昨年10月20日から今年1月28日まで、「上野の森美術館」で開催された『モネ 連作の風景』展。とっくに終わった今頃になってなんだけど、結局、観客動員数は延べ46万4129人を記録したそうで。なにを隠そう、私もその中の1人であることは過去ブログでも書いたが、やはり実際に行ってみると、その人気の凄さを肌で感じましたねえ。
なにしろ、最初に行ったときは、美術館入口のチケット売場にできていた長蛇の列をみて、即座に断念(行列が嫌いだから)。開催期間も終わりがけになり、そろそろいいかな?というタイミングで行くと、さすがにその時はすぐ入れた。が、ギフトショップの前には依然として行列が続いていたからね。いやあ、日本人がそんなにモネが好きだったとは、ねえ。なんというか、新鮮な驚きでしたね。
しかし、この話には続きがある。というのは、「上野の森美術館」での『モネ 連作の風景』展終了後は東京から大阪へと舞台を移し、3月3日から5月6日まで、「大阪中之島美術館」でも同展は開催されたのだが、ここでの観客動員数は延べ45万2943人に達し、なんと、個別の展覧会としては同館の最多動員記録を更新したという。いやはや、これはもう、予想を遥かに超えた人気ぶり、と言っていいだろう。予想なんかしてなかったけど。
このモネ人気に便乗した、というわけではないだろうが、「上野の森美術館」で『モネ 連作の風景』展が終了した1月28日の前日、つまり1月27日から4月7日まで、同じく上野公園内にある「東京都美術館」で開催されたのが、『印象派 モネからアメリカへ』展である。書いていて気がついたけど、開催期間がわずか1日ながらダブっていたんですねえ。
いや、もちろん、私もまた行きましたけどね。『印象派 モネからアメリカへ』展。ただ、こちらも『モネ 連作の風景』展と同様、開催期間が終盤に差し掛かった頃に行ったから、会期がダブっていたとはつゆ知らず。まあそれはどうでもいいとして、モネが好きな人には嬉しいよね。かつてない、かどうかは知らないけど、恐らくはめったにない、モネ展の2連チャン。私のように両方とも立て続けに観た、という人も多かったと思う。
では、その『印象派 モネからアメリカへ』展の観客動員数は?といえば、私の調べ方が下手なのかもしれないが、なぜかネットで検索しても出てこない。観客動員数がわからないからはっきりとはいえないが、なんとなく雰囲気的に、どうやら『印象派』は、『連作の風景』を超えるほどの盛り上がりはなかったようだ。
その理由としては、私が思うに、『モネ 連作の風景』展は、モネ100%、展示された作品のすべてがモネ、だったのに対し、『印象派 モネからアメリカへ』展は、アメリカへ、とある通り、アメリカの印象派を中心にモネ以外の画家の作品も多数展示。これがモネファンにとってはもの足りなかったのではないか。と推測できる
これはつまり、私のように両方行けるヒマ人ならともかく、どちらか1展しか行けない人が、どっちに行こうか、と迷った挙句、『印象派』はあきらめて、『連作の風景』を選ぶ人が多かった、ということだろう。いや、一切迷わず、『連作の風景』一択だった、という人も少なくなかったかも。そう考えると、ますますモネ人気の凄さ、というか、強さ、を感じますな。
とはいえ、私が『印象派 モネからアメリカへ』展へ行った当日は、やっぱり結構な混雑だったけどね。同展が開催された「東京都美術館」は、以前、『永遠の都 ローマ展』が開催されていた美術館だが、どうみても「上野の森美術館」よりは立派で、中も広くて、私は好きな美術館の1つである。「上野の森美術館」より広いのだから、少しは鑑賞しやすいかと思いきや、そんなことは全然なかったですね。以前と同様、人をかき分けかき分け、あるいは、人の頭越しにさっと観て次へ。じっくり時間をかけて鑑賞する余裕はとてもなかったが、まあ、いつものことだし、しょうがない。
それでも、私は結構面白かったけどね。正直、印象派がどうのこうのと語れるだけの知識はほぼ皆無であるが、わからないなりに、嗚呼、良いなあ、と、しみじみ思いましたねえ。前回ブログの『中尊寺 金色堂』展で書いたが、仏像は最初に観たときのインパクトというか、ファーストインプレッションは強烈だけど、その分飽きるのも早い。よほどその仏像への造詣が深くないと、興味が持続しないのだ。
その点、絵画は良いね。素人でも観ていると興味がそそられる。ああ、いいな、と思った絵は、いつまで観ていても飽きない。そういう絵が続けて何点も展示されていれば、それこそ映画を観ているかのように、時間を忘れる。まあ、そんな展示会はそうそうあるものではないが、ここ最近、私が実際に観に行って当ブログにも書いた展示会は、どれも素晴らしかった。モネしかり、ゴッホしかり、竹久夢二しかり。
