ワールドカップのクロアチア戦、惜しかったですね。よく頑張りましたけど、新しい景色は見れなくて残念でした。え?ワールドカップの話はもう古い? まあまあ、日本は負けても大会自体はまだ続いていることだし(この原稿を書いてるときにアルゼンチンが決勝進出!のニュースが流れていた)、テレビでは今でも日本代表選手たちが何度も登場してはなんだかんだ喋っているので、話題としてはまだまだ遅きに失したわけではない、と言い訳しつつ、今更ですがワールドカップの話をちょっとだけ。
新しい景色は見れなかったけど、ドイツとスペインに勝ったことで、予想以上に盛り上がった今回のワールドカップ。私も結構楽しませてもらったかな。さすがに渋谷で騒ぐ若者たちのような歓喜や馬鹿騒ぎはないけど、ひねくれ者の私にしては珍しく、日本が勝てば素直に嬉しかった。選手たちにはよくやった、と祝福したい気にもなった。だからといってとくに何もしないけど。
なのでこのブログでも、ワールドカップについて書こうと思えばいくらでも書けただろうけど、相変わらずの怠け癖でちょっとサボっていたらあっという間に日が過ぎて、言いたいことは色々あるけど、ここでは1つだけ、にしときます。
1つだけ言うとしたら、やっぱり、最後のPK戦だよねえ、クロアチア戦の。PKって、決めて当たり前だと思っていたら、日本はなんと3人も外して驚いた。こんなに外すもんか、と思ったし、これが大舞台での経験の差、だとしたら、日本のベスト8はまだまだ先だろうな、という気もした。
後でならなんとでも言える、と突っ込まれるのは承知で言いますけど、私はあのとき、なんで最初に堂安に蹴らせなかったのか、と思いましたね。PKで蹴る選手や順番をどうやって決めるのか知らないけど、あそこは堂安だろう、と。
なぜかというと、顔ですよ、顔。ほら、堂安選手って、見るからに頭のわる、もとい、いかにも生意気そうな、きかん気の強そうな顔してるじゃない? 好きか嫌いかでいえば、どちらかというと嫌いな顔だけど、もし娘が彼氏として連れてきたら絶対ダメ!と言いたくなる顔だけど、一方で、こういう顔のヤツが大舞台に強いんだよなあ、と、かねてより思っていた。
いや、堂安選手のサッカーの実力がどれほどのもんかは知らないですよ。私はサッカーに関しては素人なので。だけど、素人だから顔で判断する傾向のある私からみれば、代表選手の中でもっともやってくれそうな顔してるのは、堂安選手だと思っていて、実際、ドイツ戦でもスペイン戦でもゴールを決めて、そらみろ、やっぱり、私の思った通りだ、と、密かにほくそ笑んでいた。はい、後でならなんとでも言えますからね。
だからあのクロアチア戦のPKでも、最初に堂安に蹴らせていたら、結果は違っていた、と思うんだけどなあ。少なくとも南野じゃなかった。だって、南野は大会通じて1ゴールも決めてないでしょ。なんでそんなヤツに蹴らせた? 堂安じゃなければ浅野でもよかったかもしれない。とにかく、人選を間違えた。惜しかった。はい、後でならなんとでも言えますからね。
というわけで、他にも色々言いたいことはある(スペイン戦のVAR判定とか)けど、1つだけ、と言ったからにはワールドカップの話はこれでおしまい。ここからは前回の続きでコスタリカの話を、するつもりでいたのだが、うーん、前言撤回で申し訳ないけど、コスタリカの話はやめときます。というのは、ずいぶん昔のことだから、記憶が曖昧なんすよねえ。
いや、まったく覚えていない、わけではないよ。コスタリカは自然が美しい国で、世界中からネイチャーツアーの客が集まってくるという。その雄大な自然の美しさは今でも脳裏に焼き付いている。当時はまだ日本では珍しかった風力発電の風車がたくさん並んでいた光景も。山頂からまるで血のように赤い溶岩を垂れ流している山も見たし、温泉が流れている川(いや、川が温泉になっている?)で遊んだことも覚えている。だけど、それらはすべて断片的な記憶で、ストーリーとしてつながっていないんだよねえ。
思うに、これはそのときの移動が、すべてクルマだったから、ではないかな。ほら、クルマだと自分がどこにいるのかわからなくなるときがあるじゃん? たとえば、そのとき泊まったのは、結構山奥(だったと思うが)のコテージというかロッジというか、ネイチャーツアーの拠点として欧米の人から人気を集めているらしい施設だったが、そこの庭園が広くて手入れも行き届いてキレイで、プールやサウナなんかもあったことは覚えているが、それがコスタリカのどのへんにあったのか、まったくわかっていない。道中、首都のホセにも少しだけ寄ったはずだが、そことの位置関係さえわからない。
