順天堂大医学部を受験し、合格した福岡堅樹くんに続いて、またまた私の故郷の高校つながり、というわけです。
なんだ、またかよ、と思われた方、いらっしゃるでしょう。はい、またです。しつこいようで申し訳ない。高校つながりのネタ、使いすぎかもしれない。けど、彼、外尾悦郎さんというんですが、彼もまた中村哲医師や福岡堅樹と並ぶ我が母校の誇りであり、サグラダ・ファミリアの話題が出たからには彼のことに触れずにはいられない、この私の勝手といえば勝手な心情をご理解のうえご容赦いただければ幸いです。
もっとも、正直申し上げると、サグラダ・ファミリア建設に携わる日本人が我が母校の先輩である、ということを知ったのはずいぶん昔であることもあって、先日のニュースを見たとき、失礼ながら、その名をうっかり失念していた。母校の誇りと言いながら、失礼千万な話だよねえ。申し訳ございません。で、この原稿を書くにあたって泥縄で調べてみると(例によってネットで検索しただけだけど)、驚くべき事実が判明した。
なんと、外尾悦郎さん、いつの間にか、サグラダ・ファミリアの主任彫刻家になっているじゃないですか。いや、その主任彫刻家というのがどれだけ偉いのか、詳しいことは知りませんよ。知らないけど、サグラダ・ファミリアに携わる大勢の中で、少なくとも彫刻に関しては中心人物である、というのは間違いないだろうから、これはすごいことですよ。だって、世界的に超有名な、あのサグラダ・ファミリアですぜ。ただその建設に携わるだけでもすごいことなのに、あろうことか、主任彫刻家、なんて、もはや快挙である、といっても過言ではない、と思うのは私だけではないはずだ。逆に言えば、サグラダ・ファミリアは、よくまあ日本人を主任にしたなあ、とも思う。実力があれば人種など関係ない、ということか。
なんでも、外尾さんが地元福岡からバルセロナへ移ったのは、1978年のことだとか。以来40余年にわたり、約200名いるとされる建築家や彫刻家の中でも最も長期間勤め続け(1年ごとの契約だそう。つまり40年以上契約更新を続けている、ということ)、ガウディの意志を一番に受け継ぐ彫刻家として自他共に認められる存在となった外尾さん。ガウディは図面を残していないそうだから、さぞかし苦労して勉強したんだろうなあ。「ガウディの後を追うのではなく、ガウディが見ていた未来を見ることが大事」だと、外尾さんは言う。そういう境地に至るまでにどれほどの努力を要したのか、想像もつかない。
そして、サグラダ・ファミリアを語るうえで欠かせない人の1人が日本人である、という事実は、日本人としても誇り、だろう。ましてや、その人が私の母校の先輩であられるとは! これは決して自慢ではないよ。先輩や後輩の自慢は、虎の威を借る狐、もしくは、他人の褌で相撲を取る、ようでさもしいよなあ、と以前のブログで書いた。しかし、こと外尾さんに関しては、自慢と受け取られても否定はしない。むしろ自慢と思われてもいいから、ことあるごとに吹聴して回りたい。さもしいやつと思われようが構わない。ただ、そう言うからには、できれば一度はお会いしたい、けどね。そんな機会は、もうないだろうなあ。
というわけで、今回はここまで。オチがないまま終了ですいません。オチがないのはわかっていたから、ほんとはもっとコンパクトにまとめて、別の話、たとえばつい昨日に見学させてもらった障害者施設の話なんかを加えようか、とも思っていたけど、たまには短めで終わるものいいかな(いつもダラダラと長いからね)、と思い直して、終了とします。その障害者施設の話はまた次回以降のお楽しみに。楽しみというほどたいそうなもんでもないけどね。では、また。