話は逸れるが、絵画の評論って、難しいよね。このブログを読んで、私が観た絵が、良かった、とか、素晴らしい展示会だった、というのはわかるけど、もっと詳しく、どこがどんなふうに素晴らしかったのか、ちゃんと説明しろよ、と思っている方もおられることでしょう。私もそう思います。なので、できる限り、その良さが皆さんにも伝わるような文章を書きたい。けど、これがなかなか、いや、滅法難しく、いつも諦めて、適当にお茶を濁しているのが、わかる人にはわかっている。でしょうね。
私は某夕刊紙で記者をやっていた頃、書評のコーナーを担当していた。コーナーとは、夕刊紙の紙面上では“囲み”ともいう小さなスペースで、書ける文字数も少ない。なので、書評というからには本来書くべき評論まで書き切れず、ただ紹介しただけ、の記事になってしまうことがままあった。また、あまり言いたくはないが、これもいわゆる記事広告だった。ということは、取り上げるのはクライアントから頼まれた(押し付けられた)本のみ。自分で選んだ本ではない。さらに、広告費を貰っているから、当然、悪口は書けない。ただのヨイショ記事である。つまり、書評と言いながら、内情は書評というのはおこがましい、正確に言えば書評に見せかけた記事広告、であった。
とはいえ、このコーナーは、私がその夕刊紙の専属契約を切られ、フリーになってからもしばらく続いたので、期間としては相当長い。多分、10年近くは続いたと思う。それだけの間、月に1~2本、多いときで3本ほどのペースで書いていたから、取り上げた本の冊数も、書いた原稿の本数も、相当な数に上る。数えてないから正確な本数はわからないけど。
したがって、単なる紹介記事と言われようが、ただのヨイショ記事だと言われようが、曲りなりにもそれだけの本数の原稿を書いてきたので、書評を書くコツは掴んでいる。自信がある、とまでは言わないが、それなりのものは書ける、という自負はあるので、今でも書評の仕事が来れば、喜んで引き受ける。まあ、ないと思うが。
しかしこれが書評ではなく、絵画をはじめとした美術評論となると、まあ書ける気がしない。ストーリーのない絵から物語を読み取り、解説していく、というのが想像もできない。至難の業である。これが映画であれば、まだなんとか書けそうな気もするが、美術は私には無理だ。書評よりも、映画評論よりも、美術評論の方が、絶対に難しい。と私は思う。美術評論家はすごいね。
もっとも、オマエも仮にもライターを名乗るなら、難しいことに挑戦しろよ、という声も聞こえる。せっかく美術館や博物館に行きまくっているんだから、そこで観たもの、感じたことを、ライターとして、ちゃんと書けばいいじゃん、と思われる方もおられることでしょう。それは私だって、そうしたいのはやまやまだ。けど、なにしろ現在はライター業は開店休業状態、アルバイトで食っている身だから、ねえ。なかなか、どうして、と逃げを打ちつつ、話は戻る。
今回の『印象派 モネからアメリカへ』展は、第1回印象派展から150周年を迎えた本年、印象派がヨーロッパやアメリカへもたらした衝撃と影響を辿る。19世紀後半、国外からも多くの画家が集ったパリで印象派に触れ、学んだ画家たちが、新しい絵画の表現手法を自国へ持ち帰り、西洋美術の伝統を覆した、その革新性と広がりに注目。第1章「伝統への挑戦」、第2章「パリと印象派の画家たち」、第3章「国際的な広がり」、第4章「アメリカの印象派」、そして第5章「まだ見ぬ景色を求めて」の5章で展開する。
とりわけアメリカ各地で活躍したアメリカ人の印象派の作品を多数展示。私個人的には、アメリカ人には失礼ながら、印象派というよりは絵画そのものにアメリカのイメージはなかったので、まさに「まだ見ぬ景色」を見ることができ、大変興味深かった。そんな印象派の作品を1898年の開館当初から積極的に収集してきたのが、アメリカ・ボストン郊外に位置する「ウスター美術館」である。同展は、ほとんどが初来日となる同館の印象派コレクションを中心に、モネやルノワールなどフランスの印象派、ドイツや北欧の作家、国際的に活動したサージェント、さらにはアメリカの印象派を代表するハッサムらの作品を一堂に集結、これまで日本で紹介される機会の少なかった、大西洋を越えて花開いた“アメリカ印象派”の魅力に触れることができる貴重な機会である。
この「日本初公開多数!」というキャッチコピーにはそそられるよねえ。モネしか観たくない、という人以外は、むしろこちらの方がおすすめ、ではないかと、私は思う。もうとっくに終わったけど。
ちなみに、「ウスター美術館」は、モネの作品を初めて買った美術館でもあるそうで、「睡蓮」をはじめとした作品と合わせて、買い付けの交渉時に交わした書簡なども展示。こういうのは初めて観たので、面白かった。
