例によって介護施設での夜勤中にこの原稿を書いている。が、今日の担当フロアは2階である。ここで一昨夜、利用者の1人が亡くなった。その婆ちゃん、昨年だったと思うが一時期入院していて、入院先で詳細はわからぬが結構な重病と診断され、退院後はこの施設には戻らず、別の施設へ転居する予定だった。ここの施設では対応できない(設備等の関係で)から。それほど重度の要介護者というわけだ。
ところが、退院してもなぜか別の施設へ転居はせず、再びここの施設へ戻ってきた。どうやら金銭面の問題らしい。というのは、その婆ちゃんのような重度介護者を受け入れ可能な施設となると、それなりにお高い(入居料もしくは利用料等の諸費用ね)。そしてそのお婆ちゃんには、旦那さんがいるらしいが、旦那さんもご家族もそんなお高い施設に入れるだけの経済的余裕がない。平たくいえば、お金がない。だから転居できない、ということだ。地獄の沙汰も金次第、とはこのことですな。もしお金があって、転居できていたら、もう少し長く生きられただろう、と思うと、不憫な気もするが、これも介護現場の現実である。
というわけで、戻ってきたこの婆ちゃん、もう見るに忍びないほど弱っちゃってて、寝ても覚めても四六時中「(体が)痛い、痛い」と言って泣くし、この間なんか、体中から何か変な水が出ていた(何故だがわからないが、どうも悪いのは腎臓だったらしい)。それでも食事だけはよく食べていた(噛まずに食べれるやわらか食ね)が、次第にそれも喉を通らなくなってきて、これはもう、夏まで持たないだろう、と言われていた。ぐらいだから、寿命といえば寿命だろう。合掌。
そのお婆ちゃんが息を引きとったとき(深夜0時だったという)、私は3階で夜勤中だった。その間に階下で人が亡くなったことは、知らせも応援の要請もなかったのでわからなかった。勤務が終わって、朝帰るときに聞いた。が、とくに感想はない。その婆ちゃんには悪いが、悲しい、とは思わない。むしろ、痛みから解放されて、よかったね、とまでは、語弊があるので言わないが、ただ、私の担当のときに逝かないでくれて、ホッとしている、というのが正直な気持ちである。不謹慎かもしれないが。
というのも、じつは私も1度、自分の担当中に人が亡くなった、という経験がある。それは私がこの施設へ入って間もない頃(といっても半年ぐらいは経っていたかな?)だった。この日、3階フロアで(当時は2階には入らず、すべて3階担当だった)いつものように利用者と一緒に夕食を食べていると、遅番でその場にいたお姉さんが、異変に気づき、「どうしたの?○○さん!」と叫んだ。
あ、女性職員は年齢に関係なく「お姉さん」と呼ばれる。とは、これまで何度も述べてきた通りだが、このとき遅番でいた女性職員は、恐らく30前半だったから、一般的にもギリ「お姉さん」というか「お姉ちゃん」(どうでもいいけど)で、私より後に入ってきた新人である。新人だけど、他の施設で介護の経験はある、とのことだった。
そのお姉さんの声で振り返り、○○さんを見ると、つい先ほどまでガツガツ食らいついていた手が止まり、背筋を伸ばして固まっている。あ、こりゃいかん、喉を詰まらせたな、と思い、すぐさまその爺さんの背中を叩いたり、前かがみにしたりして、吐かせようとしたら、たしかに吐いた。念のため入れ歯を取り出し、さらに吐かせようとすると、今度は口や鼻から水のようなものがダラダラと流れ出した。よし、吐くもんは吐いた。これで息はできるだろう。と思いきや、依然固まったまま、どころか、顔色が真っ白になってきた。
口に手を当てると、明らかに息をしていない。パルスオキシメーター(体内酸素測定器)の数値もみるみる下がっていく。どうやら喉の奥の奥でまだ詰まっているらしい。どうする?といっても経験がないからわからない。慌てて下の階に応援を頼んだ。すると、まだ若いが経験は豊富だと触れ込みのお兄さんが慌てた様子もなくやって来て、「触らないで、そのままにしておいた方がいい」と言うではないか。
