例によって介護施設での夜勤中にこの原稿を書いている。と、過去何度か使ったお馴染みのフレーズで書き出したのは、正月気分もすっかり抜けて(当たり前か)、通常モードに戻ったことを表す意味がある。というのはどうでもいいとして、今回は途中で中断(中がダブるな)していた、コロナに罹った話(私がね)の続きを書きます。
それにしても、あれからずいぶん時間経っちゃったなあ、と思って手帳を繰ってみたら、なんと昨年の10月だった。そうか。それから1カ月ぐらいブログの更新できなかったんだな。その後再開して3回ほど書いたところで、他に書くべきネタがあったのでそっちを優先していたら、そのまま年を越しちゃった、という次第である。まあ、しょうがなかった、と思ってください。
で、どこまで書いたか自分でも覚えてないので、手帳を繰りながらざっと振り返って時系列的に述べていくと、具合が悪くなったのが10月18日の夜勤中。明けて19日、勤務時間は本来10時までのところ、8時ぐらいに早退させてもらったんだった。
その日はさすがに夜勤明けの一杯は自粛して(当たり前か)、真っ直ぐ帰宅。しかしすぐには眠れない。あいにくライター仕事(飲食店の取材)が15時に入っていた。が、そのときは電話取材だったので助かった。電話で話すだけならなんとかこなせて、無事終了。その後、爆睡。翌20日は清掃の夜勤だったが、出勤時間は23時と遅いので、ギリギリまで寝て、出勤した。
つまり、19日の夕方から20日の夜まで丸々一昼夜寝ていたわけで、そんだけ寝りゃあ大丈夫だろう、と思ったら、出勤途中での電車の中でまた具合悪くなった。額からポタポタ滴る汗で足元に水溜まりができ、混んでいる車内で私の周りだけぽっかり人の輪ができた。
ところが、幸いにして、その日の清掃の現場は珍しく人が足りていた。なので帰らせてもらってもよかったが、せっかく出勤したんだし、電車もない(始発まで待たなければいけない)ので、休み休みながらもその日は最後まで働き、いつものように始発で帰宅。その翌日も同じく清掃の夜勤だったが、そこはさすがに休ませてもらって、また丸一昼夜、爆睡した。普段は不眠症気味で夜勤明けはなかなか寝付けないが、このときばかりは横になったらすぐさま眠りに落ちた、ように思う。
ここまで振り返ってのポイントは、まだ、自分がコロナに罹っているとは、夢にも思っていなかった、ことだ。後で思えば、清掃夜勤からの帰宅途中に食べた吉野家の「牛カレー」がやけに不味かった。なのでこの時点ですでにコロナに感染していたのは間違いないだろう。それでも、働いているときはかつてないほど辛いし苦しいが、寝れば結構回復したので、まあ、風邪だろうな、ぐらいにしか思わなかった。
そして22日、また介護施設へ出勤。清掃夜勤を1回休んでまでたっぷり寝たので、今度こそ大丈夫だろう、と思ったら、やっぱり辛かった。その前に比べたらいくぶんマシではあるものの、ちょっと動けばゼイゼイハアハア、力仕事をすればオムツにポタポタ滴るほど汗をかく。いや、汗をかくのはいつものことだけど、この日の汗は尋常ではなかった。量もそうだが、その質が、なんというか、冷や汗のような、気持ちの悪い汗であった。
ちなみに、介護施設では出勤時に熱を測らなければならないが、この日も熱はなし。なのでここに至ってもなお、自分がコロナだとは思っていない。ただし、そこの体温計は、液晶におでこをかざせば音声で体温を知らせてくれるタイプのやつだが、これがどうも信用できない。外気に影響されやすく、すぐ「異常です」と冷たい声で言い放つ。従って、もしかしたら、ちゃんと測っていたら、熱はあった、かもしれないが、今となっては真相は知る由もない。
明けて23日の日曜日。この日は以前「早退していいよ」と言ってくれた優しいリーダーはいなかったので、仕方なく、10時までなんとか働いた。そして退勤間近、早番で出勤してきた職員、この人は私と同年配か少し上か、年齢聞いたことないのでわからないけど、まあ、オジサンです。このオジサンに申し送りをしつつ、じつは私も具合悪くてねえ、みたいなことをチラッと言ったら、なんだか知らないけど急に張り切りだして、「コロナじゃないの?検査キットあるよ」と言い出し、わざわざどっかから検査キットを持ってきた。
ああ、そうか、その可能性もあるんだなあ、と、そこでやっと気づいた私。それまで全然そこに考えが及ばなかったのが迂闊といえば迂闊ではあるが、逆に、ここまでくれば、今さらコロナ感染が判明したら困るなあ、とも思った。が、そのオジサンは、検査キットを持ってきたばかりでなく、ご丁寧にも自分でそれを開封して、鼻の穴に突っ込む綿棒みたいなやつを私に向かって突き出し、「さあ、さあ」と急かすではないか。
いや、まったく、どういうつもりか知らんが、時々いるよね、こういう人。自分の仕事はできない(かどうかはわからないけど)くせに、どうでもいいことになるとなぜか張り切る人。まさしく、文字通りの“余計なお世話”である。
でも、まあ、余計なお世話だと思うのは私だけで、そのオジサンはそうするのが正しい、と思ってやっているんだろう。たしかに、施設にとっては、職員がコロナの陰性か陽性かは重大問題なので、拒否するわけにもいかず、しぶしぶその綿棒みたいなやつを鼻の穴に突っ込んだ。
