もう寒くなることはないだろう、と思っていたら、もう1回来ましたね、寒の戻り。今の時期は寒さと暑さを繰り返しながら夏に向かってゆく。というのはわかるけど、今年はその寒暖差がちょっと激しすぎない? 先週の暑かった日は風呂上りに早くも扇風機を回したが、その翌日にはまたコートを着る、という異常な日々。皆さん体調崩したりしてませんか?
その点、衣替えなんぞほとんどしないズボラな私は、こういう時はわりと便利。扇風機は年中に出しっぱなしだから、ちょっと暑いと思ったらすぐ回せるし、コートもクリーニングに出さない(ファブリーズぐらいはするけど)から寒の戻りも大丈夫。まあ、男の一人暮らしなんてそんなもんですよ。男やもめにうじがわく、ってか。
というわけで、現在の時刻は午前1時。例によって介護施設での夜勤中にこの原稿を書いている。前回、いや、前々回かな? ブログのアップが遅くなった言い訳の1つに、夜勤中に原稿を書くのが難しくなった、と言ったくせに、なんだ、相変わらず夜勤中に書いているじゃないか、と思われるでしょうが、まあ、聞いてください。
現在私が勤めている介護施設(正式にはグループホームという)は、1棟に3フロアあって、1フロアの定員は9名。私は月によって変動はあるものの、ここ数ヶ月は3階がメインで、たまに(月に1回か2回ぐらい)2階に入っている。
で、3階と2階とでは大変さが天と地ほど違う。というのは以前にも触れたと思う。具体的にいうと、3階ではそれまで自立していた(自分で歩いてトイレに行けた)人が、老化の進行により常時車椅子に座るようになったり、自分で排泄できていた人がおもらしするようになったりと、要介助(平たくいうと手がかかる人)がここのところ急に増えた。
なので現在、3階でまったく介助の必要がない人は1名のみ。他の8名はすべて手がかかる。なかでも寝たきり1名には部屋で食事介助(流動食だけど)したり一定時間おきにおむつを替えたりしなければならない。車椅子は4名もいて、それぞれに手がかかる。どんな風に手がかかるのか、いちいち説明しだすとここでは書ききれない。それほど手がかかる。
そして残りの3名も、歩けるけど付き添いが必要だったり、自分でトイレに行けるけど目を離すと必ず失禁していたりと、やっぱりいちいち書ききれないほど手がかかる。夜勤の場合は就寝時と起床時が最も忙しい時間帯となるのだが、最近はいつもこの時間は汗ダクダク、ひどいときにはハアハアと呼吸困難になりそうなぐらいの重労働である。いやマジで。
それに比べると、2階は天国であった。というのは、もともと2階は自立して手がかからない人と、重度の要介護者、つまり手がかかる人とが半々ではっきり分かれていたのだが、数ヶ月前から要介護者が次々に入院したり、他の施設へ移ったり、入院先で亡くなったり(そういうこともあるんです)して、手がかからない人だけが残った格好となった。
かくして、2階は定員9名なのに6名しかおらず、しかもそのうち3名が自立で手がかからない。他3名は車椅子だけど、そのうち2名は夜よく寝てくれる。残り1名、夜中にしょっちゅうトイレに起きる(車椅子だからその度に連れていかなねばならない)爺さんがいるけど、手がかかるのはそれぐらい。つまり人数が少ないうえに手がかかるのが1人だけという、3階に比べると申し訳ないほど楽なフロアとなっていた。
だから3階に入ったときは忙しくて原稿を書く余裕なんかないこともあったが、2階に入れば楽勝で書けた。願わくば3階は減らして2階に多く入りたい、とさえ思っていた。が、そんないびつな状態が長続きするわけがなかった。というのは、空室があるのは従業員にとっては楽でいいが、経営者にとっては収益に直結する重大問題である。空室があれば埋めようとするのは自然の理。
というわけで、先月ぐらいから2階で空いていた3部屋に立て続けに入居者が入ったのだが、これがひどかった。いや、今もひどいから現在進行形か。その中の1名は、それ以前に入居したのだが、入居後まもなく転倒して骨折、入院していた婆さんである。その婆さん、退院してきたのはいいが、寝たきりで酸素吸入、点滴、尿バルーンと、よくもまあこれで退院してきたものだと感心するぐらいの重度。グループホームで受け入れるのは明らかに無理である、と思わざるをえない。
ただ、この婆さんは、まだいい。なぜなら、あまりに重度過ぎて、逆に手がかからないから。どういうことかというと、食事介助は不要(点滴だから)、オムツ交換も、なにしろ体に触っただけで痛がるので、夜間に1人で行うのは無理、朝になって早番に手伝ってもらってやるから、逆に夜間は手がかからない。
余談になるが、この婆さん、96歳なのにボケもせず、意識はしっかりしている。昔は飲食店をやっていたらしく、さぞかし名物女将だったんだろうなあ、と思わせる婆さんで、今は寝たきりで元気がないが、早く良くなって色々な話をしたい、と私は思っている。