そうは言っても、息が止まってちゃ大変でしょうよ、なんとかしないと、と、思うがどうしていいかわからず、オロオロしていると、そこへまた別のお姉さん(この人は年配のおばさんです)が駆けつけ、「あ、これはダメ、救急車!」と叫び、自ら電話して救急車を呼んだ。さらに救急車が到着するまでにどうすればいいかを聞いて、布団を敷いて寝かせて!とか、着替えを用意して!などと、テキパキ指示をする。さすが、ベテランである。
そこで私が布団を敷いたり着替えを用意したりとバタバタする一方、遅番のお姉ちゃんは何をしていたかというと、はっきりは覚えていないが、なにやらおぼつかない手つきで心臓マッサージをしていた、ような記憶がある。もちろんそれが何の効果もなかったのは言うまでもない。
そんなこんなで大騒ぎしているうち、救急隊員が数名(人数も覚えていない)ドカドカと入ってきて、寝かせた爺さんの口にチューブを突っ込んだりするも、詰まりはとれなかったようで、すぐさま爺さんは担架に乗せられ、運び出された。あっ、という間であった。いや、救急隊員が来てから爺さんが運び出されるまでもあっという間だったが、爺さんが喉を詰まらせてから、運び出され、後に残された我々が呆然としていた、その時間もまるまる、あっという間、に感じた。まさに突然の嵐が去ったかのごとくであった。
救急車にはベテランのお姉さんが付き添いで乗っていったので、3階フロアを出てからの様子はわからない。が、しばらくするとそのお姉さんから、救急車の中で亡くなった、との連絡が入った。まあ、そうだろうな、と思った。我々にとっては、あっ、という間だったが、それはそう感じただけで、実際には恐らく30分から1時間ぐらいの時間はゆうに経っていたに違いない。それだけ息を止めてりゃあ、ねえ。
その後、警察が来て色々聞かれた。けど、疑ったり責めたりするでもなく(そりゃそうか)、単なる事情徴収、という感じで、さほどしつこくもなく、というより、意外にあっさり、尋問は終了した。また、役所の人だか何だかよくわからない人たちも入れ替わり立ち代りやってきて、爺さんの持ち物など調べていた。貯金通帳を写真に撮っていたのは、財産目当てで故意にやったという疑いでもあるのかな? でも、その疑いは貯金額を見て晴れただろう。なにしろその爺さん、生保(生活保護のことね)でお金も何も持ってない。着替えさえ足りないので、不憫に思った職員の1人が自腹を切って買ってやっていたぐらいである。
この爺さん死す、の連絡は、当然、息子さんにもいった。しかし、その息子さん、かねてより施設には「連絡はしないでくれ、死んだときだけ連絡してくれ」と言っていたそうである。いやはや、悲しい親子関係もあったもんだが、息子さんの身になれば、わからなくもない。それぐらい、イヤな爺さんであった。
何がイヤかというと、とにかくよく寝小便をする。呆れるぐらい回数も量も多い。その爺さんの寝小便の始末だけで、一晩に7回洗濯機を回したことがある。それほど世話が焼けるにも関わらず、まあ、人の言うことを聞かない、聞かない。日常生活上の細かいことにいちいち自分の流儀があるらしくて、誰がなんと言おうと、人に迷惑がかかろうと、それを押し通そうとするので、しょっちゅう職員と揉めていた。ありていに言って、我が儘で腹が立つ頑固ジジイだった。
私はそれ以前、その爺さんがあんまり言うことを聞かないもんだから、胸ぐらを掴んでねじ上げ、「おい!いい加減にしろよ」と、ドスを効かせたことが1、2回ある。いや、もちろん本気ではなく、演技ですよ、演技。この爺さんは、若い頃は暴君だった、という噂をチラッと聞いていたので、そういう輩は力づくで押さえつけるに限るのかな、と思い、試しにやってみたら、わりあい効果はあった、ように思う。
もしも厳しい施設だったら、虐待だ!と問題になるかもしれないが、ここはそういう面では比較的大らかな施設で、私の他にも利用者を叱り飛ばすオバちゃん(もとい、お姉さん)が数人いた。でも、私はそれぐらいでいいと思いますよ。もちろんカッ!となって本気で暴力を振るうのはNGだけど、その人のためを思って、愛のある(と言うと気恥ずかしいが)叱り方、じゃなくて、指導、であれば、いいんじゃないですか。