そしたらそのオジサン、すかさず綿棒を私の手から奪うようにして検査キットに差し込み、15分待って、と言った。線が2本出たら陽性だが、すぐには出ないらしい。すぐには出なかったので、「ほーら、コロナじゃないですよ」と、私が期待も込めて高らかに宣言すると、オジサンは、「いや、まだわからない。もう少し待って」と、動じない。
そして15分後、ほら、やっぱり、と言いつつ見せられたキットには、くっきり2本の線が。これは陽性で間違いない、と、なぜか嬉しそうなオジサンと、いやでも認めざるを得ない私。参ったなあ、面倒なことになったなあ、と頭を抱える私の横で、オジサンは、「大変だ、オレも濃厚接触者になっちゃったよ」と騒ぎ出し、方々へ(施設長などへ)電話をかけはじめた。
その後の記憶はない。が、もう退勤時間だったので、そのまま何をするでもなく、いつものように退勤したのだろう。ただ、帰り際にそのオジサンが、病院に行け、と言ったことは覚えている。そうか、病院か。しかし病院に行っても診てくれないだろうな、とは思った。折しも、第七波の真っ最中であった。病院によっては発熱外来なるものを設けて受け入れているところもあったが、それもどうやらパンク状態らしく、熱があっても病院に行っちゃダメよ、と、テレビでアナウンサーなどが盛んに言ってたのは覚えていた。
とはいえ、コロナ陽性と判明した以上、なんもせんわけにもいかんだろう、とも考えた。後で、なんで病院へ行かなかった?などと責められる可能性もあるかもしれない。ここは一応、とりあえず病院へ行ってみるか。診てくれなかったら、それをそのまま施設に報告すれば、文句は言われないだろう。だって、不可抗力だからね。しょうがないじゃん。
ということで、帰りに最寄りの病院へ。いや、最寄りは病院ではなく、病院の出張所みたいなところ。健康診断もそこであったので知っていた、その出張所へ行ってみると、閉まっていた。それはまあ、日曜日だったから仕方がないにしても、「発熱(微熱)・咳・たん・ののど・倦怠感がある方は院内には入らないで外から電話をしてください」(アイキャッチ画像参照)という張り紙には愕然としましたねえ。うーん、そこまで拒絶するかあ、と。
しかし、まあ、予想通りといえば予想通りである。しょうがないか、ときびすを返しかけたそのとき、ふと目が止まったのが、救急病院への案内図。その出張所の本体である救急病院が近くにあり、急用の方はこちらへ、とある。そうか、救急病院なら日曜でも開いてるだろうし、診てくれないまでも話ぐらいは聞いてくれるかもしれない。
そう思って、すぐさまその救急病院へ行った。案の定開いていた。が、そこでも同様の張り紙があり、それを無視して入ると、受付の人に呼び止められた。そこで、熱はないけどコロナで陽性が出たので来た、と言うと、やっぱり、入ってはダメ、電話してくれ、と言われた。冷たいもんだ。
しょうがないので、外へ出て電話した。長々と待たせた挙句出てきた男の人は、看護師に代わるけど話中。このまま待つか、一旦切ってかけ直すか、と聞いてきた。時間かかるのはイヤなのでこのまま待つ、と答えて待っていたけど、結局繋がらず、10分後にかけ直してくれ、だって。しょうがないので、座るところもない吹きざらしの病院の前で10分待って、かけ直すとまた待たされ、ようやく出てきた看護師は、若い姉ちゃんの声だったが、開口一番、「どうしてほしいですか?」だと。
いやいや、どうしたらいいかを聞きに来た患者に向かって、どうしてほしいか?はないだろう。少なくとも、コロナの陽性が出たときの対処法、ぐらいは説明してくれよ、と思ったが、どうやら病院側にしてみたら、そんなの自分で調べなさい、ということらしい。それほど病院が切羽詰まっている、のはわかるが、それにしても、言い方ってもんがあるでしょうよ。
などと、憤慨するよりも呆れ果て、怒る気にもなれず、ただ、えーっと、検査キットで陽性だったんでとりあえず来てみたんだけど……というようなことをボソボソ告げると、そのお姉ちゃん、そこで初めて、では、陽性者が登録するホームページがありますからまずはそこに登録して――と、まともに説明しだした。
けど、最初からそう説明してくれれば聞く耳あったかもしれないが、最初の「どうしてほしいですか?」の一言でこりゃダメだ、と、もはや意気消沈の私、はいはいはい、と聞き流して、診てくれないなら結構です、と、ほとんどガチャ切り。さっさとその場を離れ、帰途に就いた。
じつはその日もライター仕事で飲食店の電話取材があって、あまり時間がない、という事情もあった。まともに聞かなかったが、そのお姉ちゃん、薬がほしいならあげますけど……と言っていたような気もするが、時間がかかりそうだったし、ほしいならあげる、という言い方も気に入らなかったので辞退した。後で、薬は貰っといた方がよかったかな、とちょっぴり後悔したが、後の祭りである。
帰りはもちろん、普段通り、バスと電車を使った。コロナ陽性にも関わらず。だって、しょうがないじゃんねえ。そして思った。私のようにコロナ陽性でも交通機関を使っている人はたくさんいるんだろうなあ。なにしろ病院へ行っても何もしてくれないどころか、あんな冷たい態度であしらわれたら、どうでもいいや、と、投げやりにもなりますぜ。
そして帰宅、電話取材を終えた後、爆睡。その後の話は次回へと続く。コロナ陽性者が登録しなければならないホームページは、結局、登録しなかった、どころか、見向きさえしていない、のは言うまでもない。