先日、この婆さんの部屋へ行くと、本を読んでいた。何を読んでいるのかと思えば、なんと村上春樹。しかもカンヌ映画祭で脚本賞(だったかな?)を獲った映画「ドライブ・マイ・カー」の原作を含む短編集である。へえ~、と私が感心していると、婆さん、無造作に「持ってけ」だって。お言葉に甘えて借りました。そして読んだ感想は――これについて書き出すと大幅脱線必至なので、またいずれの機会に改めて述べたい。
話を戻して、2階に新たに入ってきた入居者、そのうちの1名は、うつ病の気があり、徘徊癖もあった。私と初対面のときも徘徊中で、なんだこれは、と面食らったものだ。しかも、男性スタッフがトイレ介助しようとすると、「触らないで!」と拒否された、らしい。申し送りでそういう報告があった。いや、これは過去最強クラスの難物である。
ところが、案に相違というか、私がトイレ介助すると、不思議と素直に従ってくれる。徘徊も、私が付き添って部屋に連れて行き、ベッドに寝かせると、そのまま大人しく寝てくれた。あー、よかった、と安堵していると、朝方、弩級のしっぺ返しが来た。部屋に行くと、床一面が水浸し、多量も多量の大尿失である。
これには参った。床一面に広がるオシッコは拭いても拭いても拭き取れない。おまけにもう一つ珍事があった。というのは、尿を拭き取るのには新聞紙を使うが、そのとき、ふとその新聞紙をみると、いつもは普通の、朝日とか読売とか毎日の朝刊なのだが、なぜかそのとき用意されていたのは、某夕刊紙。そう、私がかつて契約社員として在籍していたことがある夕刊紙が尿や便を拭き取ったり、失尿・失便したオムツ(施設ではリハパンという)を包んだり、そういう用途で使うために用意されていたのである。
ここまで言えば、もうお気付きの方もいらっしゃることでしょう。嗚呼、おぞましきかな、その夕刊紙にバッチリ、私の書いた文章が掲載されているではないですか。月に2、3本ほどしか書いてない小さな囲み記事なのに、なんでこういうときに限って掲載されているかなあ。想像してみてほしい。自分が書いた文章が掲載されている新聞紙で、赤の他人の婆さんが床にぶちまけた小便を拭く、という情けなさ。世にこうした尿失の始末をしている介護福祉士は数え切れないほどいるはずだが、それに自分が書いた文章が載っている新聞紙を使ったのは、恐らく私只1人だけではなかろうか。いやはや、もはや何をか言わんや。
あっと、話はまだ終わってなかった。2階に新たに入った入居者のもう1人。この婆さんは、認知症ではないようで頭は比較的クリアとみえるが、帰宅願望が強く(これはよくあるパターンだが)、クリアなだけに説得に応じない。まったく、頑なというか、頑固というか、曰く、「私はこんなところに入るなんて聞いてない」「騙された」「ここから出してくれ」などと、ずーっと言い張っている。
申し送りによると、夜中も寝ずに職員に詰め寄ったり、ひどいときには暴れたりもしたらしい。ただし、これも不思議と、私が夜勤のときは、最初こそご飯も食べずに仏頂面だったが、しばらくするとご飯は少しは食べるし、他に利用者が皆寝静まると、「私が片付かないとお兄さんが寝れないわねえ」と、妙に聞き分けが良いことを言い、自ら部屋に入って寝てくれた。
また、喉が渇いたというのでお茶を出したら、「冷たくておいしいわ」と言ったり、部屋に入れば、「思ったより綺麗な部屋で、ありがとう」とお礼を言ったりと、むしろ友好的でさえある。他の職員から聞いていたような困ったちゃんぶりは、私に対しては今のところ鳴りを潜めている。ここでも、あーよかった、と安堵していたら強烈なしっぺ返しが。いや、これはしっぺ返しではないな。アクシデントだ。簡単にいえば、私の夜勤中に転倒し、幸い大事には至らなかったものの、私が事故報告書を書く羽目になったのだ。
これについても詳細は長くなるのでまた別の機会に譲るが、とにかく2階に新たに入ってきた2人の入居者が2人とも厄介で、楽勝だった頃から急転直下、あっという間に3階よりも大変になった。2階も大変、3階も大変、原稿を書いている場合ではなくなってしまった。
と、思ったら、今度は3階で若干の変化が。3階で夜中も寝ずに何度も何度も起きてきて職員を困らせていた婆さんが、ここのところ急激に衰え、昼間もこっくりこっくり、夜も起きずに朝まで(時々は起きるが)寝てくれるようになった。そこで3階の夜勤中に原稿書く余裕も出てきた、というわけだ。
つまり、何が言いたいか、というと、状況は日々大きく変化しているにも関わらず、このブログの原稿は相変わらず夜勤中に書いている、という、たったこれだけを言うためにまた長くなってしまい申し訳ない。けど、今思い出した。もう1つ、大事なことがあったんだった。いや、大事ではないか。ブログを書くのが遅れた言い訳の残りの1つだ。これについては次回で述べたい。相変わらずしょうもない話だけど、お付き合いいただけたら幸いである。