もう1つちなみに、「ウスター美術館」といえば、「ウスターソース」を連想する人が多いだろうが、両者に関係は、ない。「ウスター美術館」はアメリカ・マサチューセッツ州の第2の都市・ウスター(ウースターと表記する場合もあり)に位置するからその名前で、「ウスターソース」はイギリスのウスターシャ州の主婦が、食材の余りを調味料とともに入れ保存したままにしておいたところ、ソースができていた、というのがその名の由来。だから無関係。だけど、パンフレットをみると、展覧会グッズにちゃっかり「ウスター展ソース」というのがあった。もはや駄洒落だな。
そこで当日の鑑賞後、ほんとにその「ウスター展ソース」があるのか、確かめようとギフトショップを覗いたが、その前に驚くほどの長蛇の列ができており、即断念。なにしろ行列が嫌いだから。かくして、「ウスター展ソース」の実体は謎に包まれたままである。もし誰か、買った人がいたら、写真送ってください。
そういえば、この『印象派 モネからアメリカへ』展は、4月20日から6月23日まで、福島県の「郡山市立美術館」でも開催されている。これならまだ間に合うので、郡山まで「ウスター展ソース」を買いに行くのもいいな。言うだけでまず行かないと思うけど。
こうした展示会は、海外の有名な美術館や博物館の所蔵品を借りてくることが多いので、その美術館・博物館の名も覚える。たとえば以前行った『永遠の都 ローマ展』では、世界最古とされる「カピトリーノ美術館」の名を覚えた。国立西洋美術館で開催された『キュビズム展』ではパリの「ポンピドゥーセンター」の存在を知った。今回、同展で知った「ウスター美術館」も、ちょっと調べたところ、かなりの見応えありそうで、いつか行ってみたい美術館の1つとなった。生きているうちに行けるかなあ。まだ海外旅行ができる体力があるうちに、それら海外の美術館や博物館を巡るのが、私の老後の夢である。
さて、美術鑑賞の後は、もう1つのお楽しみ。といっても、ただお酒を飲むだけだけどね。それにしても、美術館や博物館の帰りに飲む酒が、なんか知らんけど、妙に美味いんだよねえ。あ、その前に、休憩と時間調整を兼ねて寄った美術館内の喫茶店で食べたケーキの話も、一応しとくかな。なにやら同展に合わせて企画・開発した新商品らしいから。と、思ったけど、よく覚えてないので、スルーして、写真だけ載せときます。写真だけではわからないと思うけど、聞かないで。
で、その後飲みにはどこへ行ったかというと、またか、と言われそうだが、鶯谷です。ただし、どういう経緯でそうなったのかは覚えてないが、なぜか、それまで行ったことがない店を新規開拓、しちゃいました。ネットで調べて、日本酒の品揃えが良い、という情報を仕入れ、鶯谷駅からちょっと離れていたので少し迷って辿り着いたその店の名は、「川木屋」という。
これが近年で1、2を争う“当たり”だった。振り返れば今年は、元旦早々、下谷七福神巡りの途中にたまたまトイレで入った店が“当たり”で、その「川セ美」という店にはそれから何度も通い、従業員の若い兄ちゃんとは一緒にイベントに行くほどの仲となり、いまやすっかり常連である。が、それ以来、いや、ややもするとそれ以上の“当たり”かも。
その「川木屋」のなにが良いかって、まず日本酒の品揃えが、ネットの情報に違わぬ充実ぶり。その中でもとくに私が気に入ったのが、“飲み比べ”である。いや、日本酒の飲み比べは、「川セ美」でもできるよ。しかし、「川セ美」の飲み比べは、店員のお勧めが3銘柄。これに対し、「川木屋」の飲み比べは、たとえば「而今」なら「而今」の大吟醸とか山廃とか、同じ銘柄で製法が違う3種類を飲み比べできる。これは日本酒通には嬉しいよねえ、私は通ではないけど。
そしてフードメニュが、とにかく豊富で、多種彩々。そのどれもが旨い。日本酒の店だから和食が中心、と思いきや、意外に肉料理が多くて、私的には、鳥刺しの新鮮さに感動した。いぶりがっこのポテトサラダ、みたいな居酒屋メニューも多々あるが、それも、なんで?と首をかしげるほど、旨い。さらに、ピザとか焼きそばとか炒飯とか、日本酒メインの店なら邪道だろう、と思うメニューもあって、それも試しに食べてみたら、やっぱり旨くて、参りました。挙句の果てに、お土産としてお勧めだというカツサンドまで、試しに食べたら旨かった。いやあ、またまた良い店、見つけちゃいました。
それにしても鶯谷は、良い店がたくさんありますなあ。「川セ美」は鶯谷というより入谷だけど、鶯谷からも徒歩圏内だし、鶯谷と入谷の間にはもう1店、お気に入りの「チーズ谷」もある。その他、「鍵屋」「鳥椿」「もりもり」など、一度行ったけど再訪したい店あれば、まだ行ってないけど気になっていて、いつか行こう、と思っている店もいくつかある。今後も「鶯谷飲み」もしくは「入谷飲み」は、当分続きそうである。あっと、飲み過ぎには注意しながらね。歳も歳だからね。ということで、今回はこれにて。いつものことながら、またしてもダラダラと長過ぎた文章を最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。