あっ、という間にもう9月。早いもんですなあ。と、書き出した原稿を、書きかけのまま置いといてグダグダしてたら、あああっ、という間に9月も上旬は過ぎてもう中旬である。しょうがないので出だしを少し書き直したうえで続きを書いている次第だが、それにしても、時の流れの速さには呆然とするばかり。この調子で10月も11月もあれよあれよと過ぎ去って、気がついたら年の瀬で、1年経つのもあっ、という間だなあ、なんて言ってるんだろうなあ。今回はしょっぱなから、なあ(感嘆符)が多くてすいません。
時の流れがいつも以上に早く感じるのは、歳のせいもあるだろうが、それよりも、ここ1年半ぐらいずっと、毎日判で押したような単調な日々を過ごしていたから、だと思う。つまり自宅と仕事場を往復するだけの日々。といっても私の場合、清掃と介護、たま~にライター、という3つの仕事を掛け持ちしているから、シフトにより仕事場は変わる。仕事内容も各々まったく別ものだから、毎日同じ職場に通っている人と比べると、かなり激しい変化の毎日、のはずなんだけど、意外や意外、それがさほどでもないんだよなあ。慣れてしまえば、これはこれで、代わり映えのしない毎日ですぜ。なんだかなあ。
そんな代わり映えのしない毎日の中で、唯一、とは言い過ぎか、数少ない楽しみの1つが、例の「アラドラ」関係者が集まってのミーティングと称するただの飲み会。なのだが、その話は前にもしたので、今回はもう1つのお楽しみ。私個人の超個人的な話で恐縮だが(いつもそうじゃねーか、というツッコミはおいといて)、先月の終わり、久しぶりに娘とデートしたので、その話をしたい。恥ずかしながら。
娘といっても、私は離婚しているので、別れた妻と一緒に暮らしている娘のことね。離婚したら妻は他人になるが、娘との親子関係は切っても切れない。というのは、なんというか、孤独なオジさん(私のことです)にとってはせめてもの救い、といえる。世間には、離婚したら子供とも会えなくなった、という人も少なからずいると聞くから、会えるだけでも幸せ、と思わないといけないんだろうなあ。
もっとも、離婚後はちゃんと養育費を払っていたんだから、娘と面会禁止、なんて言われたら怒るけどね。1人娘に月5万円。これが多いか少ないかはわからない。養育費の額は収入に応じて決まるらしいが、私の収入からいえば、かなり高い、と思うが、どうだろうか。実際、アルバイトで月5万円稼ぐのって、大変ですぜ。
とはいえ、娘は今年2月の誕生日で二十歳になった(早いなあ)ので、養育費の払いは終了。これは助かる。もっとも、元妻は22歳まで払え、と言ってきたけどね。でも、それは無視して強引に打ち切った。だって、そもそも離婚を言い出したのは向こうなんだから、養育費を貰えただけでも感謝しろ!とまでは言わないが、成人までで責任は充分だよねえ。それ以上くれというのは欲張りだと思う。勝手に離婚しておいて虫が良すぎる。と、書きながら段々腹が立ってきたので、この話はもう止めよう。
ともかく、養育費の支払いが済んでホッ、とはしたものの(無視していたら元妻は何も言ってこなくなった)、内心、元妻が娘に何と言うか、気になっていた。養育費を払わないお父さんなんか会ったらダメ、なんて言われてたらどうしよう。そんな思いが引け目となって、しばらく連絡しなかったら、ズルズルと日が過ぎて、それ以前は少なくとも2ヶ月に1回ぐらいは会っていたのに、気がつけば4ヶ月も会わないでいた。
そして6月。久しぶりに娘から、「父の日おめでとー」、とLINEがあった。嬉しかった。どうやら面会禁止は免れたらしい。早速、久しぶりにメシでもどう?と返信したが、娘は学校やらバイトやらで忙しいらしく、私もその頃バイトのシフトが増えて(コロナで人が足りなかった)、なかなか日程が合わない。それにしても、親子でバイトかあ。不甲斐ない親父ですまん、娘よ。