施設によっては、利用者はお客さんだから、絶対敬語、絶対服従、みたいなところもあるけど(私が3ヶ月だけいた施設がそうでした)、それ、行き過ぎると職員が可哀想だって。ボケてわけのわからん爺さん婆さんを調子こかしてどうするの?と思うが、この話はまたいずれ、別の機会があればもっと詳しく述べたい。
話を戻すが、そのとき、爺さんが亡くなった、と、息子さんに連絡したのは私ではない(駆けつけた本部長がやった)ので、息子さんがどんな対応をしたかはわからないが、まあ、想像はつきますな。聞いたところによると、その息子さん、連絡を受けても施設には来ないで、まず警察に行ったらしい。
一応事故死だから、解剖とかもしたんでしょう。だったら警察へ直行したのもわからなくはないが、しかしその後、息子さんが施設に来て後始末をやった、という話は聞いてないし、少なくとも私はその息子さんには会ってない。いや、会いたいとも思わないけどね。
それに比べると、前回でお話した、財布だのバックだのを無くしたと何度も言ってくる認知症のお婆ちゃんが亡くなった後、息子のけんじさんは、ちゃんと施設へ来て、手続きとかやってたなあ(見かけただけで挨拶はしなかったけど)。それにしてもまあ、色々な親子関係があることよ。これも介護の現場の一面である。
と、長々と述べてきたが(いつものことだが)、じつは本題はここから。うんざりせずにもう少しお付き合いください。
その爺さんが救急車の中で亡くなった、と知った後の話であるが、そのときの私は、意外にも、さほど罪悪感はなかった。しょうがなかったじゃん、という気持ちが大部分を占めていた。救急車から戻ってきたベテランのオバちゃん(もとい、お姉さん)も、「アンタたちはよくやったよ。やるだけのことはやったんだから、気にしなくていいよ」と言ってくれた。あまつさえ、私は遅番のお姉さんの帰り際、偉そうに「今日のことは、お互い、引きずらないようにしましょうね」なんてことを言った。
今考えると、よくそんなことが言えたなあ、と恥ずかしくもあるが、そのときは、私はそのお姉ちゃんよりもずいぶん年上だったから(介護の経験は彼女の方があったが)、年長者の余裕というか、若いお姉ちゃんを労わる気遣いもできた、ということだろう。
ところが、である。私は夜勤だから、遅番のお姉ちゃんもベテランのお姉ちゃんも本部長も警察も役所か何かの人も、すべて帰った後も勤務を続け、朝になって、早番の人や看護師さんなどが来ると、当然、昨夜のことを報告しますよね。こんな大変なことがあった、と尾ヒレをつけて(いや、ウソですよ、ちゃんとありのままを報告しました)。
そしたら、彼女たちが言うには、そんなのは簡単に防げた事故、らしい。なんでも、喉が詰まって背中を叩いても出てこないときは、胃袋の下あたりをグイっと抱えて持ち上げ、ドスン!と落とす、ナントカ法(名称は聞いたけど忘れた)というのがあり、それをやってたら、多分、死ぬことはなかった。実際にそれで救われた人が、ここの施設にも何人もいる、というではないか。
それを聞いて、はじめて、じわじわと、後悔というか、罪悪感が押し寄せてきましたねえ。だって、それを知ってさえいれば救えた命を、知らなかったとはいえ救えなかった、というのは、後味悪いもんですぜ。知らなかったんだから、しょうがないじゃん、と開き直る気にもなれない。このなんともいえない複雑な気持ち、わかっていただけるだろうか。
いや、誰からも責められてはいないんですよ。私は未経験で入ってきたド新人だからしょうがない、と思われているのは言われなくても雰囲気でわかった。むしろ、遅番のお姉ちゃんが影で非難轟々だった。というのは、私は知らなかったが、彼女は入社の際に、非常時の対応も大丈夫、などと大見得を切っていた、らしい。それだけ大口叩いたくせに、そのナントカ法も知らなかったのか、というわけである。これも「口は災いのもと」になるのかな?