これが写真でも残っていれば、見ているうちに思い出すことも多いだろうが、あいにく、当時はまだデジカメが普及しておらず、フィルムカメラの時代だった(どんだけ昔だ)。フィルムカメラでも写真は道中かなり撮ったはずだが、果たして、それを帰国後にちゃんと現像したのか、現像したとしたらそれをどこにしまったのか、覚えていない。
撮るだけ撮って、その後の処理や整理をサボるのは私の悪いクセである。その悪いクセのおかげで、こういうときに困るよなあ。デジカメだったら、パソコンを漁れば出てくるだろうに。いや、古いパソコンに眠っているのはもうダメか。新しいパソコンに代えたときにデータ移行などしてないから。いやはや、ズボラで面倒臭がりが後になって我が身に跳ね返ってきているな。自業自得とはこのことか。
というわけで、今回はコスタリタの話ではなく、コロナの話の続きをしたい。途中で止まっていたからね。さて、どこまで話したかな?と思って過去のブログを見直すと、清掃の夜勤までだった。出勤中の電車の中でまた気分が悪くなったが、そのときは大汗かいただけでなんとか収まり、現場に着いて、仕事開始の時間まで休ませてもらった、というところまでである。
仕事開始の時間になると、倉庫から出て、その日やるべき区分へ向かう。皆の後からゆっくり歩いて。現場に着くと、一応、作業には加わるものの、やはり体がだるくて辛いので、少しやっては休み、また少しやっては休み、しまいには床に寝転がって休んでいた。こういうときは、チームでやる仕事でよかった。なぜなら、休んでも他の人がカバーしてくれるから。介護施設での夜勤なら1人だから、こういうわけにはいかない。
そんなふうにしてその日の作業は終了。後片づけも皆にやってもらって(迷惑かけてすいません)、また始発の時間まで休ませてもらい、帰宅した。翌日も同じく清掃の夜勤(毎週木曜と金曜が清掃の夜勤)が入っていたがが、さすがに翌日は欠勤させてもらうことにした。人も足りていたので。
その帰宅途中、自宅最寄りの駅で降りて、いつものように駅前の24時間営業のスーパーに寄ろうとした。が、ふと、その隣にある吉野家のカレーのポスターに目が留まった。そういえば丸2日ほど何も食べてない。そういうときはちゃんとした温かいご飯を食べたいな、と思い、めったに入らない吉野家に珍しく入り、カレーを食べた。カレーがちゃんとしたご飯といえるかどうかは意見の分かれるところだが、少なくとも温かい飯が食いたかったので。
ところが、そのカレー(たしか牛カレーだったと思うが)が、なんかしらんがやけに不味い。あんまり不味かったので今回のアイキャッチ画像はその吉野家のカレーにするが、それぐらい不味かった。まあ、早朝という時間も時間だったから、煮詰まり過ぎてジャリジャリしていた、というのもあっただろうが、それにしても、味がまったくしないのは不自然である。吉野家をかばうわけではないが、こんな不味いカレーを吉野家が出すはずがない。
ということは、私の舌がおかしいのだろう。つまり、この時点で、すでに、はっきりと、コロナに感染していた。と、気が付くべきであった。今にして思えば。しかし、うかつにも私の頭には、この期に及んでもなお、コロナかもしれない、などという考えはさらさらなかった。ただ、カレーの不味さに首をひねりながらも完食(残すともったいないからね。貧乏性は辛いよ)して、帰宅するやいなや速攻で寝た。
寝た、といっても、すぐ眠れたのかどうかは、覚えていない。覚えていないが、時間はたっぷりあった(翌日の清掃の夜勤を休んだので、丸々1日半は休めた)ので、翌々日の介護施設への出勤前には、いくぶん体力は回復していた、ように思う。それでも、正直、もう1日は休みたかった。
休みたかったけど、そういうわけにもいかず、しぶしぶ出勤した。いつも思うが、所詮アルバイトなんだから、休みたいときは休めばいい、はずなんだけど、シフト制だとそう簡単には休めないよねえ。だって、誰かが休めば(シフトに穴を空ければ)、必ず他の誰かがその穴埋めをしなきゃいけないわけで、迷惑かけることになるからね。
そうした責任感が良いのか悪いのかわからないが、この日もその責任感に押されて出勤して、いつものごとく大汗かいて働いた。働くうちにやっぱり具合は悪くなる。手は痺れるし、なぜか顔まで火照ってきた。それでも、認知症の方々は容赦してくれない、のは前にも言った通り。ほんとに死にそうになりながら、ハアハア、ゼイゼイ言いながら、なんとか仕事をこなしたその翌朝。ここでやっと、というか、ついに、というべきか、とうとうコロナに感染していたことが判明するわけであるが、その話は次回で。いや~、コロナの話で引っ張りますなあ、と、他人事のような言いぐさで締めて今回はここまで。コスタリカの話はまたいずれ、機会があればやるし、なければやらない、思案橋。