そうこうするうち、またどんどん日は過ぎて、はや8月。また娘から「誕生日おめでとー」とLINEがあり、そこでやっと、食事へ行く約束をとりつけた。それが8月最後の土曜のこと。いつも土曜はたいてい介護の夜勤が入っているのだが、この土曜はたまたま、珍しく空いていた。じつに半年近くぶりの娘とのデート(といってもメシ食うだけだど)である。
当日、向かったのはお台場。娘のバイトが終わってから新橋で待ち合わせ、ゆりかもめに乗って台場で降り、アクアシティの中にある「キング オブ パイレーツ」という店へ入った。なぜこの店を選んだのかというと、娘がディズニー好きだから。だけど、いざ来てみれば、娘は、ふーん、てなもんで、さほどの反応はない。そりゃまあ、二十歳にもなればそんなもんか。小さい頃ならこんなのでももっと喜んでいただろうになあ。そういう意味では、娘の成長が少し寂しくもある親父であった。
それでも、料理は意外に、といっては失礼だが、そういう店(テーマやコンセプトありきの店は大抵不味いよね)だからあまり期待はしていなかったわりには美味かったし、娘との会話も、とくに何を話すでもなく、たわいもない近況報告をポツリポツリ、てな感じだけど、それなりに楽しい時間を過ごせた。
まあ、一緒に住んでいないからこうして会ってくれるわけで、もし一緒に住んでいたら、親父と外食なんて付き合ってくれないかもしれない。下手したら、「お父さん、臭い!」などと言われて嫌われていた可能性もあっただろう(年頃の娘が親父を毛嫌いするのはよくある話だから)。などとつらつら思えば、まあまあ、これはこれで良い関係、と言っていいのではなかろうか。
そんなこんなで食事を終えて、せっかくだから久しぶりのお台場をブラブラしつつ、欲しいものがないか聞いてみたら、リュックがほしい、と言うので、ダイバーシティ(巨大なガンダムがあるところね)へ移動し、GUでリュックを買った。1600円ぐらいだったかな。安く済んで、密かに胸を撫で下ろす私。いや、GUを選んだのは私じゃないよ。いくつか店を巡って、結局、GUでいいよ、と言ったのは娘である。私が安く済まそうとしたわけでは決してない。と、誰からも何も言われてないのに、なぜか言い訳してしまうのは、未だに抜けない貧乏性の裏返しだろう。
トリプルワークをはじめてかれこれ4年半。いや、介護の方で1年ほどブランクがあるから、実質3年半か。それだけシコシコ働いてりゃ、まがりなりにも貯金と呼べるぐらいのお金は貯まり(想定してたよりは全然少ないけど)、とりあえずは明日の食いものに困るほどの貧乏からは脱出できた。とはいえ、老後のこととか現状の仕事とか色々考えると、やっぱりまだまだ社会的には最下層の私。久しぶりに会った娘へのプレゼントぐらい気前よく買ってやりたいのはやまやまだけど、そうは問屋が卸さない。一体いつになったら、娘をブランドショップなどへ連れて行き、値段を気にせず買い物ができるような身分になれるのかなあ(一生無理か?)。
というわけで、今回はここで終わり。でもいいんだけど、ちょっと書きたいことがあるので、もう少しお付き合いください。相変わらず長い文書ですいません。
それはお台場からの帰りのことだった。ゆりかもめで新橋まで戻り、娘と別れて(別居は寂しいね)、地下鉄の銀座線に乗ったら、10人ぐらいの集団に出くわした。いや、よく見たら集団ではなく、たまたま乗り合わせた他人同士のようだが、みんな似たような格好をしている。どういう格好かというと、上は黒っぽいTシャツやジャケット、下は白いズボンで、Tシャツはロック好きが着るようなやつ。つまり、いかにもロックコンサートの帰り、という雰囲気の一団である。だけど年齢層はかなり高め。いかつい顔した、いかにも、昔はヤンチャしてました、といわんばかりの強面のオッサンたち。
といえば、もうおわかりですね。え、それだけじゃわからん? では、最大のヒントを。みんなデカめのタオルをこれみよがしに肩にかけたり、マントのように羽織ったりしている。そのタオルにデカデカと書かれたロゴは――YAZAWA――。そう、永ちゃんこと谷沢永吉のコンサート帰りの方々であった。