しかし、私に言わせれば、もっと悪いのは、応援に駆けつけときながら、「触らないで、そのままにしておいた方がいい」などと抜かして、何もしなかったお兄さんだ。こいつは1階の専任で、私と一緒になったことはないのでなぜか知らぬが、妙に皆から頼りにされている。多分、若いわりに他の施設などで経験が豊富だから、だろうが、この一件に限れば、全然ダメじゃん?
ほんとに経験豊富だったら、駆けつけてからいの一番にそのナントカ法をやってくれてもよかった、はずでしょう?だけど、こやつは「触らないで」と、正反対のことを言って放置した。こっちの方が罪は重い、と思うのは私の僻みだろうか。
この事件があってしばらく後、私はここの施設を辞めた。理由は、昼の仕事で正社員にならないか、という誘いがあったからで、ここの施設がイヤになったわけではない。正社員になれば掛け持ちは無理、と判断したのでやむを得ず辞めた。ところが、その正社員の話は、コロナのせいもあったのだろう、ほどなくしてあっけなくポシャった。
だったら、イヤで辞めたのではないから、ここの施設に戻ってもよかったのだが、すぐに出戻るのもなんだか恥ずかしい気がしたし、場所ももっと近い方がいいなあ、という思いもあったので、自宅からほど近い別の施設に入ることにした。介護施設ならどこでも同じようなもんだろう、という安易な考えで。
しかし、案に相違して、新たに入った施設は、ことごとく裏目に出た。何から何まで、これなら前の施設の方がよかったなあ、と思った。この話もいずれどこかでしたい。が、ともかくそういうわけで、その施設をちょうど3ヶ月で辞め、しばらくブラブラして、ほぼ1年のブランクを経てここの施設へ戻ってきたら、例の遅番のお姉ちゃんはもういなかった。
あの事件のせいで居ずらくなった、のかどうかはわからない。「アンタたちはよくやった」と言ってくれたオバちゃん(もとい、お姉さん)もいなかった。結構仲良かったのに、残念である。ところが、「触らないで」と言ったダメなお兄さんは今もいて、1階で相変わらず偉そうにしている。コノヤロウ、とは思うが、今さら私が文句言う筋合いもないので、顔を合わせれば挨拶ぐらいはする。それ以上の会話はしない。まあ、向こうはこっちがそんなこと思っているとは、夢にも知らないだろうけど。
えっと、いつものことながら、またしても長々とした文章で申し訳ない。夜勤中に書き始めたこの原稿も、勤務中には終わらず、夜勤明けに大森の「餃子酒場」へ来て書いている。24時間営業でコンセントも使えて便利。あ、昨夜の夜勤は、重度が1人減ったので楽だった。なんていうと怒られますね。
いや、ほんと言うと、2階には度々、それはもう、怒りを覚えるぐらい何度もトイレに行く爺さんがいて、その度に介助しなければならないから、休むヒマがない。ましてや原稿を書く時間なんかほとんどとれない、まことに困った爺さんがいるのだが、昨夜夜勤に入ったら、その爺さん、自分の足では立てないほど弱っていた。
ということはつまり、自分ではトイレに行けずに夜間は寝たきり。オムツをベッドの上で変えなければならない、という手間はあるが、それは就寝時・深夜・起床時の3回でいいから、何度も起きてトイレに行かれるよりはずっといい。手間のかかりようが天と地ほど違う。
おかげさまで、昨日の夜勤中は原稿を書く時間がいつも以上にたっぷりとれたのだが、それでも終わらず、明けて「餃子酒場」で生ビールを飲みながら続きを書いているが、その生ビールももう4杯目、いや5杯目かな? つまみも餃子やら棒棒鶏やら冷やし中華やら色々頼んじゃって、散財である。まあ、原稿書くのにそれだけの燃料が必要だった、と、言い訳にもならない言い訳を自分にしつつ、今回はこれにて。またしても先送りになってしまった「認知症のお婆ちゃんにモテる秘訣」の話は、次回できっと、やる、かもしれない。やらない、かもしれない。答えは風に吹かれている(要するに、気分次第、ということです)。