後日テレビのニュースでも報じられていたが、どうやらその日は国立競技場でコンサートが行われたらしい。国立競技場って、千駄ヶ谷だっけ? 最寄りの地下鉄の駅は知らんけど、そこから離れた新橋でこの人数なら、その周辺は一体どれだけの永ちゃんファンで埋め尽くされたか。想像するだに、さぞかし異様な光景だっただろうなあ。
それはともかく、そういうオッサンたちを見た私が、そのとき何を思ったかというと、自分でも意外だけど、ああ、いいなあ、と思いましたね。いい年したオッサンでも、そうやって夢中になって、人目も気にせず(気にしているかな?)好きな格好して、いいじゃないですか。年寄りは年寄りらしく、なんてクソくらえ。六十過ぎても七十過ぎても好きなことして、人生を謳歌する。これこそ長寿の秘訣だ。と、私は思う。
いや、若い頃の私なら、そういう人を見ると、間違いなく、ケッ、いい年してみっともねえ、とケーベツしていただろう。そもそも元来、誰かを応援するとか、ファンになるとか、そういった気質がサラサラない私。昔でいえばアイドルの“追っかけ”(今は“推し活”というらしい)なんかやってるヤツの気が知れない。そんなのに使うお金や時間や労力があるなら、ちゃんと仕事しろよ、と思っていた。
そんな考えが段々変わってきたのは、やはり私も歳をとり、老後の人生など考えるようになると(まだそんなに切実ではないけどね)、仕事以外の趣味を持つことの大切さをひしひしと感じるようになってきたからだ。いやほんと、いくつになっても夢中になれるものがあったり、好きなことをやり続けるって、大変重要なことですよ。介護の仕事をはじめてから余計そう思うようになった。というのは――いや、この話はまた長くなるからやめとこう。いずれ別の機会があれば詳細はそのときにでも。
話は戻るが、その永ちゃんファンの一団の中に、ひときわ高齢とおぼしき爺さんがいた。ただでさえ平均年齢高め(恐らく全員50~60代)の中にあって、飛び抜けて年嵩にみえるのだから、70代は確実、下手したら80歳過ぎだろう。その格好は、Tシャツこそ若者が着るようなロック風(英文字ゴチャゴチャで最初はわからなかったが、よく見るとYAZAWAの文字が読み取れた)だけど、ズボンや帽子は田舎のオッサン風で、Tシャツとそぐわないこと甚だしい。その農作業用と思われる帽子の下の短髪はほぼ白髪、メガネは茶色のべっ甲風で、いかにも田舎の実直な爺さんがムリして(張り切って?)、Tシャツだけ似合わないYAZAWAを着て来た、というかんじであった。さすがにタオルは肩にかけてはいなかったけど、恐らく手に掲げた紙袋の中に入っているんだろうな。
などとジロジロ見ているうちに乗り換えの駅に着いたので、私が電車から降りると、その爺さんも降りてきた。そして乗り換える電車も同じらしく、私と同じ方向に歩いていたので、後をつけるつもりはなかったが、なんとなくその爺さんの後ろを歩いていたら、なんと、驚いたことに奥さんとおぼしき女性連れではないか。
その奥さんらしき女性は普通の格好をしていたので、電車の中ではわからなかったが、年の頃はその爺さんよりはかなり若い。それでも、並んで歩くと違和感なく夫婦に見えるから、まあ60代だろう。いや~、その御年で永ちゃんのコンサートですかあ、いいですね~、なんて思っていたが、まさか夫婦で、とは、想像を超えていた。やるなあ、爺さん。それに奥さんも、よく付き合ってあげますね。いや、バカにはしてないですよ。微笑ましいなあ、と思ったお台場からの帰りであった。
ということで、オチはないけど、今回はここまで。ほんとは、この御夫婦を見てインスピレーションを受け、変わりゆく老後の人生観、とか、老人の意識の変化に伴う日本の未来、だとか、高尚な話をしたかったんだけど、言うまでもなく私の拙い文章力では到底無理なのであきらめて、尻切れトンボの感もありますがこれで〆とさせていただきます。それにしても、永ちゃんって、すごいね。私はファンではないけど。